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Snow flakes   作者: 山吹 ことり
スノーフレークス編

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186/205

主役

 式が始まる前から、

 ハヤテはずっと動き回っていた。


 両親や兄弟への挨拶。

 親戚や参列者への声かけ。

 スタッフとの段取り確認。

 余興のタイミング。

 音響のチェック。


 新郎というより、

 ほとんど現場の進行役だった。


 少し離れたところで、

 コウタがその様子を眺めている。


「仕事と変わんないな」


 隣でヒナタも、

 静かに視線を向けた。


「今日くらい、

 落ち着いてればいいのに」


「聞こえてるぞ」


 通り過ぎかけたハヤテが、

 すぐに振り返った。


「落ち着いてられるわけないだろ。

 親もいるし、親戚もいるし、

 段取りもあるし、

 このあと自分の出番まであるんだぞ」


「仕事じゃん」


 コウタが笑う。


「だから落ち着かないんだよ」


 ハヤテはそう返して、

 またスタッフの方へ歩いていく。


 けれど数歩進んでから、

 ふと足を止めた。


「……ちょっと見てくる」


「何を」


「ステージ」


 披露宴会場の扉は、

 まだ半分だけ開いていた。


 中を覗くと、

 余興用の小さなステージが見えた。


 マイク。

 ギターアンプ。

 ベースアンプ。


 けれど。


「……あれ」


 ハヤテの表情が止まる。


 ドラムがない。


「え、なんで」


 血の気が引くのが、

 自分でも分かった。


 ハヤテは慌ててスマホを取り出し、

 送っていた資料を確認する。


 余興用ステージ。

 ドラムセットあり。

 事前搬入確認済み。


「嘘だろ」


 声が、少しだけ低くなる。


 その時だった。


 会場の奥から、

 スタッフが数人がかりで何かを運び込んできた。


 白いドラム。


 明るい式場の光を受けて、

 それは妙にきれいに見えた。


「……え」


 ハヤテは、思わず振り返る。


 コウタとヒナタが、

 少し離れたところに立っていた。


「主役だからな」


 コウタが言う。


 ヒナタは、短く続ける。


「俺たちから、ってことで」


 ハヤテは白いドラムを見て、

 それから二人を見る。


「……いや」


 言葉が出ない。


「まあ、レンタルだけど」


 コウタが付け足す。


 ハヤテは一瞬固まって、

 それから、ふっと息を吐いた。


「涙引っ込んだわ」


「泣く予定だったのかよ」


「今ちょっと危なかった」


 ハヤテは笑いながら、

 もう一度、白いドラムを見た。


 普段なら絶対に選ばない色。


 でも今日だけは、

 それでいい気がした。


「……ありがとう」


 ヒナタは何も言わず、

 小さく笑った。


 白い壁。

 磨かれた床。

 どこか甘い花の匂い。


 ライブハウスとは、

 何もかも違う。


 それなのに、

 奥の扉の向こうから聞こえる人の気配だけは、

 本番前のそれとよく似ていた。


「……変な感じ」


 コウタが小さく言う。


 ハヤテは返事をしなかった。


 視線の先には、

 さっき運び込まれた白いドラムがある。


「ほんとに置いてある」


 ハヤテが、笑う。


 笑ったつもりだった。


「お前が置けって言ったんだろ」


「言ったけどさ」


 ハヤテは、

 白いドラムから目を離せない。


「結婚式でドラム叩く新郎、

 なかなかいないだろ」


「ハヤテらしいよ」


 ヒナタが静かに言った。


 それだけで、

 ハヤテは少しだけ黙った。


 スタッフが近づいてくる。


「お控室、こちらです」


「……はい」


 返事をして、

 ハヤテは一度だけステージを振り返った。


 白いドラム。

 ギター。

 ベース。


 三人分の音が、

 そこにちゃんと置かれている。


 まだ何も鳴っていないのに、

 もう少しだけ、

 胸の奥がうるさかった。


 扉が閉まると、

 さっきまでのざわめきが少し遠くなる。


 控室は、

 思ったよりも静かだった。 


 ハヤテは息を吐いて、

 鏡の前に立った。


「……人生で一番、

 落ち着かない本番だわ」


「そりゃそうだろ」


 コウタがネクタイを直しながら言う。


「主役だぞ」


 ヒナタが、

 鏡越しに視線を向ける。


「逃げられないな」


「逃げないけどな」


 ハヤテは一瞬だけ、

 真面目な顔になる。


「ここまで来たら」


 ◇


 式が始まる。


 拍手。

 白い光。

 並んだ椅子。

 少し緊張した親族の顔。


 隣には、

 この先もずっと一緒にいたいと思う人がいる。


 ハヤテは笑っていた。


 ちゃんと笑っていた。


 けれど、

 指先だけは少し冷たかった。


 指輪を交わして、

 誓いの言葉を口にして、

 拍手の中で頭を下げる。


 写真を撮られ、

 親戚に声をかけられ、

 友人にからかわれ、

 スタッフに次の流れを確認される。


 披露宴が始まってからも、

 ハヤテは何度も時計を見た。


 主役として座っているのに、

 どこか落ち着かない。


 スピーチ。

 乾杯。

 歓談。

 料理が運ばれていく音。


 全部ちゃんと進んでいる。


 やがて、

 スタッフがそっと近づいてきた。


「このあと、余興の準備に入ります」


「……はい」


 ハヤテは小さく息を吸った。


 会場の脇で、

 コウタとヒナタが待っている。


「やっと来たな、主役」


 コウタが言う。


「主役は忙しいんだよ」


 ハヤテはそう返して、

 白いドラムの前に立った。


 三人は、

 視線を合わせた。


 ステージと呼ぶには小さすぎる場所。


 でも、空気はライブ前と同じだった。


 拍手。

 ざわめき。


 そして、静まる。


 ヒナタが、

 ゆっくり音を鳴らす。


 派手じゃない。

 よく知っているイントロ。


 ヒナタは一度だけ深呼吸して、

 マイクを握った。


 歌いながら、

 感情が崩れないように

 視線を落とす。


 ハヤテのドラムは、

 いつもより少しだけ丁寧で、

 いつもより確かだった。


 最後の音。


 一拍遅れて、

 大きな拍手が起こる。


 ハヤテは、

 スティックを置いて立ち上がった。


「……ありがとう」


 それだけ言って、

 深く頭を下げた。


 そのまま、

 顔をあげない。


「……おい」


 コウタが小声で呼ぶ。


「やばい」


 ハヤテが短く言う。


「何が」


 ヒナタが聞く。


「来てる」


 次の瞬間だった。


 ハヤテは俯いたまま、

 静かに肩を震わせた。


「……あ」


 コウタが慌てる。


「泣くつもりなかった」


 ハヤテは、

 必死に笑おうとする。


「ほんとに」


 ヒナタは何も言わず、

 そっと一歩前に出た。


 一拍。


「……おめでとう」


 それだけ。


 その一言で、

 堪えていたものが全部崩れた。


 ハヤテは顔を覆って、

 声を殺すように泣いた。


「無理……。

 こんなの……」


「主役だからだよ」


 コウタが小さく言う。


「今日だけは」


 ハヤテは、

 嗚咽混じりに言った。


「バンドで……

 ここ立つと思わなかった……」


 ヒナタは、

 少しだけ目を伏せる。


「立っただろ」


 ハヤテは何度も頷いた。


「……ありがとう」


「何に対して?」


 コウタが聞く。


「全部」


 少しして、

 ハヤテは無理やり笑った。


「ごめん」


「新郎、泣きすぎだろ」


「まあ、最初から分かってた」


 コウタが言う。


「お前、こうなるって」


 ヒナタが最後に言う。


「だから、

 ここでやったんだ」


 そのまま、

 小さく笑う。


 ハヤテは、

 赤い目のまま深く息を吸った。


「……次は」


 二人が見る。


「次は、

 泣かせる側な」


「やめろ」


 コウタが即座に突っ込む。


 三人の笑い声が、

 式場に戻ってきた。


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