顔合わせ
「では、そろそろ」
玄関で、空気が少しだけ張り詰める。
コウタは姿勢を正した。
失敗はしていない。
手土産も渡した。
挨拶もした。
食事の席でも、
変な間は作らなかった。
仕事の話。
生活の話。
これからの話。
一つずつ、
ちゃんと順番に終えた。
大丈夫だった。
そう思った、
その時だった。
あかりが、
靴をひっかけて、一瞬よろけた。
「あーちゃん! 危ない」
反射だった。
考える前に、口と身体が動いていた。
一瞬。
時間が、止まる。
コウタ自身が一番驚いた顔をしている。
「……っ」
あかりの両親の視線が、静かにコウタへ向く。
「あ、えっと」
言い直そうとして、
言葉が見つからない。
沈黙。
ハヤテはいない。
ヒナタもいない。
ここでは、言い直しがきかない。
母親がふっと笑った。
「その呼び方、普段から?」
コウタは観念したように、息を吐いた。
「……はい」
「外では使わないつもりでした」
一拍。
「でも、つい」
母親は、一度だけ頷いた。
「大事にしてくれているのが、伝わります」
その言葉に、深く頭を下げる。
あかりと目が合い、小さく笑う。
玄関を出て、少し歩いたところで、
コウタはようやく足を止めた。
「……無理」
思わず、その場にしゃがみ込む。
「出た」
「忘れてほしい」
コウタは本気で呟く。
「人生で一番忘れてほしい数秒だった」
スタジオ。
機材を片づける音の合間に、
コウタが珍しく黙っていた。
ハヤテが先に気づく。
「……なにその顔」
「暑いだけ」
「今、冬だぞ」
「……」
ヒナタが、ちらっと見る。
「失敗したな」
一拍。
コウタは、視線を逸らしたまま言った。
「……顔合わせ、行ってきた」
「お」
ハヤテがすぐ食いつく。
「で?」
「で、じゃない」
「いや、で、だろ」
コウタは一度、深く息を吸う。
それから、早口で言った。
「出た」
ハヤテが止まる。
「は?」
「何が」
ヒナタが、静かに確認する。
「……呼び方」
コウタは、黙って頷いた。
耳まで赤い。
「うわ」
ハヤテが声を上げる。
「一番やるなって言ってたやつ」
「気をつけてた」
「みんなそう言う」
「ほんとに、気をつけてた」
コウタは少し声を荒げる。
「玄関で」
「玄関で?」
「……帰り際」
一拍。
ハヤテが、耐えきれずに笑う。
「一番油断してるタイミングだろ」
「違う」
「違わない」
ヒナタが淡々と聞く。
「何て言った」
一瞬、間が空く。
コウタは、顔を覆いそうになるのを耐えて、
ほとんど聞こえないくらいの声で呟いた。
「……あーちゃん」
一拍。
ハヤテが吹き出す。
「甘々じゃん」
「口が滑った」
「親の前で一番距離近いやつ出してる」
コウタは、もう反論しない。
「……終わったと思った」
「で?」
ハヤテがにやにやする。
「お母さん、笑ってた」
ヒナタが小さく頷く。
「助かったな」
「助かったけど」
コウタは、机に視線を落とす。
「顔、真っ赤だった」
「今もな」
「うるさい」
ハヤテは肩をすくめる。
「まあ」
一拍置いて、
「でも、それ聞いて安心したわ」
「何が」
「ちゃんと呼ぶくらい、大事ってことだろ」
コウタは何も言わなかった。
代わりに、
耳まで赤いまま、
小さく息を吐く。
ヒナタが、ぽつりと言う。
「……だから言っただろ」
「何を」
「考えすぎる方が危ないって」
ハヤテが笑う。
「次は?」
「次はない」
即答。
「もう一生、気をつける」




