69. 好きだから
扉が開いた。
部室の白い扉の向こうに姿を現したのは、織田 空だ。
琉生の姿を見つけると、ぱあっとその顔が明るくなる。
すごく嬉しそうだし、幸せそうだ。
その笑顔につられて、琉生も幸せな気持ちになる。
なぜかこの頃、彼女は、笑顔がすごく多い。しかもその笑顔がキラキラして見える。
一生懸命で前向きで、生き生きした表情で話す。
1分1秒をくまなく全部楽しもうとしているような、そんな空気感をまとっている。
琉生は、そんな彼女が眩しくて、ドキッとしてしまうことが、よくある。
(なんか、いいな。素敵だな)
正直、そう思う。
そして、少し気になってしまう。
彼女の笑顔がこれほど素敵なのは、なぜなんだろう。
前からホッとする笑顔だと思っていたけれど、最近の輝きは、以前と何かが違う。
彼女は、一部の派手目な生徒のようにメイクをしているわけでもない。制服姿しか見たことがないから、着るものが変わったわけでもない。髪は中学で初めて会ったときはロングで、今はセミロングとショートの間くらい。それもよく似合っているが、全体として、控えめな印象は前と変わらない。
それなのに、なぜか目が自然と引き寄せられる。
琉生は、ふと気がつくと、いつも目の端で彼女の姿をとらえているのだ。
なぜだろう?
表情や声や話し方のせいなのか。
気にはなるけど、まさか本人に、
「この頃キラキラして見えるけど、なんで?」なんて訊くわけにもいかない。
ついこの前、日帰りキャンプのバス座席のくじで、琉生は、往復とも彼女の隣を引き当てた。
シンプルに嬉しかった。キャンプの日に仕事が入らないことを図書館の神様に全力で願おうと思っているほどだ。
想太が琉生の真後ろで、その隣は佐藤だ。彼は織田の真後ろの席だ。
放課後、教室に掲示された座席表を琉生が見ていると、偶然教室に入ってきた佐藤が、
「なんか、ずるいよな。往きも帰りもなんて」
ひとり言のように、ボソッとつぶやいて、琉生の方にちらりと視線をよこしてきた。
「……替わらへんで」
わざと関西弁で、すました顔で琉生が言うと、
「ふふん。こっちは毎日隣やから……たまには譲ってやる」
佐藤が、余裕の笑顔で言い返してきた。
「そうや。ほんまにずるいのは、おまえや」
関西弁で、半分笑いながら琉生は返す。関西弁の響きが、ほんわりと言葉をやわらげてくれる。
最近、琉生と佐藤は、周りに誰もいないとき、そんな会話をすることがある。
とくにお互いの気持ちを打ち明けあったわけではない。ただ中学からの付き合いなので、お互いの言動でわかってしまった。
主語や目的語を省いて話していても、誰かさんのことだと、お互いちゃんとわかっている。
もちろん、その誰かさん自身は、自分のことで、琉生と佐藤がそんな会話をしているとは、まったく気づいていなさそうだが。
今日も、キラキラ元気な笑顔で部室に入ってきた空が言った。
「琉生くん、もう来てたんやね。物理の先生のとこに質問行くっていうてたけど、早かったね」
「うん。質問、行ったけど、今日は会議があって時間ないからって」
「そっか……。残念やったね。あ、でも、どんな質問か教えて? 私最近、物理に目覚めたから、少しお手伝いできるかもしれへん」
織田が目を輝かせる。
「そう? えっとね。この問題なんだけど……」
琉生のすぐ近くで、空が一緒に問題集をのぞきこむ。
「あ。うんうん。まかせて。これ、バッチリ説明できると思う」
「ほんと?」
自信たっぷりの言葉通り、空が嬉しそうに説明をはじめる。
「え~と。あのね。考える手順としては……」
彼女が、罫線のないノートを広げて、そこに書き込みながら、説明をはじめる。
前に、琉生がノートの使い方をアドバイスして以来、彼女は数学や物理、化学など、理系科目がけっこう好きになってきたのだという。
「得意とは言われへんけどね。でも、考えるのが面白くなってきてん。それも琉生くんのおかげ」
空の解説はわかりやすくて、琉生の疑問はスッキリと解決した。
「ありがとう。よくわかったよ。ほんとにバッチリ」
琉生がほほ笑むと、その笑顔に応えるように、空も嬉しそうに笑う。
(そう。この笑顔がいいんだよな)
心がゆっくり解ける感覚を琉生が味わっていると、部室の扉が開いた。
「こんちは~。……お。藤澤氏。お。納言」
同じ1年部員で、隣のクラスの松尾だ。
彼は、琉生のことを、“藤澤氏”と氏をつけて呼ぶ。そして、スポーツフェスティバルで清少納言の扮装をした空のことを“納言”、同じときに紫式部の扮装をした2年の満田のことは、式部先輩と呼んでいる。
「お。芭蕉」
彼自身は、松尾芭蕉に扮して以来、“芭蕉”と呼ばれることが多い。本人もそう呼ばれるのが気に入ってるらしい。
「今日の科目は、何かな?」
松尾がニコニコしながら、ノートをのぞきこんでくる。
「おお。物理。しかもなかなかハードそうな問題で。……ところで、その問題終わったら、英語で質問あるんだけど、藤澤氏、教えてくれる?」
琉生の英語力の高さは、かなり広く知られている。話す聞く書く読む、いずれにおいても、学年トップなのだ。想太もそれに並んではいるが、彼は、それ以上に、数学のセンスの高さで知られている。
「いいよ。こっちはもう終わったから。見せて」
松尾が差し出したのは、大学入試で出題されたことのある、ハイレベルな長文問題だ。
文芸部の普段の活動は、部員がある程度のメンバーが揃うまでは、こうやってみんな宿題をしたり、質問し合ったり、自習タイムになることが多い。
松尾は、古文と歴史に関する知識が豊富だ。
他のメンバーも、みんなそれぞれに好きな得意分野を持っている。
“好き”だから、“知りたい”。
“知りたい”をどんどん追求していくと、ますます知識が深まり、面白さも楽しさも倍増する。
役に立つかどうかなんて関係ない。ただ好き。その想いで動いているのだ。
以前、琉生は、何かの分野について傑出したスーパー小中学生が登場するテレビ番組に、ゲスト出演したことがある。その小中学生の知識量と情熱は凄まじく、MCやゲストの大人達も、もちろん琉生もとにかく圧倒された。
“好き”のエネルギーをそのまま、真っ直ぐ “知る”ことに注ぎ込む彼らの姿は、めちゃくちゃカッコいい。
何かについて、オタクだと胸をはって言える人は、こんなにも輝いて見えるのだと、思った。
番組の中で、MCの人が、琉生のことを『アイドルデビュー目指して情熱を持ってがんばっている』と紹介してくれたとき、琉生は少し考えてしまった。
MCの人が言ってくれたように、自分だって、情熱的に取り組んでいるのは確かだ。
でも、何かが違う気がする。
彼らの情熱と、自分の情熱。
何が違うのか。
その番組で紹介された小中学生達のスタート地点は、“好き”だから“知りたい”。
役に立つかどうかなんて関係ない。ただ好き。ただ知りたい。その想いの熱さ、強さ。
それは、すごく純度の高い、“好き”と“情熱”で、松尾や他の文芸部のメンバー達とも通じるものがある。
じゃあ、自分はどうなんだ?
何かをやるときに、まず頭に浮かぶのは、アイドルとして役者として表現者として、役に立つかもしれない。そんな想いがあることを否定できない。
好きだから、だけで突っ走っているわけではない気がする。
打算、と呼ぶほどではないにしても。役に立つかどうかを頭の中で計算している気がする。
それが、琉生にはコンプレックスなのだ。
以前、松尾と話しているときに、そんな話題になったことがあった。
松尾は、琉生の言葉にうなずきながら、
「それがオタク、なんだよね、きっと。役に立とうが立つまいが、好きだからやらずにいられない。でも、藤澤氏だって、好きだから、今の仕事、続けてきてるわけでしょう? それも小学生のときからずっと。同じだと思うけどな。純度の高い“好き”と“情熱”があるから、それのために、いろんなこと勉強してるわけでしょう。すぐ役に立つかどうかわからなくても」
松尾の言葉が、すうっと琉生の心に入ってくる。
「そっか……。同じか……」
琉生は、自分がずっと抱いてきたコンプレックスが、松尾の言葉で、すこし解消されていくような気がした。
そうか。自分も、オタク、のひとりなのか。
憧れていた、純度の高い“好き”と“情熱”は、自分の中にも、ちゃんとあるのだ。
まるで、探し回っていた青い鳥は自分の身近なところにいた、という物語みたいだ。
松尾が差し出した長文問題は一文がとても長くて、かなり読みにくい。
それでも、自分を挟んで両側にいる、松尾と空の2人と言葉を交わしながら、読み解いていくのが楽しい。
単位を取るためだけじゃなく、ごく普通に高校生として過ごせる、こんな時間が琉生には貴重だ。
そして、空がいることも含めて、文芸部は、今では琉生の大事な居場所になりつつある。




