【番外編7】ヴァーリックのお客様と無自覚な恋模様
その日、オティリエは仕事のために城を駆け回っていた。
(思ったよりもスムーズに進んでよかったわ)
部署間の業務調整を行うため、心読みの能力をフル活用したオティリエは、無事に任務を成し遂げられたことにホッとしていた。と、執務室のプレートをじっと見ている男性の存在に気づき、ふと足を止める。
背中まで広がる鮮やかな髪に、黄緑色のどこか優しげな瞳。美しく整った目鼻立ちと、爽やかで力強さを感じる表情。
(なんでだろう? どこかで見たことがあるような……)
オティリエがそんなことを考えていると、男性のほうから心の声が聞こえてきた。
【あれ? この辺だと思ったんだけどな。以前来たのは随分前だから……】
どうやら彼は道に迷っているらしい。だったらと、オティリエは身を乗り出した。
「お困りですか? よろしければ私がご案内しますよ」
「……! いいんですか?」
男性が嬉しそうに目を細める。
「ええ、もちろん」
オティリエが言うと、男性は「ありがとうございます」と返事をした。
【それにしても、どうして俺が道に迷っているとわかったんだ? あまり表情や仕草に出さないようにしていたんだけどな。プレートを見ていたのも極短時間だったし】
という心の声とともに、男性の視線がゆっくりと動く。そして、オティリエの瞳のあたりでふと止まった。
【ああ、なるほど! 彼女が噂の……】
「え?」
オティリエが思わず声を上げる。すると、男性はオティリエの手を恭しく握り、そっと触れるだけのキスをした。
「美しいお嬢さん、よろしければ俺をヴァーリック殿下の執務室に連れて行っていただけますか?」
「ヴァーリック様の執務室に?」
返事をしつつ、オティリエは目を丸くする。
(ええっと、ヴァーリック様には今日、来客予定はなかったはずだけど……)
ヴァーリックはとても忙しい。他の部署の文官たちも【アポを取るのが難しい】と心のなかで嘆くほどだ。
そんなヴァーリックのスケジュールは補佐官――主にエアニーが厳重に管理している。毎朝のミーティングの際に面会予定があれば周知されるし、オティリエもそれを念頭に動くようにしているのだが。
(どうしましょう……この人を執務室にお連れして大丈夫かしら?)
今更ながら、もしも不審者だったらどうしようと勘ぐってしまう。だが、城の中央まで入ってこれるぐらいだから、怪しい人物というわけではないだろう。だからといって、アポのない来客を入れられるかどうかはまた別のお話で……。
「なるほど、あいつが気に入るわけだ」
考え事をしているオティリエの隣で、男性がクックッと笑いながら目を細める。それからオティリエに向かってスッと手を差し出した。
「だったら、俺と一緒にテラスへ出ない?」
「え? ですが……」
「ヴァーリックのところに連れて行ってもらう前に、俺が君の信頼に足る人間か先に見定めてもらうのがいいと思って」
茶目っ気たっぷりに笑う男性に、オティリエの頬が少しだけ赤くなる。
迷うまもなく、オティリエは男性に手を引かれてテラスへと出た。
「あの、申し訳ございません。本当はすぐに執務室へご案内すべきなんでしょうが……」
テラスのベンチに並んで座ると、オティリエはすぐに謝罪をした。自分の迷いがバレてしまったことが後ろめたかったのだ。
「全然。むしろ、さすがはヴァーリックの補佐官だと思ったよ。知らない男性を自分の上司のところに連れては行くのは抵抗があるよね」
「自分の上司って……私のことをご存知なんですか?」
「オティリエ嬢だろう? 最近補佐官になったっていう」
男性は微笑みながらオティリエを見つめる。
「実を言うと、今日ここに来たのも君に会うためなんだ」
「私にですか?」
「ああ。ガードの固いヴァーリックが女性を補佐官に引き入れるなんて、余程のことだからね。一体どんな女性なんだろうと思って」
興味津々に見つめられ、オティリエは恥ずかしくなった。
(私のこと、ヴァーリック様から直接お聞きになったのかしら? いったいどんなふうにお話されたんだろう?)
想像すると、胸がドキドキと高鳴っていく。男性はふわりと目を細めると、オティリエの頭をそっと撫でた。
「聞いていたとおり、すごく可愛いね。上品で思慮深いし、ヴァーリックが気に入るのも納得だよ」
「あ、ありがとうございます」
オティリエの頬が一際赤く染まる。
(ヴァーリック様、私のことを褒めてくださっていたのかな)
そうだったら嬉しい――オティリエははにかむように笑った。
「そんな君に俺から提案があるんだけど」
「……? はい、なんでしょう?」
「俺と結婚しない?」
「え!?」
男性から両手を握って尋ねられ、オティリエは目を丸くする。
「結婚って、あの……」
「オティリエ嬢のことを気に入ってしまったんだ。君さえ良ければ――」
「ダメに決まっているだろう!」
と、オティリエの背後から声が響く。振り返るとそこにはヴァーリックとエアニーがいた。
「ヴァーリック様!」
「すまなかったね、オティリエ。こいつの質の悪い冗談に付き合わせてしまって。不快だっただろう?」
ヴァーリックは男性を押しのけてオティリエから引き離すと、大きなため息をつく。
「質が悪いだなんて失敬な」
「あの、こちらの男性は……?」
二人が知り合いだったことに安心しつつ、オティリエが尋ねる。すると、男性が微笑みながら身を乗り出した。
「自己紹介が遅くなってすまなかったね。俺はヴォルフガング。ヴァーリックのいとこだよ」
「ヴァーリック様の?」
オティリエは改めて男性――ヴォルフガングを見る。黄緑色の柔らかな印象の瞳や顔立ちなど、言われてみたら二人はよく似ている。オティリエは改めてヴォルフガングに向かって挨拶をした。
「自己紹介すらまだとは……大体、来るなら来るともっと早くに連絡をしろ。いとこのためとはいえ、都合をつけるのも大変なんだぞ」
エアニーがヴァーリックの後ろでコクコクと頷いている。急な予定変更の煽りを食らうのはエアニーだから当然だ。ヴォルフガングは苦笑いをしながらエアニーに向かって両手を合わせた。
「連絡が直前になったのは悪かったと思ってるよ。だけど、俺が会いたかったのはおまえじゃなくてオティリエ嬢だし、元々ほんの少し顔を出して終わりにするつもりだったんだよ」
「それがどうして求婚に繋がるんだよ! オティリエに失礼だろう?」
ヴァーリックの眉間にシワが寄る。ヴォルフガングは一瞬目を丸くし、声を殺して笑いはじめた。
「オティリエ嬢の事情を考えたら、俺との結婚が最適解じゃないかと思ったんだよ。うちは公爵家で権力もあるし、補佐官の仕事は激務だろう? ずっと続けていくのは大変だろうと思ったんだ」
どうやらヴァーリックはイアマとの関係も含めて、ヴォルフガングに説明をしていたのだろう。オティリエは唐突な求婚の理由がわかって少しだけホッとした。
「そもそも、おまえはオティリエ嬢のなんなんだ? 口出しできる立場じゃないだろう?」
「そ、れは……」
ヴァーリックはバツの悪そうな表情でチラリとオティリエを見る。オティリエは思わずドキッとしてしまった。
(ヴァーリック様は私の命の恩人で、大切な上司で……)
けれど、結婚といった個人的な話に口出しできる立場かというと、そういうわけではない――かもしれない。
(だけど――)
「オティリエは僕の大事な補佐官だよ。だから、いなくなったらすごく困る」
ヴァーリックはそう言ってオティリエを見つめる。あまりにも真剣なその表情に、オティリエの心臓が大きく跳ねた。
(どうしよう、すごく嬉しい)
もしも「オティリエの好きにしていい」と言われたらどうしようと思っていた。だが、ヴァーリックはオティリエを必要としてくれている――そう感じられたことがオティリエはとても嬉しかった。
「仕方がない。ヴァーリックがそこまで言うなら諦めるか」
ヴォルフガングがため息をつく。それから彼はオティリエの耳元に唇を寄せ「今はね」と囁いた。
「今は、じゃない! 今後も絶対ダメだからな」
赤くなったオティリエをヴァーリックが思わずと言った様子で抱き寄せる。その瞬間、オティリエの心音がそれまでの数倍早くなった。
「ははっ」
ヴォルフガングが笑う。
【これで無自覚なのか。可愛いやつ】
(無自覚?)
一体なにを自覚していないのだろう? オティリエはヴォルフガングの心の声に戸惑いつつも、そっと目を細めるのだった。




