白い神の骸
宇宙は、 静かすぎた。
砕けた惑星。
漂流する艦隊残骸。
光を失った恒星。
人類が銀河へ進出して二千年。
戦争は文明を進化させず、 ただ静かに腐らせた。
そして今。
銀河では、 “神の死骸”が漂っている。
人類はそれを、 深白鯨と呼んだ。
恒星を喰らう超巨大生命体。
純白の体表。
惑星規模の骨格。
銀河航路に現れては、 文明ごと飲み込み、 何も残さず去っていく。
誰も正体を知らない。
ただ一つ分かっているのは――
深白鯨が現れた宙域では、 必ず“人類が滅ぶ”ということだった。
辺境宙域、 第九屍環銀河。
そこには今も、 一頭の深白鯨が眠っていた。
死んだ恒星を胸に抱えたまま。
まるで。
宇宙そのものの墓標みたいに。
その骸の側を、 一隻の戦艦が航行している。
艦名――《黒玻璃》。
旧式戦艦。
全長二十七キロ。
装甲損耗率六十九%。
主砲半壊。
だが。
その艦を見た者は皆、 同じ名で呼ぶ。
――亡霊艦。
「統制軍艦隊、第四包囲軌道へ侵入」
オペレーターの声が震える。
正面モニター。
三千隻を超える艦影。
銀河統制軍。
人類最大戦力。
対するこちらは、 たった一隻。
普通なら、 三秒で終わる戦力差だった。
だが。
艦橋中央に立つ男だけは、 静かだった。
長い銀髪。
黒い軍服。
痩せた横顔。
そして。
夜の海みたいな瞳。
男の名は――
神代 黎。
辺境独立艦隊司令。
銀河史上、 最も多くの艦隊を沈めた男。
そして。
“鯨殺し”。
「避難船は」
黎が静かに尋ねる。
「……離脱率五十二%」
「遅いな」
「敵封鎖速度が予測を超えています!」
「そうか」
それだけだった。
怒りもしない。
焦りもしない。
ただ。
静かに宇宙を見ている。
窓の外。
深白鯨の骸。
白すぎる骨格。
惑星より巨大な眼窩。
その奥で、 死んだ恒星がまだ燃えていた。
まるで。
神の心臓だった。
「主砲起動」
艦橋が凍る。
副官が振り返った。
「……真正面から行く気ですか」
「民間船が逃げ切るまで時間を稼ぐ」
「無理です!」
「知っている」
「敵は三千隻です!!」
沈黙。
黎はゆっくり目を閉じる。
「だから俺が行く」
誰も言葉を返せなかった。
その時。
通信士が叫ぶ。
「統制軍旗艦より回線接続!」
空間モニターが開く。
映し出された男を見た瞬間、 艦橋の空気が変わった。
白い軍服。
蒼い瞳。
整いすぎた顔。
だが。
その目だけは、 死人みたいに冷たい。
『久しいな、黎』
低い声。
黎だけが少し目を細める。
「……灰堂」
男の名は、 灰堂 アルクト。
銀河統制軍総司令。
人類最強の提督。
そして。
神代黎が、 唯一殺せなかった男。
『まだその棺桶に乗っているのか』
「落ち着く」
『変わらんな』
灰堂は少し笑った。
だが。
その笑みは、 ひどく疲れていた。
『降伏しろ』
「断る」
『死ぬぞ』
「知っている」
沈黙。
深白鯨の骸が、 窓の外で静かに漂っている。
灰堂がゆっくり目を伏せる。
『お前は昔からそうだ』
黎は答えない。
『誰かを守る時だけ、自分を人間扱いしない』
艦橋が静まり返る。
誰も動けない。
黎はゆっくり振り返る。
「全砲門開放」
「敵旗艦へ照準固定」
副官が絶句する。
「突撃する気ですか!?」
「そうだ」
「自殺です!!」
黎は少しだけ笑った。
悲しい笑みだった。
「……人はな」
深白鯨の白骨。
燃える死星。
銀河の闇。
その全てを見つめながら、 黎は小さく呟く。
「何かを喰わなきゃ、生き残れない」
その瞬間。
三千隻の艦隊が一斉砲撃を開始した。
宇宙が白く裂ける。
数千の閃光。
死の奔流。
銀河そのものが燃え始める。
だが。
神代黎だけは、 静かに前を見ていた。
「総員――」
艦橋全員が息を止める。
黎は小さく呟く。
「生きろ」
次の瞬間。
《黒玻璃》が、 深白鯨の骸へ向かって突撃した。




