贄決めの儀式
読みに来てくださってありがとうございます。
設定としては、平安時代中期の摂関政治の頃に相当する異世界です。
10分後に、第2話を投稿します。
よろしくお願いいたします。
儀式の今日、これまで降り続いていた雨がやんだ。久しぶりの太陽の光を受けて鮮やかな緑に囲まれた湖は、空を移したような青に太陽の金色をきらきらと映して……。
この鬼族の里はなんと美しいのだろうか。
そんなことをしみじみと感じていた時、前方ではっと息を飲む音がして、沙羅は現実に引き戻された。
鬼族のお頭が湖畔に立っている。お頭の頭には、誰よりも大きな角が生えている。角の大きさと形の美しさは、鬼の力の強さと関係がある。かの有名な酒呑童子などは、大きな角が五本生えていたと聞く。
お頭は鬼神に祝詞を唱えた。そして小さな紙きれを収めた籠を、さざ波立つ湖水に静かに沈めた。紙切れには、里の者の名が一枚に一名ずつ書かれている。水の中に沈められた後、籠から飛び出した紙が次々に湖面に浮き上がり、やがて水を吸って湖の底に沈んでいく。
人々は、食い入るようにその紙が沈んでいくのを見守り続けた。
たくさんあった紙も、気づけば五枚だけになっている。
やがて一枚、また一枚とゆっくりゆっくり沈んでいく。
残り二枚となった。時間が止まったように感じられるほど空気が重くなる。
「あ」
誰かが声をあげた。沙羅は息を飲んで湖面を見た。二枚の内の一枚がずるずると引きずられるように湖底に沈んでいく。お頭の手が、残っていた一枚を拾い上げた。じっとその紙を見つめた後、一度目を閉じ、そして深く息を吸ってから叫んだ。
「今年の送り鬼は、沙羅である!」
隣に立っていた双子の姉の伽羅が、沙羅をぎゅっと抱いた。周囲からは自分、あるいは自分の家族ではなかったことに安堵する声が聞こえる。沙羅は目を閉じた。
私が、選ばれた……今年の送り鬼、つまりは生贄に。
「どうして、私、一人になってしまうじゃない……」
伽羅が震えながら私にしがみついている。両親の死後、二人で必死になって生きて来たのだ。母の胎の中にいた時から片時も離れたことはなかったのに、最初の離れが永の別れになるなんて……沙羅だって予想していなかった。
「伽羅を一人残すことになってごめんね。でも私が行けば、送り鬼として伽羅や今後伽羅にできるはずの家族が名を呼ばれることはないわ。それに、私は『角なし』だもの。ここにいても嫁げないだろうし、そうなったら伽羅にも迷惑をかけてしまう。だから、鬼神様は私を送り鬼にお選びになったんだと思うわ」
儀式が終わったことで、鬼たちは喜びながら各々帰ってしまった。残っているのは沙羅・伽羅姉妹とお頭たちだけだ。お頭は静かに沙羅たちに近づくと、沙羅に頭を下げた。
「沙羅、すまない。だが、人間界に鬼を送らねば、鬼族の里に子が産まれなくなる」
「承知しております。どうか、伽羅のことをお願いします」
「わかった。伽羅。伽羅さえよければ、俺の所に来ないか?」
「え?」
「妻として、俺の所に迎えたい」
ズキン、と沙羅の胸に痛みが走った。沙羅も伽羅も、お頭に淡い思いを抱いていたのだ。同じ顔ではあるが形のよい角を持つ伽羅と角無しの沙羅では、どちらが美しいかなんて判断するまでもない。先代のお頭だった父と鬼族の里に迷い込んだ人間の母との間に生まれた双子の沙羅たちではあったが、角のない人間の形をした沙羅は、鬼としては欠陥品なのだ。
どれほど醜い者扱いされても、伽羅は沙羅を大切に思っていた。両親亡き後、今のお頭や近所の家だけは、角無しだからと沙羅を蔑むことなく、姉妹が生きていけるように手助けしてくれた。送り鬼になった瞬間、伽羅のことが唯一の心残りになると心配した。だが、お頭が伽羅を娶ってくれるなら、もう思い残すことなどない。
私の命で里に子どもが生まれるのなら、役に立てて本望だ。
角無しの私に妻問するような鬼など、いないのだから。
「よかったね、伽羅」
「でも、沙羅……」
言ってはだめよ、と沙羅は人差し指を伽羅の唇に押し当てた。角無しである沙羅の思いなど、通じることなどないと最初から分かっていたことなのだ。
「伽羅、幸せになってね」
そのまま沙羅はお頭の屋敷に連れていかれた。節分の今夜、沙羅は人間界に送り込まれる。その準備のために、お頭の屋敷ある送り鬼用の別棟に入るのだ。
以前この邸に、沙羅もお頭の娘として住んでいた。その時、泣きながらその部屋に引きずられていく鬼たちを何人も見た。恐ろしい場所だと思っていたのに、いざ自分がその部屋に入ることになった時、全く動揺していないことに我ながら驚く。
部屋の隅に一人座り、障子を開けて庭を見た。雨に洗われた庭と山の木々の緑が美しい。太陽がぎらぎらと光り輝く様からは秋などまだまだ遠いように感じられるが、暦の上では確かに今日と明日で季節が変わる。
鬼族の里から見て秋の節分の日(人間界では春の節分の日)に人間界と鬼族の里の結界が緩んで互いの世界に通じる扉が開く。その時鬼族の里から人間界に暑気が、そして人間界から鬼族の里に冷気が入り、人間界は冬から春に、鬼族の里は夏から秋へと季節が変化する。
季節を進めるためのこの儀式は季節ごとに四度行われるが、なぜ秋の節分の時にだけ鬼が人間界に送られるのか、誰にもわからない。この鬼の里の世界神である鬼神と人間界の神たちがどのような取り決めをしたのかなど、沙羅になどわかるはずもない。
大昔に一度だけ、当時のお頭が鬼を送らなかったことがあったと聞く。その年、冬に雪は降らず、春に水が出ず、夏に食糧不足になり、子どもは誰一人生まれなかったそうだ。それを機に、秋の節分の日の送り鬼は「止むべからざる事」とされている。
「沙羅さん、今、いいかしら?」
考え事をしながら庭を眺めていた沙羅に、お頭の母君が廊下から声をかけて来た。
「はい、どうかなさいましたか?」
「これを、沙羅さんに渡しておきたくて」
母君が、畳んだ手ぬぐいの上に置いてついと差し出してきたものに、沙羅は見覚えがあった。
「これ、まさか」
「ええ。沙羅さんのお母様と私が親しくしていたことは沙羅さんも覚えているでしょうが、これ、お友だちの印としていただいたものなの。伽羅さんがお嫁さんに来るというから伽羅さんに渡すことも考えたのだけれど……沙羅さんが人間界に行くなら、元の世界に戻してあげてほしいの。そして、あなたのお婆様のお墓に供えてあげてほしい。そして、この鬼族の里でお頭の妻として生きたって、報告してもらいたいの」
「でも、私は」
「沙羅さんには、生きてほしいの」
「……どうして、ですか?」
「あなたのお母様は、あなたのお父様と一緒にいられて幸せだったと思うわよ? でもね、命からがら逃げて、気が付いたら人間界から鬼族の里に来てしまった彼女は、それでもきっと心のどこかで元の世界に帰りたいと思っていたと思うの。時々、どこを見るでもなく、空を見上げて『帰りたい』ってつぶやいたことがあったから。その人間界に、娘の沙羅さんが行くことになった。あなたのお母さんの『元の世界に帰りたい』という思いを、あなたが代理で叶えてもらえないかしら?」
思いがけない言葉に、私は何も言えなくなる。
「生き延びる方法はあるはずよ。だって、あなたのお母さま言っていたわ。人間界の山奥には鬼がいるって聞かされたとか、鬼に村が襲撃された話も聞いたことがあると言っていたわ」
生贄として人間に殺されずに、生き延びた鬼がいるの?
沙羅の頭の中が、ただただ混乱していく。
母君が手ぬぐいの上に置かれた平打ちの簪にそっと触れた。丸い部分に、模様が描かれている。
「これ、彼女のお父様の家の印だそうよ」
「印?」
「ええ。家紋っていうんですって。これを持っていることで、自分がどこの家の者かを証明するそうよ。だから、よその家の者には絶対に与えてはいけないんだって」
「証明ですか」
沙羅はそっとその簪を手に取った。優美な蝶が二羽、向かい合うように配置されている。黒い地に金色の蝶。これがどんな技術で作られているのか、鬼族の里にはないものだ。
「でもね、例外があるんですって」
「例外? 家族以外にも渡すことがあるということですか?」
「ええ。家族と言うと、家どうしで取り決めをし、縁組して、書類も出して、やっと皆から認められたものになるでしょう? でもね、家族以外に自分の血を分けた子がいる場合、その子を自分の家に家族としては迎えられない。そういう子どもに、出自をそれとなく示すために渡すんですって」
「迎えられない子ども?」
「人間界は、鬼族の里とは異なる決まりで社会が成り立っているそうよ。鬼族の里では、力がすべてに優先されるでしょう? でも人間界では、生まれながらの身分が重要視されるんですって。身分が高い者と低い者では、どんなにお互い愛し合っていても正式な夫婦になることはできない。だから、身分の合わない、でも心から愛する女性がいた場合、こっそりその女性を隠して子どもを産ませることもあるそうよ。もちろん、経済力のない者には無理な話なんでしょうけれどもね。あなたのお母様はね、身分差のあるご両親から生まれたって言っていたわ」
沙羅は顔を上げた。
「あなたのお母様は、正妻から差し向けられた者に追われたの。でも若い娘が暗殺者から逃れられるわけもない。切り殺される直前に目をぎゅっと閉じて、安心して暮らせる場所で静かに生きたかったと強く願ったそうよ。痛みが来ないのを不思議に思って目を開けたら、もう体は鬼族の里にあったんですって」
「母は、そんなふうにしてここに来たんですね」
「あなたたちが理解できると思えるまでは話さないと言っていたから、多分、何も話せずに逝ってしまったんじゃないかって思って……それも伝えたかった」
ぎゅっと簪を握り締めた。母の思いなど残っていても感じ取ることはできないが、それでも何か感じられないかと思ったのだ。
温かかった母。父とは相思相愛だった母。だが、もし、その母に望郷の思いがあったなら、そしてその願いを叶える千載一遇のチャンスなのだとしたら……。
沙羅の心の中に、「生き延びよう」という気持ちが芽生えてきた。
「この簪、必ず人間界に届けてきます」
沙羅は簪を懐に入れると、母君の前に両手をついた。
「伽羅のこと、よろしくお願いいたします」
「沙羅さん。伽羅さんのことは任せて。息子も私も、必ず伽羅さんを守るわ」
「はい」
母君が出ていった。その背中をじっと見送っていた時、チチチ、という鳥の声が直ぐそばで聞こえた。空を見上げると、小鳥が二羽、仲良く飛んでいる。
あれは、私と伽羅ではなく、伽羅とお頭。それでいい。
母の望みは、私が叶える。母が生まれた世界もじっくり見てやる。この世界に残すものは、もうない。
沙羅は母の形見の簪に触れた。なぜか「大丈夫よ」という母の声が聞こえたような気がした。
読んでくださってありがとうございました。
いいね・評価・ブックマークしていただけるとうれしいです!




