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第四話

 工房の扉を叩いたのは、拳の音ではなく、苛立ちを含んだふたつの蹴りの音だった。


 なだれ込んできたのは、体中を泥で汚した二人の少年だった。


 十歳そこらだろう。一人は燃えるような赤髪を逆立て、もう一人は理屈っぽそうな眼鏡を指で押し上げている。


 二人の間には、火薬庫に火を投げ込んだ直後の爆発によりすべてが燃え落ちた後のような、刺々しい沈黙が横たわっていた。


「マリアさん、こいつを分からせてやってくれ!」


 赤髪の少年が、汗ばんだ掌を突き出した。そこには、川原に落ちているのと大差ない、誰かのポケットの中で何年も忘れられていたような、妙に滑らかな黒い石が一つ転がっていた。


「これは僕が見つけた『竜の涙』なんだ。なのに、こいつは自分が先に触ったから自分のものだと言い張って、あげくのはてに僕の鞄から盗み出しやがった!」


「盗んだんじゃない、回収したんだ。所有権の発生は第一発見者に帰属する。君の鞄に入っていたのは一時的な不当占拠だ」


 眼鏡の少年が淡々と、しかし声を震わせて反論する。


「マリアさん、巻物の魔術で証明してくれ。この石に、どっちの指紋が先に付いたのか。……それから、こいつが持っている石が、僕の石をすり替えた『偽物』だってこともな!」


 マリアは羽ペンを置いた。その瞳は、少年たちが宝物と呼ぶ石には一度も向けられなかった。彼女が見ていたのは、眼鏡の奥で泣き出しそうな瞳と、赤髪の少年の、親友を殴るのを必死に堪えている震える拳だ。


「……正義の証明、ね。それは私が最も不得意とする依頼だわ」


 マリアは棚から、使い古された安物の羊皮紙を取り出した。


「いい? 一度術式を書けば、結果は覆せない。白黒つけた後で『やっぱり仲良く半分こ』なんて言い出すのは、処刑台の上で命乞いをするくらい無様なことよ。覚悟はできているの?」


 二人は顔を見合わせ、同時にはじかれたように頷いたあと、またお互いをにらみ返して、顔を蝶の羽のように離して見せた。


「わかったわ。じゃあ、裏へ来なさい。鑑定の術式には、あなたたちが二人きりになれる場所が必要なの」


 マリアはインク瓶を手に、少年の背中を追って外へ出た。


 工房の裏手にあるのは、隣の廃屋との間に挟まれた、陽の当たらない細長い空き地だ。


 湿った苔の匂いと、どこかの家の夕飯の支度の気配が混じり合った、街の吐息のような場所。


「その石を地面に置きなさい」


 赤髪の少年が、未練がましく石を中央に置いた。マリアが巻物を踏みつけると、地面に一本の、真っ直ぐな亀裂のような光の線が走った。


「この線から右は、赤髪くん。左は、眼鏡くん。石はちょうどその境界線の上に置いたわ」


 マリアは無機質な声で続けた。


「これから一晩、石をそのままにしておきなさい。あなたたちはこの場を離れてはならない。もしどちらかが境界線を一歩でも越えて石に触れようとしたら、その瞬間、石はただの砂利に変わり、触れた者の指は三日間、石と同じ色に固まるわ。……明日になれば、その石がどちらを選んだか、自然と答えが出る」


 二人は息を呑み、地面に引かれた光の線を見つめた。


「そんなの簡単だ。僕は一歩も動かないぞ!」


「僕だって。君が線を越えるのをここで監視してやる」


 二人は境界線を挟んで、数メートル離れた場所にどっかと座り込んだ。


 一時間が過ぎた。日は傾き、インクを零したような長い影が裏庭を浸食し始める。


 二時間は、沈黙の中に過ぎた。


 マリアは工房の窓から、じっと座り続ける二人を眺めていた。


 彼らは石を見守っているのではない。相手が卑怯な真似をしないかを監視しているのだ。その顔には、石を見つけた時の高揚感など微塵もなかった。


 やがて、眼鏡の少年が小さく呟いた。


「……腹、減ったな」


 赤髪の少年が鼻で笑った。


「弱音を吐くなよ。石が欲しいんだろ」


「……石は欲しいけど、晩飯のシチューの方が大事かもしれない。今日は母さんが、ハリスさんの家からお裾分けしてもらった肉を入れるって言ってたし」


「……奇遇だな。うちも今日はシチューだ。隣同士なんだから当たり前だけど」


 沈黙。


 光の線は、無情に二人を隔てている。


「なあ」


 赤髪の少年が、地面に指で円を描きながら言った。


「その石、よく見たらただの石だな」


「ああ。竜の涙にしては、少し角が丸すぎる。たぶん、ただの黒曜石の欠片だ」


「……鑑定するまでもなかったな」


 一人が立ち上がった。もう一人も、膝の泥を払って立ち上がった。


 二人は一度だけ、足元の「石」を見た。そして、境界線を跨ぐことさえ馬鹿らしくなったように、羊皮紙をぐるぐると巻くと、マリアのところにやってきて、気まずそうに口を開いた。


 言い淀む二人の少年を、マリアは制した。


「夕食はシチューなんでしょう? 冷めないうちに帰りなさい」


 少年たちは「はい!」と元気よく返事をして、来た時とは違う、優しさを含んだ元気な声を上げて工房を出ていった。


「おい、明日の朝、あの川の向こう側の崖に行ってみないか? あそこなら、もっとマシな石があるかもしれない」


「いいよ。でも、今度は見つけたらすぐ半分に割ろうぜ」


 二人の足音が遠ざかり、やがて楽しげな笑い声が夕闇に溶けていった。


 マリアは裏庭へ出ると、役目を終えて消えかかった光の線を跨ぎ、残された石を拾い上げた。それは、どこにでもある、ただの石だった。


 彼女は石を指先で転がし、そのまま塀の向こうの草むらへ放り投げた。


「……よかったわね」


 マリアは工房へ戻り、重いかんぬきを下ろした。閂は少し軽いように感じた。


 インクを洗い流した彼女の指先は、少しだけ、熱を帯びているようだった。


 さて、今夜は少しだけ手間のかかる料理でも作ろうか、とマリアは思った。

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