ロトの生きる術
今日から二日に一度のペースで更新していく予定です。
流石に出会ったばかりの、その上物置を閉じて見なかったことにしようとまでした他人に対して主食はなしで、などと言えるほど晴海は厚顔無恥ではなかった。自身の食事には出されなかった食パンをトースターに入れ、本日二度目の目玉焼きをバターを塗ったパンの上に乗せる。バターの香ばしい匂いが鼻孔を擽る。そうすると晴海もまた食パンを食べたくなって来て、結局自分の分のパンも焼いた。
目玉焼きトーストをロトの前に差し出し、ロトの向かいに腰を下ろす。それからいつものくせでテレビのリモコンに手を伸ばした。電源ボタンを押そうとして、しかし途中でそれをやめる。奇しくも今は一人きりではないし、そもそも晴海がロトに話をしなければならない状況だ。一人きりの寂しさを紛らわせるためにテレビをつける必要もない。
晴海の一連の動作を不思議そうにロトは眺めていた。そういえば中世にテレビのリモコンなどある訳がない。ロトが訝しむのも当然だと晴海は納得した。それだけでなく、トースターなどもロトにとっては珍しいのかもしれない。
――飽くまでもロトが異世界人であるという仮定の下で考えるのであれば。
とはいえ、それを否定する方が困難なのだ、といい加減この辺りで晴海は気が付き始めていた。何しろ話の全てに、一応筋が通っているのだ。
いただきます、と手を合わせてから食べ始めれば、ロトもパンに手をつける。食べるその所作も特別悪い訳でもなければ特別よいわけでもなく、晴海にはどこからどう見ても普通の青年にしか思えなかった。
一応は思春期と呼ばれる年齢の晴海だ。成り行きとはいえそんな風に異性と二人きりで取る食事に少しの緊張を覚えながらも、何とか口を開く。
「ええと、この国には戸籍っていうのがあって」
晴海のしどろもどろな説明をロトは大人しく聞いている。法治国家であり、契約重視の国家であることを伝えていく。ロトは首を傾げていたが、全てを理解してほしい訳でもないので細かく補足したりはしなかった。要は大まかに理解さえしてもらえればそれで構わないのだ。
「じゃあ俺はここで生きていくことができないのか」
心なしか、ロトは少しも悲しそうではなかった。というより、会ったときと同じ無表情を保ったままだ。表情が変わる瞬間をまだ晴海は見ていない。口が動いているのだから人形ではないのだが、それでも人形のような作り物めいた雰囲気をどうしても感じ取ってしまう。
晴海は一拍置いて深呼吸をした。先程思いついたロトがここで暮らしていくことが出来る方法。伝えなければならないことは分かっているが、晴海がそれを口にすることで、長年亮人を待ち続けた晴海の努力が今無に帰すような気がするから、心の準備が必要だったのだ。
「ロト、としては無理なんだけど、ちょうど隣の家によく似た名前の失踪人がいるわ」
ロトが日本にやってきたのは、十中八九その容姿のせいだろう。典型的な東アジア系の顔立ちだ。韓国あたりでも特に問題なかったのではないか、とも思うが、その辺りは次の理由が大きいのに違いない。
ロトが日本でも特に晴海の家にやってきたのは、その環境のためだ。晴海自身の両親は大阪住まいでここにおらず、隣人の夫婦はニューヨーク。隣人の息子は年単位で失踪しており、周囲に顔立ちを覚えているものなどいない。その上、亮人とロトとは偶然にも名前の響きが似ていて年の頃も同じ。ここまで来るとどうぞ入れ替わってくれ、といわんばかりの条件だ。逆に何か裏があるのでは、と尋ねたくすらなってしまう。
隣人の家の鍵など持っていないから、晴海が暫く家で面倒を見ていくことになるのだろうが、誰かに見つかったところで一人旅に出ていた亮人が帰ってきたのはいいが家に人がいないので晴海が自宅に置いている、といえばそれで済んでしまう話だった。
実際そうすることでこの地で生きていくことが出来ると思われて、ロトはこの場にいるのに違いなかった。これで彼が白人系の顔立ちだったなら、ロットだとかロッドだとかそういう名前の失踪中の人間がいるところにでも送りこまれていたのかもしれない。
「……あんたはそれでいいのか?」
晴海の言葉に何かを感じたらしい。ロトの言葉に、晴海はよくないよ、と心の中で言う。ロトに亮人として生きることを許してしまうのは、晴海すらもう亮人が帰ってこないということを認めてしまうことだ。ロトが亮人として名乗っていけば、誰もがロトを亮人だと思う。そうしたらいつか亮人が帰ってきたときに、亮人は行く場所をなくしてしまう。誰も本物を本物と思わなくなってしまうのだから。
だけれど、目前のロトを見捨てることも躊躇われたのだから仕方がない。そう、これは晴海の中では仕方がないことなのだ。子供の頃からずっと亮人に執着してきた晴海はそう断じた。もしかすると心の奥底では機会さえあれば亮人のことをいい加減諦めたいとどこかで思っていたのかもしれない。そう思わせるほどに、するり、とその言葉は出た。
「仕方がないから」
晴海がそうとだけ答えると、そうか、とロトが言った。
「じゃあ……恩に着る」
ロトが頭を下げたので、晴海もそれにつられるように頭を下げた。異世界出身のくせにその仕草が妙に日本人的だったため、晴海はつい笑ってしまった。それの理由が分からずロトは少し首を傾げたようだったが、すぐに別のことを尋ねてくる。
「まず何をすればいい」
晴海はそうね、と考えてから言った。
「まず服を何とかしなくちゃ」
そうか、と言ってロトが立ちあがった。その拍子にトースターのコンセントを踏みつけトースターが宙を舞う。漫画か何かかと思うほど鮮やかに空を掻いて、ごとんと音を立てて床に落ちたトースターをただ無感動な瞳で見ているロトに、晴海は頭を抱えたくなった。
洋服を買いに行くよりもしなければならないことがあったようだ。トースター程度ならそこまでの精密機器ではないが、それでもそんな風に文明の利器を片端から乱暴にされて壊されては堪ったものではない。
「先に現代日本の文明の利器を説明しなくちゃならないみたいね」
溜め息交じりに言葉を発した晴海に、分かっているのかいないのかロトは首を縦に振った。
――非常に不安だ。




