同窓生と面影
そんな風にある意味冷静に現実逃避をしていた晴海であるが、
「……並ぶ?」
と口にした真由の言葉に現実へと戻ってくる。少し声が強張っているのは、目の前の列に圧倒されたからだろう。他の二人がうん、と意を決したように頷き、またそもそも店内に入るのが目的であったので四人揃って列の最後尾に並ぶ。人口密度が高いせいか、まだ春だというのに少し蒸し暑さを感じるのは晴海の木のせいではないはずだ。晴海はそれだけで少し気分が盛り下がった。
確かに、店に入るにはこの行列の仲間入りをしなければならない。それは分かっているのだが、つい躊躇われるのはその列の長さのせいだろう。いくら日本人がこういった列に並ぶのを好む傾向にあるからと言って、流石にここまで長蛇の列に並びたいとも思わない晴海である。
もしここに一人で来ていたのなら、間違いなく行列を視界に入れた時点で、晴海はくるりと回れ右をしていたことだろう。個人個人で人数の妥協点など違うだろうが、晴海は十人を超えた時点で列に並ぶ気がしなくなる性質なのである。
これだから大衆迎合はよくないのだ、などと思いながらも、いくら一人でそんなことを考えたところで晴海自身が列に並べば傍からは同類だと思われるばかりだ。それが分かっているだけに、余計に晴海の気分は落ち込んだ。
一体どのくらい先になったら店内に入ることが出来るのか、皆目も見当がつかない。ロトを観賞するための行列なのだとしたら、客の回転率もあまりよくないかもしれない。晴海はまだ遠い入り口を眺めやってはぁ、と溜め息をつくのだった。
ところ変わって喫茶店内。
晴海が店の外に出来た行列に組み込まれていることなどつゆ知らず、ロトは忙しなく店内を動き回っていた。昼時は特に忙しい。店長とロト以外に店員はいない。そのためオーダーを取り、店長の淹れたコーヒーや簡単な軽食を席に運ぶまでが全てロトの仕事である。
「すみませーん、オーダーいいですかー?」
可愛らしい声を上げられ、ロトははい、と返事をして急いで用紙を手に取る。席番号をざっと記入してから席によれば黄色い歓声をあげられ、またか、とそれがどういう意味か分からないロトはただ困惑するしかない。
自分の容姿に頓着のないロトは、この混み具合を飲食店では当然のものとして受け取っており、それが自身に起因することなど知りもしない。だから黄色い声を上げられる理由も――より正確にはロトはそもそも女性を含めた人間の心の機微を、とまで言ってしまって構わないのだが――よく分かっていないのである。
急に繁盛し始めた店に、店長からは初めのうち苦言が呈されたが、それなりに店内が賑わっているというのは暫くすると店長には日々の充実を与えたようで店長の機嫌がよくなったことなども、ロトにはよく分からない。同性のことですらこうなのだから、異性ともなれば更にロトに馴染みのない話である。
かつて城にいたときだって、ロトは侍女などと接する機会などほとんどなかったのだから仕方がないといえば仕方がないわけだが、要するにロトにとって女性というのはよく分からない存在であった。
一緒に暮らしている晴海はまだロトの理解の範疇に収まっているが、この店に来店する女性達等もはやロトの理解の及ぶ範囲にはないのである。それはそれでロトの中で晴海が女性として勧請されていないということにもなるのだが、本人にはそういう認識すらないのだから仕方がないだろう。
そうして呼ばれた先に行ったところで、
「高木さんってもしかして高木亮人って名前ですか?」
などと言われ、思わずロトはオーダーを確認するのも忘れて客を見た。ロトは胸に名札をつけてはいるが、そこには高木としか書かれていない。ロト自身の本名ではないのだが、下の名前が知られているということは本物の『高木亮人』の知り合いではないか、と警戒したのだ。
「驚くってことは当たりなんだ。やっぱりーそんな気がしたんだ」
ロトの名前を当てたことが嬉しいらしく、少し頬を紅潮させてそんなことを言う若い女性客は、晴海よりいくらか年上だろうか、とロトは推測する。内巻きの茶髪がよく似合っている女性だ。
「覚えてない? クラス一緒になったことなかったもんね。私中学の時の鈴木。ほら、1組にいたんだけど」
女性の言葉に、もし何かロトが知らない話をされたらどうしようかと思ったのだが、その言い方からしてほとんど女性との接点はなかったらしいことをロトは悟った。内心でほぅ、と安堵の息をつきながら、
「全く。注文は何になさいますか?」
さらりとロトは悪びれずに言った。実際ロト自身も『高木亮人』としても知らないのだから問題はないし、晴海の友人でもないのだから、まともに対応する必要もない。客に対するそれだけで十分だ。
ロトの素っ気ない言葉に、己の想像した反応と違ったのか女性は少しがっかりした様子を見せたが、すぐにま、いっか、などと口にして、ミルクティーをオーダーする。アイスかホットかと問えば、ホットで、と返ってきたので、さらさらとミルクティーの略号を紙に書きこむ。
初めのうちは文字を書くのに慣れなかったが、混んでいる店内ではいくつものオーダーを取らなければならない。偶然のたまものではあるのだがそれが文字の訓練のような形となって、今ではロトの書く字は大分マシになってきた。元の世界で字など書いたことのないロトからすれば、少し自画自賛したくすらなる。
そうしてその席を離れようとしたところで、ロトは女性からもう一言言葉をかけられた。
「中学卒業してから会ってなかったけど、なんとなく面影があるような気がするね」
その言葉にロトは苦笑した。ロトは高木亮人の名を名乗ってこそいるが、その実全くの別人だ。そもそもにして面影などあるはずもない。それとも似ていると思って見れば、それなりにどこかしら共通点を見つけ出してしまうものなのだろうか。
とにかく彼女には一言も答えずにただひらりと手をひらめかせ、ロトは今度こそ厨房へと向かった。




