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流刑のロト  作者: 野山日夏
日本編(春休み)
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初めて覚える感情は

 家に残されたロトは、家の中を振り返った。当たり前だが、ロト以外には誰もこの敷地に存在していない。しん、と静まり返ったその空間に、ロトは妙な気分になった。

 たかが人間が一人いないだけだ。たったそれだけで他には何の違いもないというのに、やけにその家の中は広く寂しいもののように思えた。

 玄関からのろのろと戻り、先程まで陣取っていた、そして既にこの三日間でロトの定位置となったリビングのソファに腰掛ける。ローテーブルの上に置かれた数冊の雑誌は全て晴海がロトに、と渡してきたものだ。ロトが雑誌を眺めているのを見て、気に入ったとでも思ったのだろう。初め一冊手渡されただけだったのが、いつの間にかロトが読み終わる度に山が高くなっていった。

 実際、写真というそれを見るのは結構楽しかった。絵という、実際のところ真実も虚像も描けてしまうものとは違って、写るのはそこにあるものでしかない。晴海に言わせればそれもまた少し違うらしいが、少なくとも絵より遥かにこの写真というものは事実に近しい。

 そんな写真を介せば、この場所が本当にロトの見知った世界ではないのだと知れる。

 アジアの小国。それがこの場所を示す言葉だという。ロトは晴海に教えられたことを思い出しながら、この国のことを思い出していく。話されている言葉は日本語。民族はモンゴロイドという黄色の肌と黒髪黒目が特徴の人種――ロトと同じ外見の人間達だ。

 ロトはあまり己のような顔立ちの人間を見たことがなかった。親がいれば彼らはロトと似た顔立ちの持ち主だったのかもしれないが、生憎ロトに親はいない。否、ロトが生まれてきているのだからあの世界に存在していたのだろうが、ロトには記憶がないものだから親に当たる人物を知らないのだ。

 少なくともロトの記憶にある限りにおいていえば、過去にロトがいたその国の人間に比べて、ロトは遥かに肌の色が濃く、また、髪や目も揃って漆黒で彼らとは凡そ違う風体だった。かつての世界とて似通った人間の容姿も稀にはいたが、これほどたくさんの人間が同じような色の肌をしていることに単純に感嘆した。

 この世界は本当におかしな世界だ、とロトは思う。それは人種のこともあるが、それよりももっと異なるものがある。人の在り方、というものだ。

 この世界で、はロトが知っている人間の在り方とは大きく違った。法といったものを使って誰にも平等に――少なくとも形だけは――権利を与える。自分が今まで培ってきた常識にあったような、己の身すら守れぬ弱者はただ搾取されるばかりの立場であればよいという認識ではないのか。

 ロトはかつての世界とのその違いが、晴海や近所のご婦人達、それから晴海の知人である男子、とほんの僅かな人間としか接触していないから故のことなのか、それともこの世界の全員がそうだからなのか、判断しかねた。

 だが。

『――皇帝の剣よ。これからお前を送りだすのは、お前が生きるにあたって最も都合のよい世界だ』

 かつての世界で聞いた言葉を思い出す。ロトの主人であった皇帝を屠った革命軍のリーダーが口にしたものだ。皇帝亡き後自分の命運に興味の欠片もなかったロトはそれをただ右から左へと聞き流したのだが、なるほど、この世界にロトを送りだしたあの青年の言葉も正しかったのかもしれない、とロトは今更ながらにそう思った。

 きっと、ロトの培った価値観と相容れないのは、そもそも存在している世界が違うからなのだ。ロトに相応しいのかどうかは別として、少なくともここはロトにとって優しい世界なのだろう。

 ちらりとダイニングに視線やる。ダイニングの上に置かれた食事はロトの分の昼食として晴海が残していったものだ。食べる頃には冷えているだろうから、と電子レンジの使い方を滾々と語っていた晴海を思い出す。

 使い方がよく分からなくてその箱に火をつけたことをとかく根に持っているのか、晴海は何度となくロトに彼女曰く文明の利器の使い方を説明してくる。耳に胼胝ができそうだ。尤も、ロトとて覚えられないので一々なされるその説明はありがたいものではあるのだが。

 この屋敷の持ち主である晴海は、ロトからすれば変わった人間だった。どこの誰かも分からない人間を己の屋敷に招き入れ、あまつさえ大切な誰かの名前を名乗ることを許してしまう。ロトからすれば考えられなかった。それだけこの世界が平和なのか、それとも晴海が度を超えたお人好しであるのか。

 この世界に来てから此方、晴海はひたすらロトの傍にいた。就寝のときこそロトは居間のソファ、晴海は自室というように違う空間にいたが、それ以外は常に傍に晴海という存在がいたことに、たった今気がつかされてロトは愕然とした。

 別に驚愕の対象は、晴海がロトの傍を離れなかったことではない。それは単に晴海とロトとでは他人との距離が違う、とそういうことだろう。問題はそれをおかしいとすら思わなかった自分。ロトはそんな自分に驚いたのだ。

 城にいた頃にはもっと広い空間に一人きりだろうと全く何も感じなかったというのに、こんな狭い家に晴海がいないだけで覚えている物足りなさのようなものに、ロトは自分にそんな感情があることを知って心の底から驚く。

 皇帝の為に、とただ生きていたとき、ロトはそんな感情は知らなかった。記憶をなくす前のロトならばどうなのだろう。ロトは初めて己が記憶をなくす前のことを疑問に思った。

 皇帝は記憶のないロトを引きとってくれた。だから、ロトは皇帝の為だけに生きてきて、それ以外のことは何も知らない。だが、それ以前ならどうだろうか。

 皇帝に引き取られるより前のロトは一体あの世界のどこで何をしていたのだろう。その前のロトならば、今のロトが知らなかったこの寂寞感を――寂しいという感情を知っていたのだろうか。

 まぁ、分かる訳がないか。

 それなりに年月を重ねても欠片も記憶は戻らないのだ。今日一日程度ではいくら考えてもその答えが出るはずもなく、それに今はもうその感覚を知っているのだから別に考える必要性はどこにもない。

 やがてロトは思考を止め、静かに瞑目した。

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