異世界政治情勢
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疑問というものは一度気になってしまえば解消するまで頭の中を占めてしまうもので、それは今この場でも例外なく晴海の脳裏を一色に塗りつぶしていく。知りたいという欲求に抗えるほど、晴海は好奇心がないわけでもない。
「じゃあロトって名前は?」
気になって問いかけてみる。すると、ロトはずず、と茶を呷ってからさらりと答えを口にした。
「陛下がロトと呼んで下さった」
晴海はその返答に少し驚いた。陛下、という言葉ではあったが、思い返せばロトが晴海の前に現れてから此方、他人のことを口にしたのはそれが初めてだったからだ。しかも、その陛下、という単語にはどこか嬉しそうな響きすら宿っている。
この無表情無感動な男にもそんな声を出せるのか、と晴海は純粋に驚いた。
「陛下?」
「皇帝陛下だ」
またもあっさりと言われ、はぁ、と晴海は相槌を打った。
「陛下は優れたお方であらせられた。身寄りも身分もない俺を一人前にして下さったし、任務も与えて下さった。だから俺は陛下に従った」
ロトの言葉からは、確かにロトが心の底からその陛下に忠誠を誓っている様子が窺える。ろくに感情を示さないロトをしてここまで熱く語らせるほどのその人物に単純にすごいと思いつつ、ロトが異世界の出身であることを晴海は強く認識せざるを得なかった。少なくとも現代日本を生きる晴海には、国家元首に対してここまで真っ直ぐな忠誠は到底抱けそうになかったので。
そうか、ロトの出身の国には皇帝がいたのか。それにしても、予想外に身分が高い。皇帝といえば国家元首、王者である。国のトップから直接名前を与えられるほどの存在であるのであれば、ロトの身分が元の世界でいかほどに高かったかも、とって知れるというものだ。
このどう見てもろくなことが出来そうにない大人しそうな青年が皇帝の覚えの愛でたい存在なのか、とじろじろと眺める。そう思って見ればそういう風に見えるのかもしれない、と思っての行動だったのだが、いくら眺めても晴海にはやはりそんな優れた力を持っていそうには到底見えなかった。
そう思ったところで、はっ、と最初の手紙のことを思い出す。
――我々は或る国の革命を行いました。
皇帝、というのだから帝政を敷いていたはずのその国で革命を起こした、とあの手紙は話してみせた。話すというのも可笑しいし記されていたというのが正しいのだろうが、晴海には異界の文字は読めず耳で聞いたのみ。事実そうなのだからここは敢えてそう表現しよう。
その手紙にあった革命というのは、国の政治の在り方の根幹を変えてしまうことで、特に被支配階級が権力を握ることを指す。それに対してクーデターは国の支配階級内での交代のみで、被支配階級は変化しない。いわば上層部同士の争い。
ということは、ロトの国は民衆が蜂起し帝政を廃した、ということになる。
そうした政治的優劣の変化において、それこそ、ナポレオンが流されたようなごく一部の例外は存在するが、旧支配階級は大抵の場合例外なく死刑となる。彼らを旗頭に権力を取り戻そうとする反政府組織が作られるのを阻止することが可能となるのだから、この手は何より支配階級を滅ぼすのは非常に合理的な手なのだ。特に、支配階級が血縁によって続いている場合には。
となればそれの指す内容は。思い至って晴海は愕然とした。
ロトがこんな風に名を呼ぶロトの主人は既に亡くなってしまったということではなかろうか。ロトが流刑となったのも、その辺りが関係しているのかもしれない。
ロトは前皇帝の部下だったから、流刑という形で異世界へと追いやられたのでは。
逆に、国家元首直々に名を与えるほどのものだったとすれば、流刑で済んだことこそ僥倖ではないだろうか。ロトこそが最も政府に反旗を翻す第一人者たりうるのだから。
或いは、その為の流刑か。殺すには皇帝と直接的な関わりが認められず、かといって国内や近隣諸国にいられては危険が高すぎるものだから、ならば戻ってこられないような異世界へ、と。
だとしたら、ロトは一体どのような感情を抱いて今ここにいるのだろうか。ロトがここまで尊敬する皇帝はもう死んだ。そんな世界でロトは生きていく選択をしたのだろうか。それともただ惰性で生き続けているだけなのだろうか。
――ロトのことだ。きっと後者なのだろう。何故だか晴海は確信にも近い思いでそう考えた。
ロトは何でもなかったような顔をしている。実際のところどうだか知らないが、それがまた晴海には痛ましく映った。何と言っていいものか分からないでいる晴海に、ロトは不思議そうに首を傾げたが、やがて意識は目前のパスタに戻ったらしい。
暫く黙々とたらこスパゲッティを口に運んでいるロトに、いても経ってもいられなくなって晴海は問いかけた。
「この世界はどう?」
前の世界に残りたかったのではないか、とは聞けなかった。ロトと一緒にいて晴海は一人ではなくなった。
けれど、ロトの方がどうなのだろう。出会ったばかりの晴海程度では、主を失った虚無感は埋められるわけがない。
そう思ったからの問いかけだったが、一方でその回答を聞きたくないとも思っていた。ロトの口から前の世界の方がいい、と言われてしまったら、そう思うと何故だかとても嫌だったのだ。しかし原因が分からない。そんな気持ちになるのは何故なのだろう。何とか説明できないものか、と思考の糸をひたすら紡いで。
やがて辿りついたのは一つの結論。晴海は帰ってこない亮人を見捨ててロトを受け入れてしまったようなものなのだから、見捨ててしまった亮人の為にも晴海の独りよがりであってはならない。そんな意識がこんな気持ちにさせるのかもしれない。晴海はそう己の感情を推測した。