別れ、眠り、温もり
村はいつも通りに戻っていた。
井戸、畑、家畜、仕事。
変わらない景色。
変わらない一日。
ただ一つだけ、変わったことがある。
ゲインの中身だ。
「……つまんねぇな」
井戸の桶を持ち上げながら呟く。
昨日までと同じ仕事。
同じ給金。
同じ生活。
だがもう知っている。
自分は、こんなことをしなくても生きていける。
盗めばいい。
それだけだ。
パンも盗める。
金も盗める。
道具も盗める。
働く理由が、ほとんどなくなっていた。
「……ここにいる意味ねぇな」
ぽつりと呟く。
村にいても盗れるものは少ない。
金持ちもいない。
珍しいものもない。
勇者たちみたいな連中も、もう来ないだろう。
「……王都、行くか」
自然にその言葉が出た。
王都なら人が多い。
物も多い。
金も多い。
盗れるものが、いくらでもある。
その日の夕方。
ゲインは荷物をまとめていた。
といっても、袋一つだけだ。
着替えと、ナイフと、水袋。
それだけ。
「……まあ、なんとかなるだろ」
元々、計画を立てるタイプではない。
なんとかならなかったことも、あまりない。
夜。
最後に酒場へ行く。
いつもと同じ席に座る。
酒を一杯頼む。
店の主人が、少し驚いた顔をした。
「珍しいな、お前が酒なんて」
「明日出る」
「どこへ?」
「王都」
店の主人は少し黙ってから言った。
「……戻ってくるのか?」
ゲインは少し考えて、答える。
「分かんねぇ」
それが本音だった。
戻る理由がない。
この村に、未練もない。
家族もいない。
恋人もいない。
財産もない。
あるのは、自分とスキルだけ。
「……ま、元気でやれよ」
店の主人はそれだけ言った。
「おう」
ゲインは酒を飲み干す。
それで終わりだった。
その夜。
酒場の奥の席に、見覚えのある顔があった。
「……まだいたのか」
勇者一行だ。
どうやら出発は明日の朝らしい。
四人とも、食事を終えて少し休んでいる。
魔術師は机に突っ伏して寝ている。
騎士は壁にもたれて目を閉じている。
勇者は椅子に座ったまま眠っている。
聖女も、静かに椅子で眠っていた。
ゲインは少し離れた席からその様子を見ていた。
昨日、盗れなかった護符。
勇者の袋。
どうして盗れなかったのか、まだ分からない。
「……試すか」
小さく呟く。
今日でこの村も最後だ。
少しくらい試してもいいだろう。
聖女の首元を見る。
銀の護符。
昨日は盗れなかった。
だが今日は違う。
寝ている。
視界に入れる。
意識を向ける。
そして。
――盗む。
護符が、消えた。
手の中に、冷たい金属の感触。
「……いけた」
小さく呟く。
昨日は無理だった。
今日はできた。
違いは一つ。
意識があるか、ないか。
そのとき。
「……ん……?」
聖女が少しだけ身じろぎする。
ゲインは反射的に意識を向ける。
――戻す。
護符が消え、聖女の首元に戻る。
聖女は少し体を揺らしただけで、また眠った。
「……なるほどな」
条件が分かった。
装備でも盗れる。
ただし。
相手が意識していないときだけ。
ここでやめればよかった。
本当に、それでよかった。
だが。
「……もう一回だけ」
ゲインは小さく呟いた。
検証だ。
ただの検証。
それ以上でもそれ以下でもない。
もう一度、聖女を見る。
護符ではなく、別の装備。
布の装備。
軽そうなやつ。
それを視界に入れる。
そして。
――盗む。
手の中に、柔らかい布の感触が落ちた。
「……」
ゲインは固まる。
軽い。
柔らかい。
そして。
妙に温かい。
「……やばいな、これ」
何を盗んだかは、考えなくても分かった。
反射的に。
――戻す。
布の感触が消える。
同時に。
「……ん……?」
聖女が椅子の上で少し体を揺らす。
寝ぼけたまま、少し落ち着かない様子で座り直す。
だが目は開かない。
完全には起きていない。
「……セーフか」
ゲインは小さく息を吐く。
今のは危なかった。
本当に危なかった。
もうやらない。
絶対にやらない。
そう思った瞬間。
――盗む。
「……は?」
今度は勝手に発動した。
意識していないのに。
手の中にまた布の感触がある。
だがさっきと違う。
少し硬い。
妙に丈夫。
「……これ、なんか違うな」
ゲインはゆっくり顔を上げる。
奥の席。
勇者が、寝たまま少しだけ眉をひそめている。
「……」
ゲインは手の中の布を見る。
そして。
奥の勇者を見る。
そしてまた布を見る。
「……なんでそっちなんだよ」
小さく呟く。
すぐに戻す。
――戻す。
布の感触が消える。
勇者は少しだけ寝返りを打って、また静かになる。
ゲインは椅子にもたれ、天井を見る。
「……なんだこのスキル」
物だけじゃない。
装備も盗れる。
しかも。
寝てる相手なら。
何でも。
「……使い方次第だな」
小さく呟く。
少しだけ、笑う。
ゲインは席を立つ。
会計は払わない。
――盗む。
店主の財布から、少しだけ金を盗る。
「……これでいいだろ」
小さく呟く。
外に出る。
夜の空気は少し冷たい。
村の明かりも、もう見慣れた景色だ。
「……明日から、王都か」
少しだけ楽しみだった。
この村よりも、盗れるものが多い。
それだけで十分だ。
ゲインは空を見上げる。
星が出ている。
明日は晴れそうだった。




