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君の不在証明  作者: 讀茸
最終章 ここではないどこかへ

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第七十三話 現実問題

 夢を見ていた。

 泣き出したくなるような悪夢。

 ナウリアの片腕がぶっ飛んで、ローゴンニキが全身血塗れになってて、バンデスは冷たくなってて。

 コニアが殺されて、ウーズ先輩も殺されて、ダラス看守長も殺されて。

 バーンドットとも、カルシュ先輩とも、もう会えないって言われて。

 私の居場所が真っ青な炎に包まれて、完膚なきまでに壊れてしまう夢。


「――――はっ!」


 飛び起きてから、気付くのだ。

 それは夢なんかじゃなく、過去の記憶だと。

 私は見知らぬ寝台の上で、びっしょりと搔いた寝汗を拭った。


     ***


 私が寝かされていた部屋は、どこかのログハウスの二階らしい。

 木製の部屋は木の良い香りがした。

 とても静かで空気も綺麗で、私は死んで天国に来たんじゃないかという気分になる。

 ここが現世だと確認するように頬をペシペシと叩いてから、私は寝室らしき部屋から出た。

 部屋を出るとすぐに階段が見つかったので、一階まで下りてみた。

 階段を下った先、そこはリビングのような空間だった。

 木製のログハウスの雰囲気に合わせるように、木目調のインテリアが配置された室内。

 中央のテーブルには、二人の人物が席に座っていた。


「リスタルさん。目が覚めたんですね」

「ああ。うん、おはよう」


 一人は見知った人物。

 というか。ディセイバー君。

 なんか木こりみたいな服に着替えたディセイバー君は、私の顔を見てホッと胸を撫で下ろしていた。

 そして、彼の正面。

 椅子に腰かけている青年の顔は、私の記憶に無かった。


「おはよう……怪しい者じゃないので、どうぞお気になさらず……」


 怪しい。

 漆を塗ったような黒髪。めちゃくちゃ白い肌。そして、ボソボソした喋り方。

 なんか幽霊みたいで怖いし、サイコパスっぽい感じするし、初手の台詞がもう怪しい。


「怪しくないよ……」

「こ、心読んだ!?」

「リスタルさんの顔に出てるだけですよ」


 心を読まれたのかと思って慌てる私を、ディセイバー君が正論でなだめる。

 そうだよな。

 いくらなんでも、心を読まれるなんて、そんなことあるはずが――――


「俺には見えるよ…………カレーが食べたい、だね」


 あ、本当にそんなことなさそう。

 別に全然カレーを食べたいと思ったわけじゃないんですが、こういう時はどういう反応をするのが正解なんでしょう。


「座りなよ。カレー……よそってあげるから」

「あ、はい」


 別にカレーが食べたいわけじゃないが、お腹はそれなりに空いている。

 ディセイバー君の隣に座った私の前に、青年がカレーライスを運んできた。

 美味しそう。

 やっぱり、カレー食べたくなってきた。


「どうぞ、召し上がれ……」

「い、いただきます!」


 私は勢いよくスプーンを手に取る。

 美味い。美味すぎる。スプーンが止まらない。

 カレーを胃に入れるごとに、疲労感がゆっくりと抜けていくような気がする。

 私が思っている以上に私の体は空腹だったようで、私は大盛りのカレーを平らげた。


「ごちそうさまでした……」


 満腹になった私はスプーンを置いた。

 そこで気付く。

 ディセイバー君の前で、大盛りカレーを爆食いしてしまったことに。

 でも、お腹が空いていたんだから仕方ないよね。

 たくさん食べるのは良いことだし。

 私は空の器を洗い場に戻してから、また席に戻った。

 改めて、対面の席に座る青年を見た。

 誰だろう、この人。

 カレー屋なのかな。


「この人はレイ・ジェイドさんです。馬車で監獄から逃げる俺達を助けてくれました。あと、カレー屋じゃないですよ」

「また心読まれた!?」

「だから顔に出てるんですよ」

「カレー屋のところはおかしくない!?」


 いくら私がポーカー最弱とはいえ、カレー屋の部分が顔に出るはずはない。

 そもそも、カレー屋の顔ってなんだ?

 いや、もしかして、頭の良い人には分かるのか? カレー屋の顔が。

 ディセイバー君って、確か座学もトップだったからな。


「俺はカレー屋のレイ・ジェイドじゃなくて、連邦騎士団暗部所属のレイ・ジェイド。……訳あって、犯罪組織アルカナンに潜入してます」

「へぇ~、そうなんです――――え?」


 私が言葉を失ったのも無理は無いと思う。

 暗部っていうのはよく分からないけど、連邦騎士団というだけで戦闘職のエリートだ。

 さらにアルカナンに潜入しているなんて、小説に出てくるフィクションみたいな人物だ。

 騎士団がアルカナンに……スパイみたいなものだろうか。


「二人共揃ったことだし、本題に入るよ」


 青年――――レイはゆったりとした口調で語り出した。

 まるで、遊びの予定でも立てるかのような緩い雰囲気で。

 あまりに、衝撃的な話を切り出したのだ。


「君達二人にはアルカナンのボス、ドゥミゼル・ディザスティアの討伐を依頼したい」


 口調とは裏腹に、言い出したことは荒唐無稽。

 レイがあまりに抑揚無くそんなことを言うものだから、私は彼が冗談を言っているのかと思った。

 でも、きっと違うんだろう。

 楽な姿勢、緩い口調、和やかな雰囲気。

 ひどく温厚に見えるレイだが、その黒曜石のような瞳だけが深く昏い色をしている。

 深い深い黒が、私を見つめている。


「無理……だと思います。俺達はアルカナンの尖兵にも殺されかけた。そこのトップなんて、いくらなんでも……」


 口を開いたのは、ディセイバー君。

 彼の言うことには、私も全面的に同意だ。

 四人。スウェードバーク刑務所を蹂躙したアルカナン構成員の数だ。

 たった四人。実質的な戦力は二人。

 たったそれだけのアルカナン構成員に、私達は監獄の総力を上げて完敗したのだ。

 どうやって、そこのボスへ立ち向かえと言うのか。


「君達の監獄を襲ったシャルナ・エイジブルーは、直接的な戦闘力だけならボスをも凌駕すると俺は考えている。ロウリ・ゴートウィストもアルカナンでも上位の猛者だ。監獄での敗戦は、必ずしも君達の弱さを証明するものではないと思う。それに……ボスは他の中枢メンバーと違って、基本的には前線に出ない。扱う呪術は強力でも、ボス自身は根っからの戦士じゃない。付け入る隙はあるはずだ。事前に得られた情報から、可能な限りの対策は用意してる。現地で補助戦力を調達する算段もついてる。あと必要なのは、フロントを張れる前衛だけ」


 レイの説明には、頷ける部分もあった。

 組織のトップが必ずしも、組織で一番の戦力であるとは限らない。

 バーンドットが監獄最強だったのが良い例だろう。

 それでも、だからといって、勝てるものじゃないだろう。

 だって、大陸最悪の犯罪組織のボスなんだよ。

 そんなの、私達なんかが勝てる相手じゃない。

 対策がどうとか、隙がどうとか、そんなスケールの話じゃない気がするのだ。


「君達ならできると思う」


 それでも、その言葉に胸が高鳴った。

 できると。私達には可能だと。

 そう言ってもらえたのが、嬉しく思えてしまったのだ。


「ギリギリの戦いになる。命の保証はできない。無理強いはできないけど……正直、無理にでも頼みたい。君達の力が欲しい。どうしても君達にやってほしいんだ。報酬も期待してくれて良い。作戦終了後には、連邦騎士団から多額の報奨金が出る。俺も個人的にお礼をするつもりだよ。俺に用意できるものなら何でも用意する」


 アルカナンのボスなんて、私に勝てる相手じゃない。

 負けて死ぬかもしれない。もっと酷い目に遭うかもしれない。

 でも、私の力が誰かに必要とされているなら――――


「私にできるなら――――」

「ちょっと待って下さい」


 不意に、ディセイバー君が言った。

 その声色に私は思わずビクっとした。

 彼の放った制止の声には、鋭い敵意が滲んでいたから。


「なんで、俺達が前衛だって知ってるんですか?」


 ディセイバー君が問いかける。


「……剣、持ってたでしょ?」


 レイは平静に答えた。

 平静だったのは、レイだけだったようだ。


「じゃあ、リスタルさんは? 武器で判断したなら、リスタルさんがインファイターだってことは分からなかったはずだ。そもそも、貴方はアルカナンのボスとの戦闘に投入するような人員を、一度も戦っているところを見ずに選んだんですか?」


 努めて冷静に、けれどその奥の激情を隠せず。

 ディセイバー君がレイを問い詰める。


「答えて下さい。貴方はいつどこで、俺達の戦闘能力を測ったんですか?」


 多分、レイにも言い訳のしようはあったと思う。

 それこそ、立ち姿を見ただけで相手の実力は分かるとか。監獄に入るときの試験の成績を見たとか。

 そういう言い訳を即座に考えられないような人には見えなかった。

 だから多分、レイはあえて真実を告げたんだ。


「見てたから。君達の監獄での戦いを。俺の魔術なら難しくない」


 静かに告げる。

 直後、ディセイバー君が立ち上がった。


「なんで……っ!? なんで黙って見てた!? 貴方は騎士なんでしょ!? 貴方が手を貸してくれれば、助かった人もいたかもしれないのに! みんなっ……みんな、助かったかもしれないのに!」


 彼の叫びは慟哭のようだった。

 そこには、怒りというより悲しみが滲んでいる。

 泣き出しそうな声で叫んだディセイバー君は、縋るような目つきでレイを睨んでいた。


「俺はアルカナンに潜入してる。怪しまれるような行動は取れない。君達の仲間を見殺しにしたのも、君達がスウェードバークの荒野に出るまで干渉しなかったのも、今このタイミングでアルカナンを潰しに行くのも、俺がベストだと思ったからやってる」


 あまりにも正論だった。

 レイは理路整然と状況を説明し、自らの合理性を証明する。

 ただ、感情の行き場を見失ったディセイバー君だけが、震える眼差しを机の上に落としていた。


「これも拗れそうだから最初に言っておくけど、今回の戦いでロウリ・ゴートウィストは狙わない。交渉して味方に引き込むか、せめて敵に回らないように調整するつもり。ヘイズ・トラッシュも既に死んでる。今回の戦いはどう転んでも、君達の仇討ちにはならないよ」


 平坦なレイの声音には、私も言葉を失った。

 多分、心のどこかで期待していたんだろう。

 アルカナンと戦えば、殺されたみんなの無念を晴らすことができる。

 仇討ちとか、復讐とか。そこまで明確に考えていたわけではないけれど。

 みんなを傷付けた悪人に鉄槌を下せるんじゃないかと。正しく罰を与えることができるんじゃないかと。

 そう、頭の片隅では期待していたんだ。


「あいつが、あいつが殺したんですよ……? バンデスさんはあいつに殺されたんですよ……? それが味方……? そんな、そんなことが、認められるわけ――――」


 ディセイバー君の声は震えていた。

 彼がこんなに感情を露わにするのは、監獄の時以来だろうか。

 私達を逃がそうとした時。それで反対した私と押し問答になった時。

 あの時と同じくらい、ディセイバー君は感情的だった。


「気持ちは分かるよ。でも、こればかりは譲れない。……というより、無理なんだ。どう見積もっても戦力が足りない。ロウリを味方に引き込めないと、シャルナに対処しようがない。無理だったら、俺が捨て身で足止めするしかないけど……それが作戦として成り立つ最低ライン。ロウリまで敵に回したら、どう足掻いても勝ち目が無いんだ」


 ディセイバー君は賢い。

 レイの言わんとしていることの正当性を、彼は理解してしまったんだろう。

 もしも、ディセイバー君が私みたいに馬鹿だったら、こんな辛そうな顔もしなかったんだろうか。


「まだ時間はある。ゆっくり考えてみてほしい。……何度も言うようだけど、俺には君達の力が必要なんだ。何としてでも手を貸してほしい。頼むよ。お願いだ」


 そう言って頭を下げるレイの姿を、私達は見つめていた。

 ただ呆然と、見つめていた。

学生時代にあなたを苦しめたいじめっ子も、今はすっかり更生して幸せに生きてるのです。

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