第七十二話 とびきりの強さ
よく晴れた日だった。
ゴートウィスト家本邸、廊下を歩くシャルナは窓から差し込む日の光に目を細めた。
狭められた瞼に枠取られて、蛇の瞳孔じみた瞳がキラリと光る。
「ん~っ」
長い手足を広げて、気持ちよさそうに伸びをするシャルナ。
その姿は人間というより、野生動物のそれを思わせる。
日向ぼっこをして欠伸をした猫のような、気持ちの良い陽射しに羽を伸ばす竜のような。
そんな彼女の姿を、背後のロウリはぼんやりと眺めていた。
「シャルナ」
ロウリが声をかける。
どこか晴れやかな彼女の声に、シャルナも振り返った。
振り向いた青髪の竜人。ニヤリと笑った彼女は、楽しそうにロウリを見つめている。
「どしたよ? ロウリ」
訊いてはみたものの、答えなんて分かり切っている。
それでも、お前の口から聞いてみたい。
遊ぶような口調で問うシャルナは、ロウリの心を試しているようでもあった。
「色々あってさ。私、ツウィグとルーア連れて逃げることになったから」
ここに至るまでの紆余曲折。
語ろうと思えば一晩でも語れそうな心の機微を、ロウリは色々の一言で済ませた。
シャルナとの間に、心情の変化などを口にするのは野暮に思えた。
二人の間に必要なのは、そういう流れだったという成り行きだけ。
あとは、ここからの時間を楽しむ心くらいだろうか。
「殺していくよ、シャルナ」
突然の殺害宣言。
シャルナは慌てるでも怒るでもなく。
心の底から、嬉しそうに笑った。
***
聞かれた。
そう認識した瞬間、私の体は臨戦態勢に入っていた。
腕の中に抱え込んだツウィグ。目前にはレイ・ジェイド。
星空の見えるテラス。私はかざした右手で、レイの首に照準を合わせる。
いける。ノーモーションの赤黒い閃光。これをレイは知らないはず。一撃で首を落とす。
そこまで、考えたあたりで――――
「やめてほしい……敵じゃないから……」
申し訳なさそうに、レイが言った。
彼は降参するように両手を上げている。
何してるんだろう、この人。
完璧に背後を取られたと思った直後、下手人は何故か悲しそうな顔で白旗を振っていた。
私は困惑しつつも、かざした右手を下げた。
「聞こえてなかった……的な?」
「いや……逃げちゃおっか、ってくだりは聞いてた……」
私はすっと右手を上げた。
あれを聞かれてたと思うと、なんか恥ずかしい。
「聞こえてたけど敵じゃないよ……信じて……」
私の動作にビクっとしたレイは、悲しそうな声で弁明を続ける。
まあ、右手を上げる動作は狙いをつけやすい気がするからやっているだけで、呪術の発動にはそこまで関係が無いのだが。
「どこに逃げるのって聞いただけじゃん……いきなり、ヤバい呪術ぶっ放すのは違くない……?」
なんだ? なんなんだ?
これは私が悪い流れなのだろうか。
この人は音も無く背後に立ったくせに、徹底して被害者面するのは何故なんだろう。
「えっと、ごめん……?」
「うん、良いよ」
とりあえず謝ったら、なんか許された。
よく分からない。
この人、なんなんだろう。
そのスンっみたいな顔は、どういう感情の顔なんだろう。
マジで分からない。
「俺は……連邦騎士団暗部所属、レイ・ジェイド。犯罪組織の幹部は仮の姿だよ……」
唐突に明かされる真実に、私は息を呑んだ。
暗部って、あの暗部?
諜報や暗殺などの一般に秘された任務を全うするための組織。
連邦騎士団の影とも呼ばれる、隠密と潜入のプロフェッショナル集団。
一般人にはその存在自体が伏されていて、私が知ったのも騎士のライセンスを取得してからだ。
ゴートウィスト家の一人娘でも、連邦騎士団に入るまでは知らないような部隊だ。騎士団でもその存在を知っている人は多くないだろう。
「え、本当……?」
「本当だよ。連邦騎士団暗部はあります」
私も暗部の騎士を実際に目にしたことはない。
まさか、こんな近くに潜んでいたとは予想外だった。
「じゃあ……最初の質問に戻るけど、君達はどこに逃げるの……?」
「いや、まだ詳しくは決めてないけど……どっか、旅しながら冒険者でもやろうかなーって」
正直、ツウィグにアルカナン逃亡を提案したのは、私自身でも意外な決断だ。
彼と話をする直前までは、ツウィグが生きている間にしたいことをさせてあげたい程度の思いだったのだけれど。
こうして一緒にご飯を食べて、話をしている内に、どうしても死なせたくなくなってしまった。
自分でも不思議なくらい自然に、三人で逃げようと言っていたのだ。
「ロウリ。君は世紀の大犯罪者だ。このままいけば、間違いなく指名手配される。あらゆるライセンスは停止して、死ぬまで騎士団に追われ続ける。もちろん、冒険者ギルドにも登録できない」
「たしかに」
言われてみれば、レイの言う通りだ。
私がやった犯罪の規模は割と洒落にならない。
私が殺した、バーンドット、シグレ司祭、エルノさん、ユザ。
彼ら四人が生きていれば、侵略戦争の勝敗は違っていたかもしれない。
「それに……ツウィグを連れて行くなら、ボスからの追跡も懸念しなきゃいけない。……ボス、多分腐敗の魔眼の位置をサーチできるよ。今まで、不自然にツウィグの居場所を察知してる場面があった。アルカナンに入って間も無いロウリは、気付かなかったかもしれないけど……」
ドゥミゼルが腐敗の魔眼から、ツウィグの位置を探れるというのも、かなり信憑性のある話だ。
彼女の計画に腐敗の魔眼を持ったツウィグは不可欠。
不可欠な駒にしては、雑に扱っていると思っていたのだ。
どこかで死んでも、最悪魔眼さえ回収できればどうにかなるのだろう。
ドゥミゼルが腐敗の魔眼をサーチできるのなら、今までの動きにも説明がつく。
確かに、これは難しい。
ただ逃げるのも、簡単ではないようだ。
「君達の課題は二つ。ドゥミゼルを殺すこと、犯罪歴を洗浄すること。実はこの二つを一度にクリアできるお得なプランがありまして……」
そこまで言われれば、私もレイの言いたいことが分かった。
「アルカナンを倒すから、それに協力しろってこと?」
「うん。そうすれば、ツウィグがボスに追われる心配も無い。犯罪歴に関しても、ロウリは騎士のライセンス持ってるから、俺と同じように潜入してたって扱いにできる」
「良いの? そこまでしてもらって」
「良いよ。こっちも無茶ぶりするから」
一息置いてから、レイは言葉を続ける。
彼は前述の言葉通り、凄まじい無理難題を突き付けた。
「シャルナを殺してほしい」
確かに、それは無茶ぶりだ。
でも、レイの考えていることも分かった。
私にしか勝ち筋が無いんだろう。
私の呪術は生き物を殺すという一点に関しては、凄まじい性能を誇っている。
攻撃偏重の戦闘スタイルは安定性に欠けるが、どんな格上にもワンチャンスがある。
レイはずっとシャルナ攻略の鍵を探していて、結局、私しか見つけられなかったんだろう。
無かったんだろうな。
私の呪術以外に、シャルナの皮膚を突き破って傷を付ける手段。
「ドゥミゼルの方はレイがやってくれるの? あとアズも」
「どっちも、手を考えてあるよ。……成功するかは分からないけど、すぐにツウィグを追えるような状態には…………あー、いいや。今の忘れて」
「……?」
不意に謎なことを言い出したレイ。
さっきから謎めいた感じの拭えないレイだが、急に言っていた言葉を全部ナシにするのは流石に謎過ぎる。
だが、彼の真意はすぐ後の言葉で理解できた。
「必ず殺す」
その言葉を聞いて、レイが騎士だったという事実が初めて飲み込めた。
正直、レイが何を考えているか分からない。
ユザのように悪を赦せないといった雰囲気でもないし、父さんのように正義に燃えている感じもしない。
掴み所の無い空気を纏ってはいるが、それでも、任務への覚悟だけは本物だ。
感情や心情はどうあれ、理性的な自由意志によって「必ずやる」と決めている。
何となく、シャルナさえ始末すれば、私達は無事に逃げられるんだろうと思った。
「アズはともかく、ドゥミゼルを殺せる算段があるんだ」
「うん。……とびきり強い人達がいるんだ」
そう言って、レイは夜空を見上げる。
遠くを見る彼の視線が、どこに注がれているのかは分からない。
ただ、その目には確かな信頼が滲んでいて、どことなく暖かい色をしていた。
彼が強いと言う者達。
それが誰なのか、私には分からない。
もしも、全てが終わった後レイと再会することがあったなら、彼らについて聞いてみたい。
夜空の下、そんなことを思った。
***
ソルノット南東部。ゴートウィスト家本邸近くの大通り。
ドゥミゼルは銀髪を揺らして歩いていた。
その足取りは軽く、彼女はひどく上機嫌だ。
侵略戦争が終わってから探していた竜の寝床が、やっと見つかったのだ。
(ロウリが何も知らなかったのは驚いたけど……まあ、大した問題じゃなかったな。ゴートウィストの屋敷を引っくり返して探せば、すぐに位置を記した書類が出て来た。意外と管理が厳重で手こずったが、本土の連中が遠征隊を寄越すのはまだまだ先だろう。万事問題は無しだ。あとは、ツウィグを拾って竜の寝床に向かうだけ。それだけで、今回は完全勝利だ)
ドゥミゼルにとって、ソルノット自治領の支配はゲームのようなものだ。
世界征服したいだとか、この世に理想郷を築きたいだとか。そういう大それた願いは無い。
成功すれば嬉しい。失敗した時は悔しいが、策を練り直して再チャレンジ。飽きた時にはやめれば良い。
監獄落としも、侵略戦争も、竜の寝床も、享楽的なゲームの一部分に過ぎない。
今の彼女はゲームクリアを目前にした子供のようなもの。
このまま上機嫌で大通りを抜け、最後の一手へと向かうだろう。
立ち塞がる者が、誰もいなければ。
「……ん?」
ふと、ドゥミゼル足を止めて、困惑の声を漏らす。
長らく絶対的な強者であった彼女にとって、自らの前に立つ者は珍しい。
それも堂々と武器を構えて立つ者の姿は、非常に珍奇に映った。
それが歴戦の猛者ならばともかく、見るからに弱者のそれであればこそ、困惑も一際大きかった。
「ドゥミゼル・ディザスティア!」
叫んだのは、二つの人影の内の片方。
背の低い女だ。
ターコイズブルーの瞳をした、気弱そうな女が両の拳を構えている。
その隣には背の高い少年。
構えるは剣。紫がかった暗色の髪が印象的な、顔立ちの整った若者だった。
両者とも、ドゥミゼルの目には有象無象の一つにしか見えない。
それこそ、侵略戦争で相まみえた選抜騎士達であったなら、もう少し別の反応もあっただろうが。
「今から! お前をぶっ倒す!」
叫ぶは、リスタル・グリアント。
隣、ディセイバー・オルティクスは無言で剣を構える。
取るに足らない弱者二人の宣戦布告に、ドゥミゼルは――――
「は?」
怒りと困惑を混ぜた息を吐いた。
犯罪組織アルカナンのボス。魔王軍幹部第四位。現存する純正の魔族。
相対するは、元看守二名。
あまりに場違いな二人の勇者を、呪術師は侮蔑を以て見下ろしていた。
レイ・ジェイド。暗部の存在自体が秘されているため、選抜騎士の称号は得ていません。ただ、実力は選抜騎士にも劣らないとされています




