第四十五話 神様、どうか
ソルノット中央教会、ナナクサ・シグレは礼拝堂に集まった信徒に指示を出していた。
「市民の方は中央教会の敷地内に避難を。執行者は騎士団と連携して、襲撃者の制圧にあたります。武器を持って外に出るように」
アルカナンによる侵略戦争に際して、シグレは執行者の出動を即断。
教会の敷地を緊急の避難所として市民に提供し、執行者を戦力として運用する。
ここはソルノット自治領。大陸最悪の無法地帯。こういった状況への備えは、騎士団はもちろん教会にもあった。
「戦力の乏しい北部には、私が単騎で向かいます。オークェイムさん、ここの守りは任せましたよ。有事の判断は貴方に一任します」
「分かったわ。……とんだ惨事になったものね」
どこか気だるげに返答したのは、長い髪をしたシスター。
妹二人からはよく羨ましがられるスタイルと長身の持ち主である彼女は、オークェイム・リルスニル。
リルスニル姉妹の長女として名高い執行者である。
「でも、良いの? 私だけじゃなく、サーチやウィクトもこっちに残すんでしょう? 戦力を後方に腐らせておくほど余裕のある戦況だとは思えないけれど」
「ここは既に後方ではありませんよ。すぐに敵は押し寄せてくるでしょう。恐らく、中央教会にはそれなりの戦力が遣わされるはずです」
シグレは悲しそうな顔をしていた。
彼の哀しげな顔をオークェイムはどこか遠い目で見つめている。
ナナクサ・シグレ。異郷の出身でありながら、大陸最悪の無法地帯に居着いた変わり者。
彼はいつも、オークェイムには見えない何かを見ている。
「お姉ちゃんっ」
そんな彼女に背後から声をかけたのは、ハルリアだった。
オークェイムには二人の妹と一人の弟がいる。
その中で唯一執行者でないのがハルリアだ。
彼女はリルスニル姉妹の中でも飛び抜けて信仰心は高いものの、教会の魔術を神に与えられてはいない。
「大丈夫? アルカナンが攻めて来てるって。私にも何かできること――――」
「大丈夫よ、ハルリア。貴方は教会の中でじっとしてなさい。私達がどうにかするわ」
「でも……」
「でもじゃない。魔術の一つも使えないのにどうするのよ。……貴方が安全な場所にいることが、私にとっては一番大切だわ。サーチとウィクトもきっとそう」
オークェイムに諭され、ハルリアはシュンとした顔をする。
ずっと、そうだ。
姉妹の中でハルリアだけが戦えない。
それがハルリアにとっては悲しく、悔しく、虚しい。
まるで、自分は無価値だと突き付けられているようで、ハルリアは表情を曇らせた。
「ハルリアさん」
そんな彼女にシグレは声をかける。
「どんな時でも、祈りを忘れずに」
そうとだけ告げて、シグレは去って行った。
向かうはソルノット北部の教会。アルカナンによる攻撃が最も激しく、騎士団の助けが最も及ばない場所。
彼に追随するように、オークェイムも教会の外に出る。
中央教会の守りを託された彼女も、教会の外に出て来るべき侵攻に備える必要があった。
「祈り……」
ハルリアはシグレの言葉を頭の中で反芻する。
神様に祈ったところで、現状を変えることなんてできるんだろうか。
本当の所を言うと、ハルリアは自分が好きじゃない。
祈ることしかできない今の自分なんかより、力を持って戦える姉や兄のようになりたかった。
魔術で悪い人をやっつけたり、困っている人を救ったりできれば、それは祈りなんかよりも確実で揺るがない価値ではないか。
神様に祈りを捧げることが無駄とは思わない。
けれど、ふとした時に湧いてくる。
ハルリアが捧げる祈りなんて、何の救いも助けももたらさない。
本当は全くの無価値なんじゃないかと。
(それでも、私には祈りしかない。だから――――)
ハルリアは祈る。
祈りしか持たぬ少女は、形の無い何かを捧げることしかできない。
(神様、どうか……私の大切な人を守って下さい)
無価値かもしれない。無意味かもしれない。効果をもたらす保証なんて無い。
そんな不確かなモノに縋るしかないのだから、せめて、祈りにだけは真摯でいよう、と。
***
ソルノット自治領北部。
アルカナンの大規模侵攻に対し、主に迎撃に当たったのは教会の執行者。
北部に建てられた大聖堂を拠点とし、連邦騎士団の戦力を借りつつも、殺到する犯罪者の群れに抗していた。
ゴートウィスト家本邸や騎士団ソルノット支部と離れた位置にある北部は、充実した戦力が望めず、一方的な防戦を強いられていた。
大聖堂付近を最終防衛ラインとして、懸命の抗戦を続けていた北部勢力。
「まあ、こんなものね」
遂に大聖堂が落ちる。
アズ・リシュルの前、綺麗な断面を晒して舞ったのは執行者の首。
北部の勢力が拠点としていた大聖堂内部、アズは敵主力の執行者を皆殺しにした。
「こっちは終わったわよ、ジャム」
大聖堂の扉を蹴り開けて、アズは外のジャム・ジャミングに声をかける。
アズとジャム。どちらもアルカナンの中核メンバーであり、大抵の執行者や騎士であれば瞬殺できる実力者。
戦力の乏しい北部で手こずるはずも無く、手分けして敵指揮官の撃滅にあたっていた。
「つか、楽勝すぎない? こんな所に二人も来なくて良かったんじゃないの? ボスも意外と大雑把なトコあるわよね」
大聖堂内部にはアズが、外にはジャムが、それぞれ指揮権を持っている執行者を殺して回る。
部下をまとめられるほどの者は大抵殺したようで、大聖堂の中に死体以外の人影は見えない。生き残りも散り散りに敗走したようだ。
「ねえ、ジャム。聞いてんの?」
故に、アズは信じ切っていた。
扉の外に声をかければ、自分と同じように仕事を終えたジャムが、いつものように返答してくれると。
「ジャムというのは、こちらの方ですか?」
扉の外、聞こえてきたのは知らない声。
嫌な予感が背筋を掠め、アズは後方へ跳び退いて扉から距離を取る。
「彼なら、先程天に召されましたよ」
アズが蹴り開けたのとは対照的に、男は丁寧に扉を開いた。
黒を基調とした質素な神父服。如何にも無害な雰囲気とは裏腹に、腰には一本の刀を提げている。
柔和な表情をした彼の足下、心臓を焼き貫かれたジャムの死体が転がっている。
(こいつ、ジャムが私を呼ぶ間も無く――――)
ジャム・ジャミング。
アルカナンの中核メンバーである以上、彼も個人としての戦闘能力は相当の高みにあった。
それがアズに助けを求める暇も無く惨殺されている。
その事実にアズは戦慄する。
目の前で優しげな表情を浮かべる男は、アルカナンの中核メンバーさえ容易く蹴散らす猛者なのだと。
「神よ、私に殺人をお赦しください」
慇懃なまでに丁寧な所作の神父――――ナナクサ・シグレは腰の刀に手をかける。
洗練された居合の構え。見る者が見れば、それだけで達人のそれと分かるだろう構えを以て、シグレはアズを待ち受ける。
「そんな許可取らなくて良いわよ。殺されるのはアンタの方だから」
煽るような軽口と共に、アズも自身の得物を握り直す。
大聖堂での戦いが幕を開けようとしていた。
ジャム・ジャミング。名前の響きは気に入っていたんですけどね




