第四十四話 死なないように
連邦騎士団に志願したのは、悪人を赦せないという意思よりも、どうしようもない感情を誤魔化したいという部分が大きかった。
騎士団の修練は厳しかったからこそ、余計なことを考えないでいられた。
ひたすらに自分を追い込み、体と技を鍛えている間は、嫌な過去を少しだけ忘れられる気がした。
親父の仕事をいつも見ていた影響か、俺は武器の扱いが得意だった。
大抵の武器はすぐに使いこなせたし、変わった武器でもすぐに適応できた。
何より、俺には作り手の気持ちが分かった。こんな風に使ってほしいんだろうと、こんな風に戦ってほしいんだろうと、武器を握れば伝わってくるのだ。
騎士としての俺の転機は、レッドファングとの出会いだろうか。
どこぞの鍛冶師兼魔術師みたいなヤツが、夢とロマンを詰め込んで作った武器は、何故だか俺の手に馴染んだ。
俺はレッドファングを使いこなして成果を上げ、十七になる頃には選抜騎士にまで上り詰めていた。
選抜騎士になったその日に、俺はソルノット自治領への異動を希望した。
エルグランの本土よりも、もっと過酷な場所に行きたかった。もっと苛烈で、激的で、無駄なことを考える暇も無いほどに過酷な土地に行きたかったのだ。
異動先の指定など、普通は中々許されるものではないが、行き先が大陸最悪の場所ということもあって、あっさり了承された。
そして、やって来た異動当日。
連邦騎士団のソルノット支部で俺を迎えたのは、アトリ・トーネリウムだった。
――――こんな場所を自ら希望するとは、変わった若者もいたものだな。まあ、私の方がずっと若いんだが
アトリの冗談は笑って良いのか分からなかった。
十歳にしてソルノットで騎士団長をやらされるなんて、俺にはひどく残酷なことのように思えた。
そういえば、親父とお袋が死んだのも、俺が十歳の頃だったなと思い出して、何とも言えない気持ちになった。
――――にしても、十八歳で選抜騎士か。最近の若者は成長が速いな。実はうちにも君と同い年の選抜騎士がいるんだ。ここのおっさん共じゃ話も合わないし、君が来てくれて良かったよ。……それとだが、最近の若者は成長が速いなっていうのは、お前が言うなってツッコんで良い所だぞ
だから、ネタにして良いか分からないんだって。
俺は幼女のくせしておっさんみたいなダル絡みをしてくる団長を尻目に、騎士団の廊下を歩いた。
今日案内すると聞いていたのは、連邦騎士団ソルノット支部。その修練場。
――――俺と同い年……
――――ああ、ほら。もう来てるみたいだ
アトリと共に訪れた修練場。
草原のような庭の中央に、その少女は立っていた。
長い黒髪はほんのりと赤を帯びていて、体の線は細く華奢に見える。
だが、その立ち姿は体に針金が通っているかのように美しく、姿勢には一切のブレが無い。
鋼鉄の剣を握った彼女の姿は、一輪の彼岸花を思わせた。
――――ロウリ。こっちが今日来ると言っていた新人だ。君、今日も自主練だろう? 根を詰めすぎても良くない。今日は気分転換も兼ねて、ユザに騎士団を案内してやってくれ。それじゃ、私は書類仕事があるから失礼するよ
アトリに呼びかけられて、ロウリはポイっと剣を投げ捨てる。
地面を落ちた剣は、魔力の粒となって消えていく。
その場面を見て初めて、俺は彼女が持っていた剣が魔術で構築されたものだと気付いた。
――――ロウリ・ゴートウィストです。よろしくお願いします
俺のすぐ前までやって来た彼女は仰々しく一礼した。
その美しい所作からも、彼女の身に叩き込まれた礼儀正しさが伺える。
――――俺はユザ・レイス。よろしく……お願いします
対する俺は平民出身ということもあり、敬語さえ覚束ないことが多い。
平民出身というだけでなく、不愛想な親父の血の影響もあるかもしれないが。
――――あー……タメ口で良いか? 同い年って聞いてたんだが
――――うん、良いよ。私もそっちの方が疲れないし。……君は敬語使えなそうだし
――――……悪かったな。育ちが鉄火場なんだよ
初対面は、そんな何でもない会話。
この時はまだ、何も知らなかった。
こいつが徹底的なまでの正義と善意の化身だったこと。
その完全な正しさを前にして、俺は何度も自分自身を問い直し、果ての無い葛藤を強いられること。
そのくせ、こいつはある日を境に正しさを全部捨てて、犯罪組織に寝返ること。
そして、最後に俺達は、自らの全てを賭けて向かい合うこと。
この時はまだ、何も知らなかった。
***
真っ黒な視界が晴れて、水中を漂うような浮遊感から解放される。
気付けば、私の足は硬い地面を踏んでいた。
そこは小さな建物の屋上らしかった。スウェードバークの荒野とは打って変わり、空は今にも泣き出しそうな曇天。
私はツウィグとルーアの手を握って、じめっとした風を浴びている。
「ロ、ロウリ……! きずっ、傷が……っ!」
ぼんやりと立っていたら、隣でルーアが騒いでいた。
彼女の言葉を受けて、私は自分の体を見下ろす。
パックリと割れた左肩。それ以外にも全身は擦り傷や軽傷が多い。じんわりと痛む右頬も、それなりの傷なのだろう。
「ああ、うん。ルーア、治癒魔術かけて」
「かけるっ! かけるから、ちょっと横になって……!」
私は地面に寝転がり、ルーアの診察を受ける。
石造りの地面はひんやりとしていて心地良い。仰向けになって見上げる曇り空は、なんだか、いつもより高く見えた。
せっせとルーアが治癒魔術をかける側で、ツウィグは複雑そうな顔をして立っていた。
「ありがとう、ツウィグ。さっき呼んでくれなかったら、ユザに殺されてたかも」
「あ、ああ……」
私はさっきの礼を言ったのだが、ツウィグは心ここに在らずといった感じだ。
いや、他のことを考えているというより、本当に話したいことを切り出せずにいるような、気まずそうな表情。
一体、何を考えているのだろう。
「本当なんだな。……あのままだと、殺されてたって。レイにも聞いたけど……」
「まあ、ユザ強いし。結構危なかったかも」
ユザと私の間に、そこまで実力差は無いと思う。
騎士団にいた頃はともかく、呪術を使うようになった今なら、簡単に遅れは取らないつもりだ。
実際、騎士団にいた頃も、レッドファング以外の武器を持ったユザとは、互角程度にやれていた。
だが、さっきの戦闘で終始劣勢だったのは事実だ。
多分、気持ちの問題だ。
受けに回った。時間稼ぎに徹すれば良い。シャルナとヘイズが他の騎兵隊を片付けるまで粘れば良い。
そうやって消極的な戦闘を展開したから、ユザの怒りと殺意に圧し負けたのだ。
「……なんか、イメージできなくて。アンタが負けるとか、殺されるとか」
ツウィグの言葉は意外だった。
それは、何というか、変な感じだ。
心の奥がむず痒い。なんで、こんな気持ちになるんだろう。
「私……ロウリが死んだら嫌だよ。だって、ロウリだけなんだよ。こんなに優しくしてくれたの。私とツウィグのこと、死なないように気にかけてくれたの。ロウリしかいないんだよ」
ルーアは私に治癒魔術をかけながら、今にも泣き出しそうな声で語った。
なんだ。なんだろう、これ。胸がざわざわする。
ツウィグとルーアに感謝されるのも、死なれるのが嫌だとせがまれるのも、別に予想できなかったことじゃない。
ルーアなんて初対面の時から私にべったりだったし、ツウィグのことだって私が何度か命を救っている。
でも、これは知らない。
この、なんだか落ち着かなくて、つい二人から目を背けたくなってしまうような、この感情は何と言うのだろうか。
「じゃあ、頑張るよ」
気付けば、そんなことを言っていた。
「できるだけ、死なないように頑張る。私も死にたくないしね」
今まで、自分の死について考えたことはない。
むしろ、延々と苦しいだけの人生が続いていくことの方が恐ろしかった。
でも、今は、少しだけ、死にたくないと、思えたのだ。
ほんの少し、ここで死ぬのはもったいないなと、思った程度のことだけれど。
「じゃ、そろそろ動こうかな。命令系統を壊すって話だけど……」
ルーアの治癒が終わったのを見計らい、私は立ち上がる。
軽く伸びをして体の調子を確かめるが、戦闘に支障が出そうな傷は残っていない。
大体の軽傷は癒えたし、ユザとの戦闘が短時間だったこともあり、蓄積された疲労も軽微なもの。
強いて気にする点があるとすれば、左肩の傷だろうか。まあ、これも塞がってはいるし、問題は無いだろう。
私は屋上の端まで歩き、ソルノットの街並みを確認する。
申し訳程度に備え付けられた柵の向こう、広がる光景は、確かに侵略戦争と呼ぶに相応しいものだった。
入り乱れる人と人。出動した騎士団が暴動を起こす人々と戦闘を繰り広げている。教会の執行者まで出て来ているようで、かつてはある程度の平和だった街は混乱に陥っている。
武器を手に騎士団や執行者を襲う人々は、恐らく、アルカナンによって動員された北西部の犯罪者達。
どれもチンピラ程度の戦闘力しか持たないだろうが、こうも数が多いと、抑えきれていないのが伺える。
「なるほどね。指揮官を殺せば、あっという間に血の海だ」
ドゥミゼルの作戦が、私の中で現実味を帯びる。
これだけ敵味方入り乱れた戦場であるならば、指揮系統の破壊は致命的な打撃になるだろう。
まさに侵略戦争。
ソルノット自治領始まって以来の殺戮が、幕を開けようとしていた。
死なないでほしい。死にたくない。そう思えることは、当たり前のようで当たり前なんかじゃないのかもしれません




