第四十三話 声
幸せが壊れるのはいつも突然で、こちらの用意なんか関係無しに、世界は俺達から奪っていく。
そんな現実を思い知ったのは、俺がまだガキだった頃。
エルグラン連邦本土で、家族三人で暮らしていた頃。
親父とお袋が集団リンチに遭って殺された。
きっかけは街角の些細な口論。
ガンつけてるだとか、肩がぶつかったとか、その程度の下らない原因で、親父とお袋は十数人のチンピラに殴り殺された。
騎士団の人間からその報せを聞いた時は、ただひたすらに虚しかった。
もう親父にもお袋にも会えないのだと思うと、どうしようもない虚無感に襲われた。
親父とお袋を殺されて、俺は空っぽになったのだと思う。
何もかも奪われて空になった器。
そこに激情が注がれたのは、親父とお袋を殺したヤツらの裁判が行われた日だった。
――――被告人を懲役十年に処す
傍聴席で、裁判官の声を聞いた。
馬鹿な俺は裁判の内容なんてほとんど理解できず、最後に裁判官が告げたその言葉が全てだった。
――――は?
おかしいだろ、それは。
十年? たった十年?
たったそれだけの年月を牢屋で過ごすだけで、こいつらは許されるのか?
親父もお袋ももう二度と戻ってこないのに、こいつらたった十年で太陽の下に解き放たれるのか?
――――おかしいだろっ!
気付けば、叫んでいた。
傍聴席を飛び出して、走り出して、でも誰かに取り押さえられて。
数人の大人に押さえられながら、俺は喉が引き裂かれんばかりの声で叫んだ。
――――なんでだよっ!? こいつらせいで親父は死んだんだぞ! お袋も! こいつらに殺されたんだぞ!? なんでこいつらは生きてて、親父とお袋が死ななきゃいけないんだよ! おかしいだろ! おかしいだろうがよっ!
赦せなかった。
理不尽だと思った。
ただ善良に生きていただけの親父とお袋は死んだのに、クソみたいなチンピラは十年牢屋で過ごすだけで済むのか。
そいつらがまだ未成年だったとか、若年者の犯罪としては妥当な判決だとか、そんなのどうでも良かった。
噴き出した怒りは収まる気配が無くて、激情のままに叫び散らした俺は、裁判所からつまみ出された。
――――クソ……っ!
荒れ狂う怒りには行き場が無い。
俺が憎悪する悪人は法の下に裁かれて、正しく牢獄へと連行された。
悔しい。恨めしい。苛立ちが消えない。どうしようもない悪感情が心の中に渦巻いて消えない。
今もずっと、消えないまま。
あの日からずっと、俺は悪人が赦せない。
***
空中、ユザの拳が私の顔面を捉える。
赤いガントレットに覆われた一撃は、頬を裂く激痛と共に私を地面に叩き落とした。
勢いよく荒れた大地に激突する。跳ねた体は軽いのに重くて、赤く染まった視界がぼやけていた。
なんでだ。なんで、こんなにも勝てない。
呪術を使うようになって、私は強くなったはずなのに、どうしてユザとの差が開いているんだ。
どうして、こんなにも遠い。こんなにも、届かない。こんなにも、抗えない。
なんで、まだ正しい人間の力に抑えつけられているんだ、私は。
「あー、くそ……」
地面に叩きつけられた跳ねた私の体は滅茶苦茶な姿勢で、着地なんてできそうにない。
よしんば着地できたとして、馬車と騎兵隊が入り乱れる地上を、ここまで負傷した身体で駆け回れるとも限らない。
「なんで……っ」
首を振って、頭上を見上げる。
そこには、赤いブレードを携えたユザの姿が見えた。
私の方へと落ちて来る。斬りかかって来る。強い憎悪と怒りを原動力に、私という悪人を殺しに来る。
それはまるで、窮屈な正義から解放されたい私を、赦すまいと追ってくる刺客のようだった。
正しい世界の人間は、また私を否定する。
私という悪が存在することを認めず、徹底的な否定と排斥をぶつけて来る。
お前を赦さないと、迫って来る。
「ロウリ!」
瞬間、声が聞こえた。
ぶっきらぼうで臆病だけれど、力強く私の名前を呼ぶ声。
「こっちだ!」
声が聞こえた方を見る。
そこには、走行中の馬車。
全部の扉を開け放って走る馬車は、混迷した戦場の中でも目立っていた。
いや、違うな。それが景色と同化してしまうほど平凡な見た目をしていても、私はきっと見つけ出せただろう。
白い髪。小さな体。青カビみたいな色の右眼。
開け放たれた扉から身を乗り出して、懸命に叫ぶ君の姿を、きっと見落としたはずはない。
「……今、行くよ」
呟きは口の中でだけ、誰にも聞こえないほどの小ささで。
私は魔術で鎖を構築し、伸ばす。
鎖の先端を馬車の窓枠に引っかけて、私はそれに引きずられていく。体が何度も地面の上にバウンドした。
自分で鎖を巻き取って移動するつもりだったのに、馬車の中からツウィグとルーアが鎖を引っ張ってくれていた。
なんだよ、もう。
それじゃ、鎖巻き取れないじゃんか。
弱くて脆い君達は、私が勢いよく鎖を巻き取れば、その拍子に傷付いてしまうだろうから。
だから、私は鎖を強く握ったまま、馬車に引きずられながらも体勢を立て直し、軽く荒れ地を疾走する。
一秒間の助走の後、私は大きく跳躍し、ツウィグ達の待つ馬車へ飛び込んだ。
「「ロウリ!」」
ツウィグとルーア。
二人の声が同時に響く。
ハモってから気恥ずかしくなったのか、ツウィグは気まずそうに目を逸らす。
ルーアは少しだけ涙ぐんで私を見上げていた。
二人とも、不安が安心に変わったような、そんな表情をしていた。
なんで、こんな顔してるんだろう。
「おー、ロウリ」
顔を上げれば、シャルナとヘイズも馬車の中にいた。
シャルナはいつも通りの軽い態度で、私の方を見つめている。
「悪かったな。つまんねー役回りさせちまって。こっからは思っきし暴れよーぜ」
つまらない役割。
そうか。私はユザ相手の時間稼ぎ要員を買って出たんだ。
私は自分でも無意識の内に、勝利するために正しい選択していた。
ユザを抑えるのが自分の役割だからと、それが正しいやり方だからと、ユザ相手に時間稼ぎに徹した。
距離を取って飛び道具で牽制しつつ耐久戦。
そんなの、私が憧れた強さじゃなくて、私が心から求めた戦いじゃないのに。
「……それじゃ、飛ばすよ。みんなは遊撃隊みたいなものだから……各自適当に、敵っぽいのを倒す感じで……」
雑な作戦だけを告げて、レイが魔術を発動する。
その瞬間、馬車の床に真っ黒な影が現れる。
それは墨汁でできた湖みたいな、どこか液体じみた影溜まり。
私達は水面を下に沈んでいくように、レイが展開した影の中に落ちていく。
視界が真っ黒な影に満たされていく中、私は無意識に、側にいた二人の手を握っていた。
ツウィグとルーアの手。二人の掌はちょっとだけ冷たい。体温の低い手を握りしめて、私は影の水面に沈んでいく。
二人は握り返してくれた気がした。
***
「……今、行くよ」
その言葉は、果たして俺にも聞こえていた。
殺せるはずだった。俺が振り下ろすレッドファングは、ロウリ・ゴートウィストの胴体を真っ二つにするはずだった。
けれど、その声を聞いた途端、その顔を見た瞬間、ほんの一瞬だけ殺意が鈍ってしまったのだ。
それは、今まで見たこともないほど、幸せそうだったから。
「――――っ!」
呆気に取られたのはほんの一瞬。
俺はすぐにロウリが飛び込んだ馬車に追撃をかけたが、既に中はもぬけの殻だった。
アルカナンにワープに近しい魔術を使う者がいるという見立ては、連邦騎士団の中でも共有されている情報だ。
恐らく、そいつにやられたのだろう。
行き先は十中八九ソルノット南東部。深い傷を負ったロウリに関しては、北西部のアジトに逃がされた可能性もある。
「…………」
誰もいない馬車の中で、俺は無言で立ち尽くす。
まただ。また、この感じ。
感情のやり場が無くて、行き場を無くした何かが胸の中で暴れ続けている。
「なんで、お前は……」
ロウリ・ゴートウィスト。
俺が知る中で、最も正しい人間だった。
絵に描いたような善人。強さを驕らず、弱さを笑わず、誰にでも優しさを以て接する善人。
道徳的で模範的で絶対的な、神様が作った最高傑作と思えるほどの、完全な正義の人。
あいつの正しさは絶対だった。ローストン・ゴートウィストよりも、アトリ・トーネリウムよりも、あいつの正義の方が、俺には完全に思えた。
だからこそ、俺はあいつが嫌いだった。気に食わなかった。
負けたくないと思っていた。
「俺を、置いて――――」
吐き出しかけた独り言を飲み込む。
まだ戦いは終わっていない。
敵の主戦力がどこかに飛んだとはいえ、まだ元囚人達が残っている。
こいつらを片付けて、ソルノット南東部への加勢に急がなければならない。
いや、ここの元囚人は騎兵隊に任せて、俺だけでも南東部に向かうべきかもしれない。
何にせよ、まだやるべきことがある。この世から取り除くべき悪がある。
俺は赤い刃を握り直し、馬車の外へと飛び出した。
「悪人を赦せない」というのがユザというキャラの根幹ですが、あなたは彼に共感できる部分はありますか?




