15 森の夫婦のエピローグ
「ありゃ。
猿共から呼び出しがかかってるよ、フェリクス。
方角は西南西……岩壁バイソンの住処の近くだね。
武装侵入者複数につき、早急な対応求むってさ」
早朝、夫婦二人で野菜の収穫中、醜女イヤーに届いた遠吠えを、新ボスとなったフェリクスに伝言する。
彼の聴力は一般人とそう変わらず、現場から上がる声が距離的に聞こえないので、どうしても一度、私を経由する必要があるのだ。
「そうか、分かった」
伴侶から与えられた情報に、美青年の麗しい顔面が僅かに曇った。
呼び出しがあると、彼はいつもこの反応をする。
ヤンデレは妻から離れたがらず、実際のところボス業務を煩わしく思っているのだ。
だが、私を自分だけのものにするため奪った立場である以上、どんなに嫌でも投げ出すような真似はしない。
「すまないが、後を頼む」
「うん。いってらっしゃい、気を付けて」
「っあぁ、行ってくる」
気力の補充にと軽くキスを贈れば、フェリクスは目尻をうっすら赤く染めて、森の中へ飛ぶ勢いで駆け出していった。
彼のウブさは夫婦となり数ヶ月経った今も健在である。
そして、残された収穫作業以外にも、アレコレとやることを片付けつつ過ごした数時間後。
「愛がー苦しみーならーいっくらでもーブチ破ろうー♪」
「相変わらず、美しい調べだなリレイジア」
裏の水場で小さく歌を口ずさみながら洗濯していると、斜め横からウットリと声をかけられた。
近付く足音と臭いと気配をかなり前から察知していたので、別段、驚いたりはしない。
「お帰りフェリクス」
「あぁ、ただいま」
我が麗しの旦那様のご帰還である。
「洗濯か……この後、干すのを手伝っても?」
おやおや。
戻って早々、勤勉な男め。
君は本当に私の役に立つのが好きだねぇ。
「手伝いなら、まだ家の中に取り込んだだけの服の山を畳んでくれる方が嬉しいけど」
「あぁ、いや、その……」
ん?
歯切れが悪いな。
なるほど、こりゃあアレか。
「単に一緒にいたいだけか」
「んんっ!」
あっ、赤くなった。
「別に断りゃしないってぇのに、私の連れあいは迂遠だこと」
洗濯の手は止めないまま、そう言って、わざとらしく笑ってやる。
まだまだ天下の新婚様なのだから、好きなだけイチャつけば良かろう。
愛してるだの何だのキザなセリフは平然と連発するくせに、これだから彼の羞恥心の在処は分からない。
「そ、れは……まだ君が伴侶となった事実を飲み込みきれなくて、つい、距離感に迷いが……」
「アレから毎日やることやってんのに?」
「やっ! なっ、リレイジア!?
どうして君はそう、恥じらいを知らぬ明け透けな発言をっ!」
「えー」
赤みが更に増してやんの。
そんなだから未だに夜の主導権握れないんだぞ、フェリクスくん。
こんなに幸せでいいのだろうかって泣いちゃうのも可愛いけど、そろそろ、もっとこう、煽るなと忠告したはずだとか言ってギラギラした顔で強引に押し倒すぐらい、やってくれて良いんだよ?
まぁ、さすがに拘束とかは勘弁だけど。
しかし、ここでウッカリ「慣れ」とか答えたら、即座にヤンデレスイッチ入りそうだなぁ。
誰といつどこで何故どんな風にって根ほり葉ほり、闇のオーラ出しながら延々と詰め寄られること請け合いだ。
怖や怖や。
「育った文化の違いかもね。
モンスターも動物も、番と仲良くするのに、いちいち照れないでしょ?」
「………………確かに」
「何だかんだ平穏に暮らしてるけど、私たちは明日の命も知れない弱肉強食の野生世界で生きてるんだ。
つまらない後悔なんかしないよう、自分の心には常に正直であった方が得策だよ?」
「そう、か。
捨てたと言いながら、結局、人の世の理に縛られていたのだな、僕は」
「別に無理してまで矯正する必要はないと思うけどね」
よぉーし、丸めこめてる丸めこめてる。
人の名前みたいだな……丸目米照、四十四才。
やぁ、素直で大変よろしい旦那様ですよ。
「では、改めて。
ええと、リレイジアの作業を僕に手伝わせてはくれないか。
その……邪魔でなければ、君の傍で過ごしたく思う」
控え目に照れる美青年は中々の趣がありますなぁ。
うーん、緩やかに靡く青髪が風流風流。
「はいはい。ありがとう、助かるよ」
「軽い」
この後、メチャクチャ一緒に家事した。
そんでもって、昼。
ご飯はスペースの関係で、これまで通り、向かい合って座るのがお決まりだ。
ただし、食後の一服タイムになるとフェリクスが椅子を移動させ、ピッタリ隣に引っ付いた状態で語らうのが新たな習慣となっている。
彼はその日の気分によって、手を握ってきたり、腰を抱いてきたり、頭を肩に乗せてきたり、とにかく無言で甘えてくるので、まぁ、こちらも悪い気はしないしと好きにさせていた。
ちなみに本日の美青年は、腕組みの気分のようだ。
「そういえば、今朝の呼び出しは何だったの?」
「……あぁ、どうも祖国が戦争のため、隣国に抜けるルートを確保したいようでな。
偵察兵や工兵が多数、侵入していた。
内、縄張りに足を踏み入れた者は全て抹殺し、それ以外の者に関しては無視した。
もちろん、姿を見られる愚は犯していないし、仮に見られていたとしても鎧化していたから、正体が看破されることはないだろう」
「ふーん。また面倒なことになってるねぇ。
ま、対処は任せていいんでしょう?
私の旦那様は頭もいいし、広域範囲攻撃も可能な隙のない男だもんね」
「んんっ。無論だ。
この程度の問題で君を煩わせるつもりはない」
小首を傾げ、笑顔でそう言えば、フェリクスは咳払いで朱に染まる頬を誤魔化そうとする。
私に頼られるのがすごく好きなのだ、この男は。
チョロ可愛いヤツめ。
何だかんだ、美青年のオーラ技は便利だから、私と彼の祖国が同時に攻めてでも来ない限り、醜女の出番はないだろう。
後は、森に大々的に火を放たれた場合、モンスターたちに連携行動を取らせる必要があるから、そうなると新ボスにはちょっと荷が重いかもしれない。
ま、いざって時に自分のプライド優先で被害を拡大させるような男を伴侶にした覚えはないから、待ちの姿勢で大丈夫でしょう。
その後、食器を洗ってくれている美青年に、私はタイミングを見計らって背中からギュッと抱きついた。
「なっ! ど、どうした?
珍しいな、リレイジアの方から、こんな接触の仕方……っ」
分かりやすく、声を上擦らせるフェリクス。
動揺しても作業の手は止めないあたり、根の真面目さが覗える。
「ねぇ、フェリクス?」
「う、うん」
「私の実家関係の人間の可能性があるから、そっち方面からの侵入者は私自身の目で確認したいって再三言ってるのに、先日まぁた黙って一人で始末しに行ったでしょう?」
あ、ギクッとしたな。
密着してるから、反応は逃がさないぞ。
「……ただの野盗の類いだ、君が出るまでもない案件だった」
問題はそこじゃないと理解した上での苦し紛れの時間稼ぎな言い訳など、愚かしいとは思わんかね。
「それを判断するのは、私」
「くっ。リ、リレイジア、僕は……」
「心配なら二人で行こうって提案に、貴方は頷いたよね?
どうして約束が守れないの?」
軽く怒気を込めて尋ねれば、ちょうど皿洗いが終わったらしい彼が濡れた手を拭ってから、己の腹に回る私の腕を強めに掴んだ。
「そっ、き、君が……っ」
「私が?」
「朝、起こしてくれないから」
「は?」
お前は何を言っているんだ?
頓珍漢な答えに固まる嫁を引き剥がし、美青年は体を反転させる。
そして、正面から向かい合う形となったところで、彼は私の両手を握り、泣きそうな顔で口を開いた。
「一緒に目覚めたいと何度も伝えているのに、いつも寝ている僕を放って一人でベッドから出ていくだろう」
いやだから、お前は何を言っているんだ?
「ソレとコレに、どう関係が?」
「もしや、僕の意識がない間に、何か僕がいると都合の悪いことを、しているのではないかとっ……!」
あぁ、そういう。
はいはい、なるほど。
「疑心暗鬼にさせちゃったわけね」
ヤンデレ相手に迂闊だったわ。
要は、その実家関係者なりとコッソリ出奔計画でも立ててるんじゃないか怯えている、と。
それに限らずとも、悪い方向の妄想が止まらない状態に陥っちゃったんだねぇ。
で、私がどっか行っちゃうのが怖くて、侵入者の問答無用な処分に繋がるワケか。
うーん、どうするかな。
起床については単純に、体力底なしな若者に朝っぱらから盛られてもクソ面倒だから、放置してただけなんだけど。
基本、早朝が一番仕事あるし。
いや、もちろん、気持ちよく眠ってる旦那様を起こすのは忍びないとか、ゆっくり休んで欲しいなって感情もあった上での話だからね。
そもそも本気で拒否すれば、彼の性格上、無理強いしてこないのは知ってるんだよ。
ただその、いちいち本気の拒否をするってぇのが心苦しいから、敢えて、そういう状況を作らないようにしていただけでさぁ。
んー……これ、どう丸め込んだもんかな。
「いやぁ、修行のつもりだったんだけどね」
「修行?」
「野生暮らしの嗜みとして、眠っていても気配や音には敏感であって欲しくてさ。
家だからって油断しないで、すぐ目覚める寝方を覚えて貰いたかったわけ。
私と起きたいって気持ちがあれば、それだけ早く習得してくれるんじゃないかと期待してたんだけど……そんな思い詰めるほど不安にさせてたんなら悪かったよ、ごめん。
せめて、先に説明しておくべきだったね」
さ、さすがに苦しい?
「……つまり、僕のためだったのか?」
おっ。イケそう?
何だかんだ、フェリクスはほとんど私の言うこと疑わないからなぁ。
まぁ、野生の醜女とは育った環境が違うから、どこをどう疑っていいのかすら分からないのかもね。
とりあえず、ダメ押しいっとくか。
握った両手を頬に添え、私はあざとさ全開の上目遣いで甘ったるい媚び声を出す。
「フェリくんっ。お願い、信じて?
私、どこにもいかないよ?
だって、私……フェリくんのこと、とっても愛しちゃってるんだもんっ☆」
「ぐぅっ!」
途端、一気に顔面を真っ赤にして苦しそうに胸元を掴み、そのまま床に両膝をつく我が麗しの夫様。
「リ、リレイジア……ソレは可愛すぎるから、極力止めてくれと言っただろうっ」
本当に、コイツの恋フィルターは分厚いな。
胸の生えたカジモ○にぶりっ子されても、私なら吐き気しかしないぞ。
まぁ、これだけ目に見えて狂ってるからこそ、奇形を気にせず美男子の妻やれてる部分もあるんだけどね。
「じゃあ、次から約束破らない?」
………………。
……………………?
いや、沈黙すんのかい。
往生際の悪いヤンデレだな。
「フェーリくんっ?」
「ああぁ止め分かった、もう一人で勝手に隣国の侵入者の始末には向かわないっ」
「はい、よーし」
両手でお綺麗な顔面ひっ掴んで超至近距離から微笑んでやれば、陥落はあっという間だった。
ふ、他愛ない。
しっかり言質を取ったので曲げていた腰を伸ばして手を差し出すと、フェリクスは苦笑しつつも躊躇わずそれを握り、私が引っ張るのに合わせて立ち上がってくる。
「……まったく、リレイジアには敵わないな」
また、そんなこと言って。
わざとか無意識かは知らないけど、本当は毎度敢えて負けてくれてるくせに。
こっちは前世でそこそこ人生経験積んでんだよ、そのぐらい分からいでか。
私の方が年上だってのに、いつだって甘やかされちゃってさぁ。
ふははは。
ま、そんなこんなで、押しかけ伴侶を迎えてからも、私はそれなりに楽しく毎日を過ごしている。
いつか獣に喰われ森の糧となる計画は確実に狂ってしまったけれど、人として妻としての愛に溢れた生活だって、そう悪くはない。
「リレイジア、僕は今とても君を抱きしめたい」
「はいはい、お好きにどうぞ」
願わくば、この安寧な夫婦生活が一分でも一秒でも長く続くことを……。
悲しい子供時代を過ごしたフェリクスが、そんな記憶ごと包まれるような大きな幸福を得てくれたらいい。
そして、出来れば彼より先に死んでやりたいと思う。
きっと、このヤンデレ夫は嘆きながらも嬉々として妻の死体を食べるか剥製化させ、いよいよ永遠に自分だけのものにしてくれるはずだ。
まぁ、もしも、彼が先に逝きそうな時は、望まれれば心中ぐらいはしてやってもいいさ。
あれだけ用心してたってのに、こんな醜女なんぞの身に余る、最高に上等でイカレた男に捕まっちまったんだからねぇ。
わはは。
いやぁ、参った参った。
「愛している……僕の光の乙女」
「はいはい、知ってますよ」
森の醜女にご用心、完。