↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
死んだ姉の婚約者に嫁いだら、姉から離婚届が届きました  作者: swingout777


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
1/8

第1章 結婚式の翌朝、死んだ姉から離婚届が届いた

 結婚式の翌朝、十年前に死んだ姉から離婚届が届いた。


「……これは、何ですか」


 私は朝食の席で、銀盆に載せられた一枚の書類を見つめていた。


 王立身分登録院の正式な用紙だった。


 上部には王冠と秤を組み合わせた紋章。

 右下には、昨夜押されたばかりの赤い受理印。


 そして申請者の欄には、見慣れた名前が記されている。


 エレノア・フィーネス。


 私の姉だ。


 十年前に死んだ、私の姉。


「私も、それを聞きたい」


 向かいに座っていたアルベルト・レインが言った。


 昨日から私の夫になった人だ。


 黒髪をきちんと後ろへ撫でつけ、朝から隙のない服装をしている。昨夜ほとんど眠っていないはずなのに、その顔から疲労は読み取れない。


 昔からそうだった。


 アルベルトは感情を顔に出さない。


 姉の葬儀の日も。

 そして昨日、私と結婚した日も。


「旦那様がお送りになったものでは?」


「俺が?」


「悪趣味な冗談という可能性もあります」


「結婚翌朝の妻に、死んだ姉の名前で離婚届を送るほど、俺は暇ではない」


「そうですね」


 それもそうだ。


 私は再び書類を見た。


 離婚届。


 正式には《婚姻関係解消申請書》。


 王国では結婚も離婚も、王立身分登録院の管轄になる。


 私はそこで書記官として五年間働いている。


 だから分かる。


 これは偽造ではない。


 紙質。

 透かし。

 印章。

 書式。


 どれも本物だ。


 何より、右下にある登録番号が問題だった。


 七七四一―三一八。


 昨日、私とアルベルトの婚姻届に発行された登録番号が、七七四一―三一七。


 つまりこの離婚届は、


 私たちの婚姻届の直後に登録された。


「おかしい」


「何がだ」


「全部です」


 思わず即答した。


「まず、死者は離婚できません」


「当然だろう」


「正確には、死亡した時点で婚姻関係は終了します。だから離婚手続きそのものが不要です。それ以前に――」


 私は申請者欄を指さした。


「姉はあなたと結婚していません」


 アルベルトが黙る。


 姉エレノアは、かつてアルベルトの婚約者だった。


 けれど結婚する前に死んだ。


 十七歳だった。


 馬車が崖から転落した。


 遺体は激しく損傷していたと聞いている。


 私は当時十二歳だった。


 両親は私に遺体を見せなかった。


 その後、アルベルトは長く結婚しなかった。


 そして十年後。


 なぜか姉の妹である私と結婚した。


 世間では、


『亡き婚約者への愛を貫いた末、その面影を持つ妹を妻に迎えた』


 などと美談になっている。


 私はその記事を読んで吐きそうになった。


 私は姉の代用品ではない。


 昨日の結婚式でも、招待客の半分は私ではなく姉を見ていた。


「やっぱり似ているわね」


「エレノア様が生きていらしたら、こんな花嫁姿だったでしょうね」


 何度聞いたか分からない。


 だから昨夜、アルベルトが寝室で言った言葉だけは少し意外だった。


『君にエレノアの代わりを求めるつもりはない』


 優しい言葉だったのかもしれない。


 でも私には、


 ――君を愛するつもりはない。


 そう聞こえた。


「誰が届けたんだ」


 アルベルトが尋ねた。


 私は銀盆を運んできた執事を見る。


「夜明け前です。王立身分登録院の使者が」


「使者の名前は?」


「そこまでは……」


「顔は覚えているか」


「はい」


「あとで確認させる」


 アルベルトが立ち上がった。


「どこへ?」


「登録院だ」


「私も行きます」


「今日は休暇だろう」


「だからこそです」


 昨日結婚したばかりの花嫁が、翌朝から役所へ出勤するのは確かに妙だ。


 けれど、死んだ姉から離婚届を送られて、何事もなかったように新婚生活を始められるほど、私はおおらかではない。


「それに」


 私は書類を裏返した。


「これを調べられるのは、おそらく私です」


「なぜ?」


 返事をする代わりに、私は書類の一番下を指さした。


 小さな文字がある。


《申請照合担当者》


 そこに書かれていた名前は、


 リディア・フィーネス。


 私の旧姓だった。


          ◇


 王立身分登録院は、王宮から三本南の通りにある。


 灰色の石造りの建物で、華やかさとは縁がない。


 出生。

 婚姻。

 離婚。

 養子。

 死亡。


 人間の人生に名前がつく出来事は、すべてここに記録される。


 結婚式より婚姻届のほうが大切。


 葬式より死亡届のほうが大切。


 少なくとも、この国の法律上はそういうことになっている。


 私が職場へ入ると、受付の書記官たちが一斉にこちらを見た。


「リディア?」


 同僚のマリアが目を丸くする。


「あなた、今日休みじゃなかった?」


「その予定だった」


「新婚初日でしょう?」


「そうね」


「旦那様は?」


「後ろにいる」


 マリアが私の肩越しを見る。


 そして硬直した。


 レイン公爵本人が登録院を訪れることなど、ほとんどない。


「少し調べたいことがあるの」


「何を?」


「昨日受理された婚姻関係解消申請」


「離婚?」


 マリアの声が裏返った。


「待って。昨日結婚したのよね?」


「私のじゃない」


 正確には、それも怪しくなってきたが。


「申請者はエレノア・フィーネス」


 マリアの顔から笑いが消えた。


 彼女は姉のことを知っている。


 登録院で働き始めた頃、私が話したことがあるからだ。


「……お姉さん?」


「ええ」


「亡くなった?」


「十年前に」


「それ、笑っていい話?」


「私が笑っていないでしょう」


「笑えない話なのね」


「今のところは」


 私は記録閲覧室へ向かった。


 職員証を読み取り板にかざす。


 石板に青い文字が浮かんだ。


《閲覧権限 三級》


 扉が開く。


 アルベルトも続こうとしたので止めた。


「ここから先は職員だけです」


「俺は当事者だ」


「公爵でも規則は規則です」


「昨日から君は俺の妻だが」


「勤務中は登録院書記官です」


 一瞬。


 アルベルトの口元がわずかに動いた。


 笑ったのかもしれない。


「分かった」


 彼は廊下の長椅子へ腰掛けた。


「待っている」


「一時間はかかるかもしれません」


「十年待った」


「何をです?」


「いや」


 アルベルトは窓の外を見た。


「何でもない」


 妙な人だ。


 私は記録閲覧室へ入った。


 棚には無数の帳簿が並んでいる。


 昨日の受付記録を呼び出す。


 七七四一―三一八。


 あった。


《婚姻関係解消申請》


 申請者。


 エレノア・フィーネス。


 対象者。


 アルベルト・レイン。


 提出日時。


 王暦三一四年、花月十二日。


 午後十一時四十七分。


「……昨日だ」


 私の結婚式が終わった二時間後。


 私は次に申請方法を確認した。


《本人提出》


 息が止まった。


 代理ではない。


 郵送でもない。


 本人が窓口へ来たことになっている。


「そんなはずないでしょう」


 誰に言うでもなく呟く。


 私は受付担当者を確認した。


 空欄。


「……何?」


 あり得ない。


 本人提出で担当者が記録されないことなどない。


 さらに奇妙な項目があった。


《本人確認方式》


 通常なら、戸籍符号、印章、血縁魔力照合などが記される。


 しかしそこには、


《死亡記録との照合済み》


 とある。


 意味が分からない。


 死者であることを確認した上で、本人として離婚届を受理した?


 そんな制度は知らない。


 五年間ここで働いていて、一度も見たことがない。


 私は紙の原本を取り出した。


 今朝届いたものと同じ内容。


 ただし、こちらには申請者本人の署名がある。


 エレノア・フィーネス。


 その文字を見た瞬間。


 私は椅子から立ち上がった。


 知っている。


 これは姉の字だ。


 幼いころ、何度も見た。


 誕生日にもらったカード。


 勉強を教えてもらったノート。


 私の名前を書いてくれたしおり。


 少し右上がりのE。


 最後だけ細く跳ねるa。


 癖まで同じだった。


「……姉さん」


 声に出した途端、十年前の記憶が戻った。


 白い棺。


 泣き崩れる母。


 何も言わなかった父。


 棺の前に立っていた、十八歳のアルベルト。


 そして私は姉の顔を見ることを許されなかった。


『事故がひどかったの』


 母はそう言った。


『エレノアのきれいな顔だけ覚えていなさい』


 私は疑わなかった。


 十二歳だったから。


 いや。


 十二歳だったことを、言い訳にしていただけなのかもしれない。


 私は原本をさらに調べた。


 署名の下に、追記事項がある。


 今朝の写しでは省略されていた部分だ。


 手書きだった。


 姉の字で。


 たった一行。


 私はそれを読んだ。


 もう一度読んだ。


 意味を理解するまで、三度読んだ。


《妹を、私の代わりにしないでください。》


 指先が震えた。


「どういうことなの……」


 姉は知っていた?


 私がアルベルトと結婚することを?


 十年前から?


 いや。


 そんなはずがない。


 昨日誰かが書いたのなら説明できる。


 姉の筆跡を真似た人間がいる。


 登録記録を改ざんできる人間がいる。


 それだけだ。


 死者が書類を提出するより、ずっと合理的だ。


 私はそう自分に言い聞かせた。


 だったら確認すべきことは一つ。


 姉が確実に死んでいるかどうか。


 私は死亡記録簿の棚へ向かった。


 フィーネス家。


 王暦三〇四年。


 エレノア・フィーネス。


 索引にはある。


 登録番号もある。


 死亡年月日。


 死因。


 届出人。


 すべて記されている。


 事故死。


 十年前。


 間違いない。


 私は原本保管箱を開けた。


 番号順に束ねられた死亡届を一枚ずつ確認する。


 三〇四―一八六。


 三〇四―一八七。


 三〇四―一八八。


 三〇四―一九〇。


「……ない」


 一八九がない。


 エレノア・フィーネスの死亡届。


 索引には存在している。


 登録番号も発行されている。


 にもかかわらず、


 原本だけが存在しない。


「リディア」


 背後から声がした。


 振り返る。


 扉のところにアルベルトが立っていた。


「職員以外は入れませんと言ったでしょう」


「一時間を過ぎた」


 そこで初めて時計を見た。


 一時間十八分。


「何か分かったか」


 私は答えられなかった。


 手には姉の離婚届。


 目の前には、姉の死亡届があるはずだった空白。


 アルベルトが近づいてくる。


「顔色が悪い」


「あなたは」


 自分でも驚くほど低い声が出た。


「十年前、姉の遺体を見ましたか」


 アルベルトの足が止まった。


 ほんの一瞬だった。


 けれど私は見逃さなかった。


 彼は答えをためらった。


「アルベルト様」


 私はもう一度聞いた。


「姉が死んだとき、遺体を確認しましたか」


 沈黙。


 登録院の地下には窓がない。


 紙とインクと古い石の匂いだけが漂っている。


 やがてアルベルトが言った。


「いや」


 私の背中を冷たいものが走った。


「見ていない」


 十年間。


 私は姉が死んだと思っていた。


 家族もそう言った。


 国の記録にもそう書かれている。


 墓もある。


 葬儀もした。


 なのに。


 死亡届の原本がない。


 遺体を確認した者もいない。


 そして昨日。


 死んだ姉は、自分の元婚約者へ離婚届を出した。


 私は手元の書類を見る。


 姉の筆跡で書かれた一文。


《妹を、私の代わりにしないでください。》


 その瞬間。


 初めて私は、十年前から当然だと思っていた一つの事実を疑った。


 ――姉は、本当に死んだのだろうか。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。