3章 35話 形を変えるという命題
告知を終えた日から、私は自室に籠もった。
広場で言った以上、形が必要だった。だが、形はまだない。あるのは問題だけだ。
穀物は足りている。水もある。治水も完成している。通常税は計算できる。
だが戦時徴収は読めない。春、夏、秋、冬と四度続いた徴発は、倉の中身以上に町の安心を削った。
私は帳面を開き、最初の頁にこう書く。
――穀物を穀物のまま抱えない。
だが、その先が続かない。
保存食を作る。そう考えるのは容易だ。だがこの世界に保存食は既にある。
塩漬け肉。干し肉。乾燥豆。硬いパン。燻製。油漬け。新しいものではない。
それでは金にならない。
私は異世界の記憶を引きずり出そうとする。だが、記憶は便利な辞書ではない。
断片的で、曖昧で、具体性に欠ける。
保存は水分との戦いだったはずだ。腐敗は空気と水が原因だった。
だが、だからといってこの世界で何ができる。
油で揚げる? 大量の油脂が必要だ。資源を食い潰す。温度管理も難しい。
蒸留? 時間がかかる。酒は贅沢と見られる。
濃縮出汁? 保存は可能だが、主食にならない。
私は机に肘をつき、額を押さえる。
この世界にあるものを書き出す。
小麦。大麦。豆。塩。肉。水。薪。時間。人手。
ないものも書く。
精密な温度計。真空。大量の油。密閉金属容器。乾燥機。
帳面が埋まっていく。だが答えは出ない。
穀物を軽くする。
嵩を減らす。
価値を上げる。
保存を延ばす。
条件は揃うのに、形にならない。
ふと、苦笑が漏れる。
前世でも、私はこうだった。期限が迫るほど机に向かい、完璧な案を探し続け、
結局は遠回りを重ねる。合理的であろうとするほど、動けなくなる。
「昔の自分の働き方と変わらないな……」
誰に聞かせるでもなく呟く。
扉が軽く叩かれる。
カイが顔を出す。
「進んでいますか」
「まだ考えているよ」
私は帳面を閉じない。
「領主様が気に掛けています」
「分かっているさ」
カイはそれ以上踏み込まない。去り際に一言だけ残す。
「急ぐ必要はありません。ですが、止まりすぎると焦ります」
その通りだ。
止まった町を動かそうとしているのに、自分が止まってどうする。
夜になっても机を離れず、夕食も自室で取った。やがて家の者が来る。
「領主様が、こちらで一緒に食べろと申しております」
食堂に行くと、ルドルフが静かに待っていた。
「何を考えている」
「保存食の方向です」
それ以上は言わない。
「形は」
「まだそこまでもたどり着いていません」
父は短く頷いた。
「保存は守りだ。だが守りすぎるな」
それだけ言い、食事に戻る。
私は自室に戻り、再び帳面を開く。
保存食。
軽い。
嵩が減る。
価値が上がる。
そこで、何かが引っかかる。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。
この物語は、派手な奇跡ではなく、小さな選択と積み重ねを
大切にして書いています。
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