3章 第31話 足場の上で
その冬、雪は遅かった。
白に覆われぬまま、凍りついた大地だけが広がっていた。
倉の前に並んだ荷馬車の轍が、黒く地面をえぐっている。吐く息は白く、馬の鼻先からも蒸気が立ちの
ぼっていた。兵の外套は分厚く、しかし声は低い。寒さよりも、削ることへの慣れがそこにあった。
四度目の徴収だった。
食糧は三度目と同量。
加えて馬と馬車が徴発された。
冬の最中に。
あのとき、私は十八ではなかった。
まだ十七だったはずだ。それでも、あの光景は年齢とは関係なく、骨に残る。
穀袋が運び出されるたびに、倉の奥行きが目に見えて浅くなっていった。
例年なら春まで触れない列。さらにその奥に積まれているはずの「もしも」の備え。
その境界線が、静かに踏み越えられていった。
住民は騒がなかった。
並び、頭を下げ、署名し、印を押し、淡々と見送った。
けれど、私の視界には文字が浮かんでいた。
【また削るのか】
【冬だぞ】
【黙っていればやり過ごせる】
【騒ぐな】
【騒げば目をつけられる】
怒りよりも、諦めが多かった。
諦めは静かだ。
静かだから、崩れない。
その静けさを、私は利用している。
……そう思った瞬間があった。
徴収官が去ったあと、父は倉の中に立ち、減った山を見上げていた。
怒りも嘆きもない。ただ、計算していた。どこまでなら削っても町が保つかを。
私はその横で、頭の中に浮かぶ数字を並べていた。
春までの消費量。新規開拓地の収穫予測。加工品への転用率。余剰労働力の再配置。
冷えていたのは空気ではない。
私の思考だ。
冬は、ぎりぎりで越えられた。
それは奇跡ではない。
計算の結果だ。
そして一年が過ぎた。
今、私は十八歳。
正式に領主代理となった。
執務室の机は父のものより一回り小さいが、視界は同じ高さにある。
窓の外には、治水路が光を反射している。流れは穏やかで、正確だ。
町は生き延びた。
だが、あの冬以降、私は理解している。
守るだけでは足りない。
削られる構造そのものを変えなければ、次も、その次も、同じことが起こる。
だから私は動き始めた。
加工品の拡張。
余剰労働の再配分。
冬季教育制度の設置。
人を配置し、言葉を選び、背中を押す。
視界には今日も文字が浮かぶ。
【できるかもしれない】
【失敗したくない】
【でもやってみたい】
【領主様が言うなら】
微弱な芽だ。
以前なら見逃していた小さな揺らぎを、今は拾える。
拾って、並べて、重ねて、押し出す。
町は少しずつ動き始めている。
私はそれを、正しく導いている。
――そう、思っていた。
あの冬を乗り越えたのは、私の計算があったからだ。
あの春の再配分は、私の判断があったからだ。
人の本音を読む力。
配置する力。
迷いを減らす声かけ。
私はもう、前世の失敗者ではない。
……本当に?
ふと、倉の匂いを思い出す。
空いた隙間。
踏み越えられた安全圏。
あのとき、私は何を見ていた?
人の本音か。
町の数字か。
それとも――
自分の有能さか。
机の上に置かれた書類の端が、わずかに震えた。外は風が強い。治水路の水面が乱れる。
私は目を閉じる。
四度目の徴収の朝、馬車が遠ざかるとき、私は何を感じていた?
【間に合った】
【これで証明できる】
その文字を、私は見ていた。
誰の本音でもない。
私自身の。
――足場の上に立っているつもりで、
その足場が誰の犠牲で組まれているかを、私はどこまで理解している?
扉が叩かれた。
「領主代理、商都からの報告です」
現実が戻る。
私は目を開き、書類を取る。
町は動き始めている。
止めるわけにはいかない。
止めれば、また削られる。
守るために、進む。
だがその進み方が、どこかで、誰かの足場を削っているのだとしたら。
――私は、何の上に立っている?
まだ、その問いは投げられていない。
だが、いずれ来る。
その予感だけが、冬の空気のように、肺の奥に残っていた。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。
この物語は、派手な奇跡ではなく、小さな選択と積み重ねを
大切にして書いています。
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