子供たちと森の主⑩
『シモンちゃん! 騎兵が居る! 数は15! こっちに来る!』
ベズィーの声と共に、そのベズィー達の方向に凄まじいスピードで向かう影が見える。
遠くて詳細は見えないが、槍を構えたゴブリンとそれを乗せる二足歩行の足の長い鳥、例えるならダチョウのような姿が見える。
シモンが指示を飛ばす。
『お兄様! こっちは私が抑えるから全員でベズィーの方に向かって! トーアーサ! ベズィー! 応戦お願い!』
その指示に、ヨハンの脳裏には危険ではないかという考えが逡巡する。
15の騎兵が分かれたとはいえ、半分の15匹は残っているのだ。その相手をシモン一人で大丈夫だろうかという考えだ。
小さくなっていく彼女の背中に視線を向ける。
意図せず、ヨハンの脳裏には過去の、まだ小さかった彼女の背中が重なっていた。
〇〇〇
「お父様……大丈夫?」
6歳の頃だ。滅多な事では体を壊さない父が体調を崩し、寝込んでしまった日。
シモンは父親の傍で心配そうに声を掛け、僕は一歩引いて、シモンの背中越しに父に視線を向けていた。
父親、ペトロはそんな二人に微笑みかけ、僅かに掠れた声を出した。
「二人とも心配し過ぎだ。少し寝れば大丈夫だから」
初めて見た父の弱々しい笑顔に、大丈夫だと分かっていても怖くなったのを覚えている。
その気持ちはきっとシモンも同じだったのだろう。彼女の口が一文字に結ばれ、何かに耐える様にしているのはその表情を見なくても分かる。
こういう時に一歩を踏み出すのは、僕の役目だった。
「父上も僕たちが居ると気を遣って休めないだろう。行こう、シモン」
「……わかった」
家族なのだから気を遣わないで欲しい、楽にして欲しい、そう思うのはただの我儘だと二人とも理解している。
どうしたって誰かが居ればその存在が気になるし、気を許した間柄だったとしても、敢えて恥ずかしい自分を見せたいなんて思う人間はいない。
そうやって自分に枷がある状態は、健康な時なら気にならなくても、弱ってしまっている時ほど疲労を感じてしまうものだろう。
それでも何か力になりたいという想いが、部屋を出ていくことを阻むのだ。
感情と理性の狭間に揺れる感覚。いつも的確な判断と行動ができるシモンだが、こういう時に弱いのは、一緒に暮らしている者だからこそわかる事だろう。
勿論父も分かっている。だから、父はシモンの頭に手を置き、こう言ったのだ。
「ありがとうな、シモン。勿論ヨハンもだ。でも、本当に大丈夫だから」
僕は、そう言う父の内肘の辺りに注射痕があり、その周囲の血管が膨張して浮いている様に見える事に気が付いた。
何かの実験をしているのか、それとも何かを治療する為なのか、嫌な予感が背中に汗となって伝っていくが、それをこの場で言葉にする事は憚れた。
だから僕は、動かない妹の腕をつかみ、「父上も言ってるんだ、行こう」と声をかけ、悔しそうな顔の妹と共に父の部屋を後にした。
それから、1日、2日と経ったが、父の容体はよくならなかった。
それどころか、日に日に父の頬はこけ、顔色が悪くなっている。
僕もシモンも何か力にならなくちゃと気持ちばかりが焦っていた。
それでも、父の傍に居るのは朝、昼、晩の1回ずつと二人で話し合った。
勿論片時も離れず父の下に居たい。それは僕もシモンも同じだ。
けれど、それで父が良くなるわけでもないし、それ以上に、僕たちが心配そうにしていると、父は無理をしてでも笑顔を作ろうとするのだ。
傍に居て力になりたいのに、傍に居ると体力を奪っていってしまう。
だからこそ、家の事は全てシモンと二人で完璧にこなそうと思った。
その気持ちはシモンも同じだったのだろう、僕たち二人は、日々の訓練も忘れないようにし、拙いながらも掃除、洗濯、料理、薪割り。後は育てている植物や畑の確認は父の作り出したスケルトンと一緒に行った。
食糧は備蓄分と畑の収穫で当分なんとかなるとは思ったが、念のため父が倒れて2日目にシモンと二人で狩りに行き、シンディオケラスという頭と鼻にそれぞれ一対ずつ角を持つ鹿のような動物を一頭と、ドードーという飛べない鳥を3羽、川魚を6尾程狩ってきたので、これを捌いて塩水に漬けている。一日程度漬けたら、天日干しにして干し肉を作成するつもりだった。
そうして、3日目に差し掛かったころ、僕とシモンは些細な事で喧嘩をするようになった。
まずは朝、薪を割っている時のことだ。
「お兄様! なんか薪が斜めに切られてるやつ多いんだけど?」
「……ごめん、考え事してて」
「おかしくない? 木の繊維って垂直なんだから、普通に切ったら縦に割けるよね」
「あ、いや、その、つい力が入ってしまって」
「これ1年干すんだよ? その期間積んでおかなきゃなんだよ? こんな形じゃ積み上げらんないじゃん、どうするの?」
追及するようなシモンの口調に、僕もついつい語気が荒くなる。
「そんなに言わなくてもいいじゃないか! 僕だってやったことのない事をやってるんだし!」
僕の態度の変化に合わせるように、シモンも声が大きくなる。
「私だってやったことないよ! なんでお兄様はできないの!?」
「そんなの僕だってわかんないよ! でも頑張ってるつもりなんだよ!」
「それが邪魔だって言ってるの!」
あんまりなシモンの言葉に、一瞬言葉がでなくなる。
頭に血が上って熱くなり、何も考えられなくなる感覚と同時に、首から下は心臓を掴まれるようなショックと共に冷めていくような感覚。
僕だって頑張ってるのに、僕だって父の力になりたいのに。僕だって、僕だって。
そう思う反面、自分が作った薪の質や量がシモンのそれに及ばないのは自分でもわかっていて、シモンに言い返したいのに、何も言えなくて。
もっと頑張れたんじゃないかと言われると、そうなんじゃないかと思ってしまって。
そんな事を葛藤していると、目じりから涙があふれてしまう。
するとシモンは、突然後ろを向いて「もういい」と言ってその場を去ってしまった。
次は料理の時間だ。僕は、何度言ってもわからないシモンに苛立ちを隠せないでいた。
「シモン、何回言ったらわかるんだ。砂糖は塩よりも分子が大きい、だから塩で先に味付けしてしまうと、砂糖が素材に入り込みづらいんだ」
シモンは口を尖らせて反論してくる。
「だって、塩味っぽいと思ったから砂糖要らないと思ってたけど、後になって砂糖が必要なんだって気付いたんだもん」
その態度に、苛々が爆発しそうになってしまう。
「だから! なんで作る前に調味料を用意しないんだ!」
「そんなのさあ! 作っててこの味じゃないなって思う事だってあるから臨機応変でいいでしょ!」
「そんなの設計図もなしに家を建てるようなもんだよ! ちゃんとした図面を用意した上で、トラブルが起きたら臨機応変にするんだよ! 最初から最後まで臨機応変っていうのは、ただの無計画って言うんだよ!」
その僕の言い方に、シモンは地団駄を踏んで反論してくる。
「そんな言い方ないでしょ! 私だって頑張ってるし! お父様に美味しい物食べて欲しいって思って努力してるのに! なんでそんな事言うの!?」
「シモンだって僕の努力をわかってないくせに! 自分だけそういうのずるいじゃないか! 邪魔するなら出て行ってくれよ!」
まただ。頭が熱くなって、体は冷えていく感覚。
なんとか冷静さを保ってシモンを見やると、彼女の目からは涙が零れていた。
肩を震わせ、奥歯を噛みしめているのか、口元は強く引き結ばれている。
僕の頭には、「ごめん」という言葉が広がっていた。あんなにも熱かった頭はその言葉がまるで熱を吸い取ったかのように冷えている。
けれど、その言葉を喉から出そうとすると、まるで自分の喉には大きすぎるかのようにうまくでてこない。
お互いに食いしばった歯から洩れるのは、荒い息だけだった。
そうしてお互いに視線を交わし合って、シモンは、また後ろを向いて言った。
「もういいよ」
そして、彼女はキッチンから出て行った。




