018 スマートフォンを操作して
スマートフォンに表示された噴水公園の項目を読みはじめた。
芝の広場に大きな噴水があり、それが噴水公園の名の由来になっているようだ。
とくに休日は家族連れで賑わい、過ごしやすい春や秋は、人気のスポットとなるらしい。
小学校の遠足で行ったっきりだが、近くにこんないい場所があったとは。
この身体の持ち主は、そういうのに興味なかったんだろうか。
距離ソフトを立ち上げて調べてみると、家から歩いて三十分と表示された。
遠足のとき、結構苦労してたどり着いた記憶があるが、それは子供の足だからだろう。
「姉さん、噴水公園に行くのに、どのくらい時間がかかったか、覚えてる?」
隣で思い出にひたっている姉に聞いてみた。
「え? ああ……子供のときの話よね」
「そう、歩き遠足で姉さんも行ったと思うけど」
「ええっと、一時間くらいだったかしら。チェックポイントを通って行ったはずだから、少し遠回りしたのかもしれないし……思い出した! 遊歩道に沿って歩いたのよ」
「遊歩道か、なるほど……」
特区のあちこちに、車や自転車の入れない遊歩道が設置されている。
たしかに通ったかもしれない。
「噴水公園までバスは通っているけど、地下鉄は……ちょっと遠回りね」
「いや、歩いていくと思うからいいんだけど」
地下鉄は特区内を一周するものと、西から東へショートカットするものが1本ずつ走っている。
ちょうど、『進入禁止』のマークを描く感じだ。
地下鉄は使いづらいことも多いが、バス網がいい感じに足りない部分を補ってくれている。
それでも不便なときは、スマートフォンで無人タクシーを呼べば済むので、移動に困ることはない。
「そういえば、俺は姉さんや母さんの位置情報って分かる?」
そういうアプリを使った記憶がない。
「たぶん一緒に入れたと思うわよ。使ったことない?」
「……ないんじゃないかな」
これまでは、母や姉がどこにいるか気にしたことはなかったようだ。
位置情報アプリがスマートフォンに入っているのかすら、覚えていない。
「設定してあげようか」
「うん。お願いできる?」
スマートフォンを渡すと、姉はちょいちょいと操作して返してくれた。手慣れている。
「アプリはインストールされていたから、一ページ目にアイコンを置いといたわ。設定だけど、普段はオフにしておくね。オンにすると、地図画面でわたしたちの位置情報が出てくるようにしてあるから」
「ありがとう」
以前から、母と姉はいつでも俺の居場所を調べることができていた。
誘拐とかがあったら、大変だからだ。
記憶を探ったとき、俺のプライベートはどこいったのだと思ったものだが、この世界ではこれが当たり前。
特区内ならば、監視カメラとこの位置情報のおかげで、変な事件に巻き込まれる可能性は低いし、万一誘拐されても、この情報を頼りに捜索してくれる。
ちなみにスマートフォンの電源を落としても意味はない。位置情報だけは正確に読み取ってくれる。
うん、男性にプライベートはなきに等しいのだ。
俺が今日、北の森に行ったことも、姉は知っている。
このところ毎日出かけているので、まさかそこで女神と会話しているとは思わないだろうが。
「ねえ、必要なら噴水公園の情報を調べておくけど?」
「いやいい……それより、ラミネーターってどこにあったかな?」
「ラミネーター? 透明フィルムを熱で蒸着させるあれのこと?」
「そう。ちょっと使いたくて」
「普段使わないから、勝手口の納戸にしまってあると思うけど……」
「ありがとう。探してみるよ。姉さんは勉強がんばって」
「う、うん……がんばる」
姉は不思議そうな顔で俺を見ていたが、すぐに勉強を再開するため、二階へ上がっていった。
特区内の女子大はとにかく人気なのだ。
特区内に住んでいるのに、特区外の大学に行くことにならないよう、姉にはぜひともがんばってもらいたい。
翌日の早朝、俺は中学時代のジャージを着て、ジョギングをはじめた。
もとの肉体のときの日課だ。
本当は空手の型稽古もやりたいのだが、急にそんなのをはじめて、不審に思われても困る。
当面はジョギングと柔軟体操、それにヨガだけに留めておくつもりだ。
「……スポーツウェアを買った方がいいな」
ワードローブの中を探したが、運動に適した服はひとつもなかった。
これまでずっと、完全なインドア派だったようだ。
ジョギングをはじめて少しすると、息が楽になってきた。
身体的なスペックは悪くないようで、予想以上に身体が動く。
運動する機会に恵まれていなかっただけで、しっかりと鍛えてやれば、かなりのところまでいきそうな気がする。
この日は休憩を二回入れて、10キロメートルを走った。
休憩を考慮しなければ、55分で走ったことになる。
初回でこのペースならば、まずは休憩なしで50分を切るのを目標にしようと思う。
ピッチ数とスライドから、おそらく1キロメートルを5分で走るのはそれほど難しくないと思われる。
「ただ、筋肉と関節がなぁ……」
どこまで無理できるか未知数なため、そのへんは身体と相談しながらになるだろう。
なんにせよ、この身体を鍛えるのは存外楽しそうだ。
シャワーと着替えを済ませて登校すると、クラスの女子が何人かこっちに視線を送ってきた。
というか、みんな来るのが早い。
始業までまだ20分以上あるのに、ほとんどの女子が来ていた。
なんて真面目なんだろうか。さすが偏差値が高いだけのことはある。
俺が席につくと、女子がソワソワしだす。
そこで俺はピーンときた。
「みんなおはよう。自己紹介文を書いてきた人がいたら、見せてくれるかな」
――ガタガタッ!
一斉に立ち上がるものだから、廊下を歩いていた他クラスの女子が「ひぃ!?」と驚いていた。
散歩中の犬が、シャッター音にビビるのと同じだ。あれは心臓に悪い。
女子たちがこぞって手にレポート用紙をもってやってきた。
あらかじめ決めてあったのか、俺の前で一列にならび、丁寧にお辞儀してから両手でそれを渡してくる。
卒業証書授与式かな?
「なんか分厚いものが……あれ? 製本されてる? こっちはカラー?」
特別な紙を使っていたり、写真が印刷されていたりと、なんか俺が思っているのと違うものが交じっている。昨日の今日でここまでできるものなのか?
というか、量が多いのはなに?
「えっ? 全員、特区外生」
教室にいた女子が全員、ここに集まっている。
「わたしは特区に住んでいます。みんなもそうだけど、これは自主的に書いてきたのです」
「あー……」
そういうことか。
男子に自分のことを覚えてもらうのに、いい機会だと思ったのだ。
でもこれ、班決めまでに読まなきゃだめなんだろうか。
10万字くらいあるのは、もはや自己紹介ではなくて回顧録、もしくは私小説だ。
というか、一人で書いたわけではないよね。家庭内分業した?
山になった自己紹介文(?)をどうしようかと眺めていると、周囲の女子から熱い視線が注がれてきだした。
「まずは、特区内生と特区外生に分けるか」
この場で全部を読むのは不可能だし、そもそも昨日、班は特区外から来た女子を希望すると言っている。
中身を流し読みしながら、俺は仕分け作業をはじめるのだった。




