第8話:王都からの使者、あるいはトラブルメーカー
白く美しい高規格道路が完成し、バルツァー村に初めて定期的な行商の馬車がやってきたその日の昼下がり。
王都・宮廷水理局の局長室では、バドリック卿が満足げに鼻を鳴らしていた。
「――ふん。東部のあの小僧、アレンが奇跡的に泥沼を切り抜けたなどと浮かれているようだが、調子に乗るのもそこまでだ」
バドリックの目の前には、一通の書類があった。
それは、貴族院の有力議員から押し付けられた「扱いに困るポンコツ令嬢をどこかの役職にねじ込んでほしい」という面倒な頼み書きだった。
「ちょうどいい。あの生意気なアレンの鼻を明かしてやろう。バルツァーの『主席監査官』という名目で、この手の付けられないお飾り令嬢を送り込んでやる。お高くとまった貴族の娘が泥まみれの寒村で大暴れすれば、あのアレンも頭を抱えて発狂するに違いない。ははは、一石二鳥よ!」
バドリックが腹黒い企みに浸っているとは露知らず、当の本人は今まさに、その呪われた泥沼の村へと向かって馬車を走らせていた。
「――おのれ王都の水理局め! よりにもよって、このわたくしにこんな辺鄙な泥沼の視察を押し付けるなんて、絶対に許しませんわ!」
ガラガラガラ……と、一際豪華な四頭立ての馬車が、新しく舗装されたばかりの街道をもの凄い勢いで走ってきた。
馬車の窓から顔を出し、フリルたっぷりの豪奢なドレスを風になびかせながらキーキーと文句を垂れているのは、一人の金髪ロールヘアーの美少女だった。
名はリリア・フォン・グランツ。
名門貴族の令嬢であり、バドリックに「君の優秀な魔法の才能ならバルツァーの監査にふさわしい!」と見事に言いくるめられ、お飾りのお目付役として送り込まれてきた人物である。
「お嬢様、そろそろ村に到着いたします。道路が整備されているおかげで、以前よりだいぶ早く着きましたよ」
御者の老執事が苦笑しながら声をかけた。
「あら、本当ですわね! 噂の不毛の泥沼なんてどうせ嘘で、あの怠け者代官が適当に誤魔化しているだけですわ。今すぐそのボロを剥ぎ取って、わたくしが優秀さを証明して差し上げますのよ!」
鼻息を荒くするリリア。
顔立ちは人形のように整い、目を奪われるほどの絶世の美女なのだが――その実態は、絵に描いたような「頭のお花畑系・超絶おバカ令嬢」であった。
王都の魔法学校では、実技のたびに「水を出す呪文で自分のドレスを全焼させる」「護身用の魔力弾を天井に向けて撃ち、自室を半壊させる」といった伝説を残し、周囲を絶望の淵に沈めてきた問題児である。
馬車が村の入り口、ちょうどアレンたちが作業をしている側溝の脇で急停車した。
「着きましたぞ、お嬢様」
「よしっ! 王都の貴族たるわたくしの気高いお御足で、この泥の村に最初の一歩を踏み下ろしてやりますわ!」
リリアは意気揚々と馬車の扉を開け、勢いよく飛び降りた。
――だが。
彼女が踏み出したその場所は、よりによって雨上がりの側溝の縁、まだ固まりきっていなかった湿った粘土の上だった。
「――って、あら?」
ツルッ! と綺麗に足が滑る。
「きゃっ!?」
美しく整えられたロールヘアーが縦回転し、リリアの身体は宙を舞った。
そして――。
バシャアァァンッ!!
見事すぎるほどの美しいうつ伏せの姿勢で、村の側溝の泥水へと全身からダイブした。
高価なフリルドレスは一瞬で茶色い泥まみれになり、顔面から足の先まで見事に完璧な「泥人形」が完成した。
「…………ぶ、ぶふっ!?」
リリアは泥の泡を吹きながら、ガバッと顔を上げた。
その双眸には、あまりの衝撃と屈辱に涙がうっすらと浮かんでいる。
「な、なんですの、この道は……!? 綺麗に舗装されていると見せかけて、わたくしを罠に掛けるための泥の地雷原ではありませんこと……!? ひどいですわ! 王都の貴族に向かって泥を投げつけるなんて、この村の住民は全員野蛮人ですのね!?」
自分で勝手に滑って転んだくせに、全方位に向かって泣きながら言いがかりをつけるリリア。
あまりの堂々としたおバカっぷりに、街道の整備を手伝っていた村人たちも、荷馬車を止めたダガンも、完全にポカンと口を開けて固まっていた。
「…………」
「代官様、あんなのが王都から送り込まれてきたんですかい……?」
ダガンがヒソヒソと耳打ちしてくる。
俺も額に手を当て、深い溜息を吐きながら泥だらけの美少女に近づいた。
「おい、大丈夫か。怪我はないか?」
「ひっ……!?」
声をかけられたリリアが、ビクッと肩を震わせて顔を上げた。
泥だらけの顔で、こちらを警戒するようにキッと睨みつける。
「な、なんですのよ、あなた! 身なりはボロボロの作業着ですけれど、もしかしてこの村の卑しい下働き……?」
「いや、俺はこの村の代官のアレンだ」
「――は……?」
リリアの動きがピタリと止まった。
彼女は泥まみれの顔をさらにクチャクチャに歪め、アレンの顔と、目の前に広がる美しく舗装された高規格道路、そして遠くに見える遊水池を交互に凝視した。
「あ、あなたが……あの怠け者で無能なはずのアレン代官……?」
「怠け者かどうかは、この街道を見れば分かると思うがね」
俺は苦笑しながら、泥にまみれてひっくり返っている王都からの使者に手を差し伸べた。
「とりあえず、そこに座ってちゃ風邪をひく。立てるか?」
「わ、わたくしが勝手に転んだわけではありませんわ! この地面が勝手にわたくしを裏切ったんですのよっ!」
口では強がりを言いながらも、差し出された俺の手をギュッと掴み、リリアは盛大に泥を跳ね上げながら立ち上がった。
こうして、バルツァーの復興を揺るがす(あるいは別の意味で盛大にかき乱す)最強のトラブルメーカーが、盛大な泥まみれと共にやってきたのだった。




