第35話:論理の断頭台、あるいは遺された希望の錯誤
圧倒的な青い光に包まれた執務室で、王都の特使と両親は、へたり込んだままカタカタと震えていた。
「ば、馬鹿な……! 私の持参した不可視の魔導具が、完全に無効化されただと……!?」
「ええ。それどころか、ご丁寧にも『発信元』のログまですべて抽出させていただきましたわ」
リリアが優雅に指を鳴らすと、空中に何十枚もの光の証書が展開された。
それは、特使が王都の悪徳商会と交わした裏帳簿、そしてアレンの両親であるミランとガルンが、自治区の予算を担保にして莫大な借金(裏金)を作っていた完全な証拠だった。
「リリア。ご苦労だった」
アレンが静かに前に出る。その瞳には、もはや一欠片の感情も、血の繋がった親への情も存在しなかった。あるのは、インフラを脅かした害悪を排除するための、冷徹な『論理』だけだ。
「特使殿。あなたは自治区のインフラに対する重度の破壊工作、および国家反逆罪に等しい汚職の実行犯だ。王都の監査局には、すでにこのログを商会の暗号通信で転送済みだ」
「ひっ……! ま、待て、アレン殿! これは誤解だ! 私はこの両親に騙されて……!」
「黙れ」
アレンの低く凍てつくような声が、特使の弁解を切り捨てた。
「そしてガルン、ミラン。お前たちには、詐欺罪、横領未遂、およびインフラへの破壊教唆の罪を適用する。直ちに貴族籍を剥奪の上、王都北部の魔石鉱山での『無期強制労働』を命じる」
「なっ……ふざけるな! 俺たちは親だぞ! お前を産んでやった親に向かって――」
「マリア! マリア、お前からも何か言いなさい! 私たちはあんたのために……!」
無様に喚き散らす両親が、アレンの背後に隠れていたマリアへとすがりつこうと手を伸ばす。
ダンッ!!
アレンは両親の前に立ちはだかり、その手を容赦なく魔力で弾き飛ばした。
「二度と、俺の妹にその汚い手を触れるな」
氷の刃のようなアレンの殺気に、両親はついに絶望の悲鳴を上げ、駆けつけた自治区の衛兵たちによってズルズルと引きずり出されていった。
「お放しなさい! 私は特使だぞ! ぐああっ!」
「嫌ぁぁっ! 許して、アレン、マリアぁぁっ!」
やがて、執務室から醜い絶叫が遠ざかり、静寂が戻る。
「……終わりましたわね、アレン様」
リリアがふうっと息を吐き、いつもの優しい微笑みを浮かべた。
「ああ。お前がいなければ、危ないところだった。……本当に、すまなかった。そして、ありがとう」
アレンの心からの謝罪と感謝に、リリアは少しだけ頬を染め、「……まったく、おっちょこちょいな領主様ですわ」と嬉しそうに目を伏せた。
二人の間に、確かな信頼の絆が戻った。
外部のバグ(両親と特使)は完全に排除され、システムは正常化された。アレンの論理は、ここに完璧な解決を見出したのだ。
アレンはゆっくりと振り返り、部屋の隅でうつむいて震えている妹へと歩み寄った。
「マリア」
アレンは、泣きじゃくる妹と同じ目線になるように膝をつき、その細い肩を優しく抱き寄せた。
「もう終わったんだ。あいつらはもういない。……お前が俺のシステムを壊そうとしたのも、あいつらに脅されて、無理やりやらされていたからだろう?」
それが、アレンの導き出した『論理』だった。
か弱く優しい妹が、あんな恐ろしい真似をするはずがない。根本の『原因(両親)』さえ排除すれば、『結果(マリアの異常行動)』も元通りになるはずだ。
「もう怯えなくていい。これからは、俺が……本当の兄として、お前を守るから」
アレンは、純粋な希望と愛情を込めて、マリアの頭を撫でた。
――だが。
アレンの胸に顔を埋めたマリアの肩が、不自然に小刻みに震え始めた。
「……マリア?」
「くっ……ふふっ……あはっ、あはははははっ!!」
執務室に響き渡ったのは、安堵の涙ではなかった。
腹の底からこみ上げるような、けたたましく、ひどく歪んだ嘲笑だった。
マリアがゆっくりと顔を上げる。
そこには、怯える薄幸の少女の面影は微塵もなかった。ただ、極上の喜劇を最前列で見終わったような、悍ましくも妖艶な「現代の怪物」の顔があった。
「あーあ。本当に使えない豚どもでしたわね。せっかく私が、お兄様のシステムの中枢まで案内して差し上げたのに」
「……え?」
アレンの思考が、完全にフリーズした。
「でも、おかげでよく分かりましたわ。お兄様の『論理』の脆さも、そこにいる『雌豚』の魔力の波長も……すべてのデータ(解析)は、今ので完了しましたの」
マリアが指先を軽く鳴らすと、復旧したはずの青い魔法陣の奥底に、さきほどよりもさらに深く、禍々しい漆黒のノイズが蠢き始めた。
「さあ、茶番はここまでですわ、お兄様。――ここからが、本当の『地獄』の始まりです」
アレンがすがった「論理」という名の希望は、今、彼自身の目の前で、最も愛する妹の手によって無残に噛み砕かれたのだった。




