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『真理子という名前』  作者: 蔭翁


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第14話 結果発表 ――運命の朝、動き出す声



鳳雅シンフォニア・ドームの朝は、昨夜とまるで別の表情をしていた。


薄い霧がガラス張りの外壁を淡く包み、白い光がゆっくり差し込んでくる。

昨日の熱気を覚えているはずのホールも、まるで息をし直したように静かだった。


今日――第一日の審査結果が出る。

出場者にとって、この朝は“運命の音が鳴り出す瞬間”でもある。



---


■ 詩の朝


佐久間詩は、控室の隅で膝を抱えるようにして座っていた。


昨夜はほとんど眠れなかった。

眠りの底に沈みかけると、星野玲のあの完成された歌声が蘇り、胸がきゅっと締め付けられる。


(……負けた、なんて思いたくないけど)


“比較”という二文字が、心の奥でゆっくりと重い影を落とす。


けれど、その影の下で、小さな火がまだ揺れている。


(私は……昨日、ちゃんと自分の声で歌えた。)


その実感だけは、誰にも消せなかった。


廊下の向こうで足音が止まり、ドアをノックする音が響いた。


「詩ちゃん、起きてる?」


田村紗江の声だった。


「うん……起きてるよ」


扉が開き、紗江が優しい笑みを見せる。


「結果、もうすぐ発表らしいよ。緊張してる?」


「……してる。でも……うん、ちゃんと聞ける気がする」


紗江は詩の肩を軽く叩いた。


「詩ちゃんの声、きっと誰かに届いてるからね」


その言葉は昨夜よりも深く、あたたかく胸に落ちた。



---


■ 玲の朝


同じ頃。


星野玲は、ホテルの部屋の鏡の前で姿勢を整えていた。


寝不足のはずなのに、顔色は悪くない。

声帯を守るためのルーティン――首元のストレッチ、舌の緩め方、深呼吸。

すべてが正確で、迷いがない。


けれど、鏡の端にはふと、昨夜の詩の姿が映った気がした。


(……あの子、揺れているのに、折れなかったな)


玲は優秀だ。

音楽教室でも、全国大会でも、高い評価を揺るがされたことはほとんどない。

だが昨日、ほんの一瞬だけ胸の奥がざわついた。


“届く声”とは何か――

揺るぎないものだけでは測れないと、彼女自身が誰より知っている。


(今日から、また競争が始まる)


玲はそっと目を閉じ、深く息を吸った。



---


■ 審査室の静寂


発表の直前。


審査員控室では、風間隼が静かに書類を閉じた。


「……ふう」


一晩中考えたわけではない。

だが、夜の余韻と、今朝の静けさの中で、結論はよりくっきりと浮かび上がっていた。


――“名前”は、ただの記号じゃない。


佐久間詩の“詩”という名前。

星野玲の“玲”という名前。


どちらにも音があり、物語がある。

その“物語”が、彼の胸の中で響き合っていた。


「そろそろ……だな」


主任審査員の声が控室に届く。


審査員たちは歩き始めた。



---


■ 運命の掲示


ホールのロビー。

大きな電子掲示板が、ゆっくりと光を帯びていく。


出場者たちが集まり、ざわめきが少しずつ熱を帯びていった。


詩は紗江の隣に立ち、指先が震えているのを感じた。


(大丈夫……大丈夫……)


玲は少し離れた場所で腕を組み、背筋を伸ばしたまま結果を待っている。


そして――


電子掲示板が、静かに一覧を表示し始めた。



詩の視界が一瞬だけ揺れた。


でも、そこに自分の名前を見つけた瞬間――

心の奥で何かがぱっと灯った。


「――あった……!」


思わず声が漏れた。


紗江が両肩を掴んで揺さぶる。


「詩ちゃん! ほらね、言ったでしょ!」


詩は胸に手を当て、息を整えようとした。

足がじんと熱く、震えている。


その少し横で、玲は静かに自分の名前を確認し、わずかに微笑んだ。


(……詩。次は今日よりもっと、深く聴かせて)


玲のまなざしには、ライバルとしての静かな闘志が宿っていた。



---


■ 風間隼の視線


審査員席の脇からそっと出場者たちを見ていた風間は、ひそかに頷いた。


(それでいい。昨日よりも今日、今日よりも明日……その歩幅が、音になる)


詩の驚きと喜び。

玲の静かな自負。

二人の反応は対照的で、どちらも美しい“音”だった。


「いよいよ……物語が動き出すな」


風間の声は、小さく、しかし確かな熱を宿していた。



---


■ 覚悟の朝


詩は掲示板の前で、胸の中に浮かぶ言葉を噛みしめていた。


(……動いてる。私の声、ちゃんと動いてる)


自信ではない。

でも――前に進む小さな足取りは確かだ。


玲がすれ違いざまに小さく言った。


「次も、全力で来てね。中途半端じゃ、私がつまらないから」


「あ……うん!」


詩は驚いたが、同時に心がふっと軽くなった。


運命の朝。

光と影が交差し、出場者たちの“声”が動き始める。


明日はまた、新しい歌が生まれる。



---


(第14話・了 → 第15話「二日目開幕 ――揺れない声、揺れる心」へ続く)



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