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萌芽  作者: 吉良 大介
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オマワリの姿が完全に見えなくなるまで動けなかった。

行っちゃった。

途端に足が震えてきた。必死に平静なフリを保ちつつ、心の底からホッとした。

「ありがと。」

「ビビったろ。」

「ビビってない!…いや、ビビった。恐かった。」

正直に言っちゃった。でも彼には隠さない方がいい気がしたから。

「田舎じゃまずねえよな、こんなこと。」

「うん。どうしていいか分からなかった。」

「そのうち慣れる。アイツら俺たちを目の敵にしてるからよ。パンクやってんなら、職質は覚悟しねえとな。」

確かに、そうだ。

普通の格好だったら、オマワリも寄ってこないよね。

憧れて憧れて、やっとパンクの仲間入りをした。

でもそれはパンクである自由・楽しさと同時に、世間からの軽蔑や批判や先入観や、社会的制約との戦いでもある。

分かっているようで分かっていなかった。

ファッションだけなら誰でもできる。

でも生き方としてパンクを背負うなら、そのリスクも気合い入れて受け止めないと。

「うん、分かった。」

彼が身をもって教えてくれた。

お礼に、さっきの話は蒸し返さないことにした。

「場所、変えるか。」

「またオマワリさん来るんじゃない?」

思わず「オマワリさん」って言っちゃった。

「来たってさっきと同じことだけどな。まあ、もうちょい目立たない場所に行くとするか。」


お寺の上に見える空の色が少しずつ白くなってきた。

始発電車まであと1時間くらい。

彼に案内してもらった場所は、PAL商店街を横にそれた通り沿いにあるスーパーの前。さっきの場所とあんまり変わらない気もするけど、ここはオマワリがあまり通らないって。

道幅が広くて、その奥に見えるお寺がいい雰囲気。

ここに来る前に彼はコンビニに寄ってまた缶ビールを買った。ちらっとのぞいた財布の中身は確かにもう空っぽだった。

「ねえ、このヒモってどこで売ってるの?」

こっちも眠くなってきて、さっきから同じような話をグルグルと回っている気がする。

「これマーチンの靴ヒモだよ。」

「うっそー!」

「マジ、マジ。」

「ホントだ、靴ヒモだ。そんなものでいいんだ。」

「黒Tシャツの端を切って巻いてもいいんだよ。」

「そうなんだ。そういうことは知ってるのに、名前は知らないんだ。」

「名前なんか重要じゃねえだろ?お前、こだわるなー。」

「好奇心旺盛だもん。」

「今度、ファイヤーバード・ガスのイシさんに聞いてみろよ。あの人も確か『ヒモ』って言ってたぞ。」

「そういえばあの人も巻いてたね。ハコの店長さんだし、そういうこと詳しそう。」

「そうしろ。俺に聞くな。」

彼は限界が近いみたいだ。電柱にもたれて座っているけど、口数が少なくなってウトウトし始めた。それでも必死に会話についてきてくれている。

「早く、バンドやりたいな。」

さっきから何度も言っている。いったん口に出したら止まらなくなっちゃった。

ほとんどひとり言なんだけど、それでも彼はちゃんと答えてくれる。

「メンバー、探してるのかよ。」

「まだ。何せ家無しだし『オイラは宿無し』ではないけど。だいたい高円寺とかバンド関係で、ちゃんと話をする人だってまだいないんだよ。」

「そうなのか。一人もか。」

「うん。ガーリーさんは別だけど、あの人はもう雲の上の人だし。こっちは居候の身だし。分かってくれてるけどね。」

「ギヤで声かけてくるやつとか、いるだろ。」

「まあいるけど…大抵ナンパだったり、ヘラヘラしてるやつばっか。楽しいのはいいよ別に。でも楽しい『だけ』の人、イヤなんだよね。」

「あー、それは俺も同じだ。」

「アンタは喧嘩しちゃうから友達ができないんでしょ?一緒にするな。」

吹っ掛けてみたけど、彼には聞こえなかったみたい。

「ナンパ野郎な。殴っちまえばいいんだよ。」

「どうして殴るのよ。そんなのシカトしてれば、そのうちどっか行っちゃうからいいの。」

「ぶっ飛ばせばいいんだよ~。」

語尾から彼の眠さがよく伝わってくる。

「だから高円寺に来てここまでちゃんと話したの、アンタが初めて。」

「そうか。」

「パンクの話、ここまでしたのも生まれて初めてだよ。」

「そりゃ光栄だ。」

「ねえ。アンタとアタシ、もう友達?」

彼は酔いが醒めたみたいにパチクリした。

「友達?」

「そう。アタシ、こっちで友達いないから。」

「田舎には、いたのか?」

「…ううん。たぶん、いない。何ていうか、話をしたりする子はいたけど…本当の意味で友達じゃない。みんな、アタシと違うんだもん。」

本音で話したことなんか、なかったよ。

「何か…分かるな。俺も、いねえや。」

「ねえ、友達なのかな?」

「友達なあ…友達って、何だか気恥ずかしいな。『ダチ』とか『ツレ』とかは言うけど…何かバシッとこねえな。」

「じゃあ、何なの?」

「うーん。仲間、かな。」

なかま。

そうか、仲間。

いい言葉だ。仲間なんて言葉、今まで深く考えたこともなかった。

そうか、仲間か。

「仲間。それ、いいね。」

「だろ。」

彼は大きなあくびをした。

太陽の気配が漂い始めた。もうすぐ夜が明ける。

「ねえ。スマホの番号でもLINEでもいいけど、連絡先教えて。」

「いま止まってんだ。金なくて。」

「ふーん。それって体裁のいい断り文句なの?」

「違うって、マジで止まってんだ。家に置いてある。番号は…分かんねえ。覚えてねえ。」

「じゃあ、アンタに連絡したい時はどうすればいいの?」

「ギヤに来いよ。大抵そこにいるから。」

確かにそうだ。自分だってそうじゃないか。

毎晩、そこにいるじゃないか。

「そうだね。」

思わず笑顔になった。一緒だ。おんなじだ。

地下室の兄弟、地下室の仲間だ。

「じゃあ、そろそろ始発だから行くね。」

「おう、行け行け。」

「アンタどうするの?」

「俺は歩いて帰れるからよ。」

「えっ?」

そうなんだ。

じゃあ、彼はいつでも家に帰れたんだ。

あるいは「帰れないなら俺ん家に来いよ」って誘ってあとはヨロシクどうにか、とかそういうことも考えずに。

一晩中、付き合ってくれてたんだ。

なーんだ。やっぱり、いいやつじゃん。

「ありがとう。」

「ああ?」

「ううん。何でもない。」

何時間も道路に座っていて、身体は板みたいにカチカチ。ふくらはぎが重くだるい。

明日はバイトもスタッフ業務もないし、寝かせてもらおうっと。

「じゃあ、行くね。」

「おう。またな。」

何歩か歩いたところで不意に思い出した。勢いよくターンしたので危うくひっくり返りそうになる。

「大事なこと、忘れてた!」

「何だよ。」

「アンタ、名前なんて言うのよ!」

彼はポカンとしてたけど、ややあってクックッと笑い始めた。

「バカみてえ。お互い名前も知らねえで、飲んでオマワリに職質されてよ、こんなクソみてえな路上で明け方までよ。」

「何回か名前を聞こうと思ったけど、今夜はいろいろあり過ぎて…途中で忘れちゃってた。でも次ギヤで会っても、なんて声かければいいか分からないもん。」

「俺、シン。」

「シン。シンか。」

シンは座り込んだまま、まだ笑っていた。笑いながらまぶたが薄く閉じかけている。

「アタシ、佑。」

「ゆう?」

「うん。あー、でもその名前、好きじゃないんだ。本当は別の名前で通したいんだけど。」

「何だよ。」

「アイヴィー。変かな?」

シンは目を閉じて思慮深げにうなった。

「すっごく考えたんだよ。ねえ、どう思う?」

「あいびー。いいよ。格好いい。」

「ホント?アイヴィーだよ。ねえ、いいよね。」

「あいびー。あいびー。」

シンは呪文のように唱え続けていた。

「よし!じゃあ今度からアイヴィーで通すから。佑って言うなよ。その名前は内緒だよ。」

ウキウキしながら空を見上げる。今日からアイヴィーだ。新しい自分の始まり。

返事がない。

振り返ってみた。

シンは口を開けたまま寝ていた。

電柱に寄りかかり、缶ビールを左手に持ったまま。

「寝ちゃった。」

起こした方がいいのかな。

でも、気持ち良さそうに寝てるし。

爽やかな朝の陽ざしが柔らかく空気を覆う。風邪を引くような天気じゃあない。

一文無しのパンクス。ギターケースは背中にしっかりとたすき掛けしている。外見は見るからにトラブルの種。

彼にちょっかいを出そうという人もそうそういないだろう。

これが彼の日常なんだ。

起こさない方がいい。シンもそれを望んでいるような気がした。

最後に、彼の顔をじーっと見つめてみた。

寝顔は意外と可愛い。シン、何歳なんだろうな?

ふと思いついて、ポケットから袋に入ったアメ玉を取り出した。

そっとシンの右手に握らせる。シンはかすかに呻いたけど、身動きしなかった。

目覚めた時、このアメ玉を見て何か思い出すかな。

「じゃあね、シン。またね。」

アタシ、アイヴィーはそう言い残すと、高円寺の街を駅の方に向かって歩き始めた。

ここで初めて仲間ができた。

こんな嬉しいことはない。

歩きながら、ニヤニヤ笑いが止まらなかった。


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