危険素質
「おいしかった、ありがとう」
私は文香のデートスポット選択のセンスに脱帽した。まさかよファストフード店であったが、楽しかった。考えてみれば、高級レストランでは窮屈な気持ちになって、くつろぐことはできなかったのかもしれない、その点ファストフード店ではのびのびとできた。やはり、私たち庶民にはいい意味でファストフード店こそがお似合いなのだ。
ふと思った。
文香はファストフード店を選んだ訳だが、ほぼ初対面の異性である私とのデートスポットとしてファストフード店を選択するという行動に関しては、側から見れば大博打と同じことだ。それをいとも平然とやってのける文香、そしてその美貌、やはり男との関係は多いのだろうか。
「いや、彼氏なんてできたことないですし、関係を持ったこともないんです」
聞いたところ、詳しい訳は話してくれなかったが、文香の言ってることはおそらく事実であった。それを聞いて、私は安堵した。
「さて、次へ行きましょう」
文香が唐突に私の手を取り引っ張って駆け出した。猛暑日、変わらず日差しも強けりゃ風もぬるい、そんな中でちょっと、いやかなり走ったものだから、当然体は汗ばんだ。それは文香も同じであった。恥ずかしながら、先に息を切らしたのは私であったが、文香はそんな私を軽蔑せずに大目に見てくれた。文香の背中が前にある、私は汗ばんだ文香の服の後ろから中の下着が透けているのを見てしまい、暑さもたたって頭からSLにも負けないほど湯気が噴き出した。そのまま今度は体が脱水反応を起こしたもので、文香に伝えて自販機で水を買った。
「私にもくれない?」
文香の言葉に私は衝撃を受けたが、結局最後は水を渡した。
「ありがとね」
水は一瞬ですっからかんになった。
正午を迎えて、私と文香はとある商店街に来ていた。たくさんの店でぼちぼち賑わっており、特に娯楽店や飲食店が多い印象だ。その中で私は文香に連れられて、小さな喫茶店に入った。
「ここはね、高校の時の私の秘密のお店なの。友達にだって教えたことがないお店よ」
机は二つとカウンター席、そんなちっぽけな喫茶店には誰もいなかった。つまり、私と文香、二人だけの閑静な時が訪れるということだ。
しかし、どうやら二人だけ、というわけではさらさらなかったようで…当たり前だが、店の経営者さんを忘れてはならないし、特にここは喫茶店であることもこれまた忘れてはならない。
「おお文香ちゃん、久しぶり!…そっちは彼かい?」
喫茶店のマスターらしき、無精髭を生やしたおじさんが文香に淫乱な顔をして質問した。私はてっきり、文香はすぐにでもその質問を否定するものだと思っていたが、文香は私の期待とは対蹠、黙りこくってしまった。
「ほぉ〜」
マスターは卑猥な顔を浮かべた。
「なかなかイケメンやんけお前さん!これは美男美女ってやつですわ!ほれ、文香ちゃん超絶美女でスタイルも抜群やし、文香ちゃんに似合う男はこうなんというか…チャラチャラしたイケメンとかじゃなくてさ、こう程よい?感じのイケメンやろなと思ってたんやけど…君なら大丈夫そうや、名前は?」
このマスターのハイテンションぶりについていけず、何と無く私は名前を教えたが、マスターはそれから二度と私のことを名前で呼ばなかった。
「じゃあシゲちゃんやな」
「へ⁉︎」
ここまでふざけたあだ名をつけられたのは、人生で初めてであった。マスターは茫然とする私の顔を見るや、高らかに笑い出した。無精髭を生やしているが、声は高めだ。見ると、文香もとびきりの笑顔で笑っている。
「文香ちゃんのこと好きなんか?」
「え……ええ…」
「幸せにするのが、お前さんの役目やで、シゲちゃん!」
正直、当時の私はかなり焦って曖昧な返事をしたが、それでも押し切る直球スタイルのマスターに私は圧倒された。私の顔はさらに困惑を極めるが、それを隣で文香がクスクス、笑いを堪えていた。
「な、いい人やろ」
そして、今まで固い言葉を使っていた文香から思わず大阪弁が漏れて、喫茶店の中にはまた凄絶な笑いが立ち込めた。
そうして、私と文香との楽しい日は終幕した。別れ際に文香が「また一緒に食事したいね」と言ってくれたことで私の気持ちは天に舞い上がった。
これだけを聞くと、分かったように、私たちは幸せそうだ、と言い出す者が現れる。実際その通りなのだが、私は先述した通り、人の前では良い人になるだけであって、内心は相当に闇を抱えている。私は文香と別れたその日の夜から、また文香と会いたい衝動に強く駆られるようになった。文香という存在がありながら、それはまさに世の男子としては最高のことなのだが、文香と会えないのが辛いという、これも滑稽な話だ。とにかく私は彼女の姿を頭に思い浮かべながら寝た、それはまた、夢でもいいから出てきてほしい、という儚い妄想からなる行動であった。
文香に会いたくてたまらない、辛い、苦しい…三日も会っていない、考えられない、早く会いたい、会いたくて辛い、辛い、苦しい……
私は女に呪縛された。文香という、私が初めて好きになって、慈しみたいと思った女に、私は会いたくて我慢できなかった。できればずっとずっと側に居たい、居てほしい、そんな甚だ馬鹿みたいな真っ直ぐな感情を当初の私は抱いていた。しかしながら私とて態度には気をつけた。私がただの恋愛狂ではないこと、私は熟考して行動を決めていることを、分かってほしい。ここでまたしつこく誘えば、相手から嫌われるのは目に見えているのだ。せめて一ヶ月は待って、そこでもう一度誘ってみて…そして徐々に距離を詰めていけばいいのだ、急がば回れ。
しかし、私の熟考は予想外の形で破壊されることになった。それはあの猛暑日から一週間経った、これまた猛暑の引かない暑い日であった。私が文香と会えないという不満を貯めに貯めていた頃だ、暑さと寂しさでうんざりしていたその時に、なんと文香からラインが送られてきて、私は飛び起きた。
(明日空いてますか?よければ伺いたいのですが…よろしいですか)
私は寸分も待たずにラインに返事した
(もちろんです!歓迎します!)
私の文香への執着はもともと異常だったが、前とは違って、文香からこのようなお誘いを受けたことで、それは私の自信となり、私の今の不毛な暮らしの中での唯一の光となった。そうなると当然、今まで我慢していた全てが、今までなんとか欲を支えていた堤防が、まるで指で倒される積み木のように、あっさりと壊れてしまった。そして突然の霹靂に呼応して、私の体も突然動き出した。
私は、最高のデートスポットを紹介することを決意した。そのためにわざわざ友人にラインを送って情報を手に入れたり(もちろんうまく誤魔化して言ってある)自分で天にも昇る軽い足を、これでもかとばたつかせて各地のイベントを入念に調べたりした。最高のデートプランを作成する為に、何度も、夜までプランを練り直した。