第7話 人間の街を守ったら、魔王軍の兵器なのに守護神扱いされたんだが
「ガルムさん、今日は街へ向かいます」
「断る」
「まだ行き先しか言っていません」
「街という時点で嫌な予感しかしない」
朝の砦で、俺は中庭の石材の上に座っていた。
元魔王軍第七城門防衛部隊所属、旧式ゴーレム、ガルム。
ついこの間まで魔王軍で石くず扱いされていた俺は、聖女リリアに拾われ、中身が伝説のオリハルコンだと判明し、気づけば人間側の砦で妙に丁重に扱われている。
おかしい。
待遇改善の速度が怖い。
ブラック職場から急にホワイト環境へ移ると、人は疑り深くなる。
ゴーレムも同じだ。たぶん。
リリアは白い外套を整えながら、俺の前に立っていた。
「近くの街、エルド門街で負傷者が出ています。先日の魔王軍襲撃の影響で、避難民も増えているそうです」
「治療に行くのか」
「はい」
「なら俺はいらないだろ。俺に治癒魔法はない。あるのは硬さと愚痴だ」
「ガルムさんがいてくれると、皆さん安心します」
「安心の方向性がおかしい」
砦の兵士たちが、ちらちらこちらを見ている。
少し前まで、俺を見る目は警戒一色だった。
魔王軍の兵器。
危険なゴーレム。
得体の知れないオリハルコン。
その反応は正しい。
俺だって、自分が近くにいたら距離を取る。
だが最近は、少し違う。
警戒はまだある。
だが、その奥に感謝や期待が混じっている。
非常に困る。
期待は責任の入り口だ。
「ガルム殿」
アルダが近づいてきた。
「殿は役職手当が出る時だけにしてくれ」
「あなたに街道の護衛を頼みたい」
「聞いていない」
「今言った」
「聞きたくなかった」
アルダは真面目な顔で言う。
「魔王軍の残党や魔物の動きが活発になっている。聖女様を安全に街へ届けるには、あなたの力が必要だ」
「俺を戦力に数えるな。計算が狂うぞ」
「すでに戦力計算の中心にいる」
「最悪だ!」
俺は頭を抱えた。
石の指が頭に当たり、ごり、と音を立てる。
リリアが心配そうに覗き込む。
「痛いですか?」
「痛くはない。責任が痛い」
「無理はしないでください」
「無理しないなら行かない」
「それは困ります」
「ほら見ろ!」
リリアは少し困った顔で笑った。
その笑い方をされると、断りづらい。
というか、ほぼ断れない。
俺は立ち上がった。
「分かった。行くだけだ。街道を歩くだけ。戦闘はしない」
「はい」
「何か出たら逃げる」
「はい」
「俺より先に逃げろ」
「それはできません」
「そこは即答しろ!」
◇
エルド門街は、砦から半日ほどの距離にある城壁都市だった。
街道には、避難民の馬車がいくつも並んでいる。
荷物を抱えた老人。
子どもを連れた母親。
怪我をした兵士。
彼らはリリアの白い外套を見ると、ほっとしたような顔をした。
そして、その隣にいる俺を見て固まった。
まあ、そうなる。
ひび割れた石の体。
ところどころから覗く虹色の金属。
青く光る目。
どう見ても人間側の癒やし要素ではない。
「ま、魔王軍のゴーレム……?」
「聖女様、危険です!」
「子どもを下がらせろ!」
「分かる。正常な反応だ」
俺はうなずいた。
「リリア、やはり俺は後方に」
「ガルムさんは、ここにいてください」
「なぜだ。俺がいると皆が怯える」
「すぐには慣れないと思います。でも、ガルムさんが隠れてしまったら、余計に怖がられます」
「堂々と怖がられろと?」
「堂々と、ガルムさんでいてください」
「難易度が高い」
リリアは避難民たちの前に立った。
「皆さん、大丈夫です。この方はガルムさんです。私たちを守ってくださった方です」
ざわめきが広がる。
ガルムさん。
また名前で呼んだ。
兵器ではなく。
魔王軍の残骸ではなく。
俺として。
「守ったって……」
「あのゴーレムが?」
「でも、魔王軍の印が」
「元だ!」
俺は思わず叫んだ。
「昨日付けではないが、もうクビだ! 退職金は出ていない!」
避難民たちは沈黙した。
リリアが小さく咳払いする。
「ガルムさん、説明が独特です」
「事実だ」
「もう少し安心できる言い方を」
「俺は無職の旧式ゴーレムだ。比較的安全」
「比較的が不安です」
子どもが一人、母親の後ろから俺を見ていた。
小さな男の子だ。
怖がっている。
そりゃそうだ。
俺は手を振ろうとした。
しかし石の手を振ったところで怖さが増える可能性がある。
迷った結果、俺は指を一本だけ上げた。
「……どうも」
男の子はさらに隠れた。
「失敗した」
「少しずつです」
リリアはそう言って、避難民の治療に向かった。
俺はその横で突っ立っていた。
昔と同じだ。
門の前に立つ。
何かが来ないように。
誰かが通れるように。
ただ立つ。
違うのは、ここが魔王城の門ではないこと。
背後にいるのが、魔王軍の兵士ではなく、避難してきた人間たちだということ。
そして、その中にリリアがいることだった。
「ガルム殿」
同行していた若い騎士が声をかけてきた。
「殿はやめろ。街中で呼ぶな。広まる」
「すでに広まりつつあります」
「やめろ」
「聖女様のゴーレム、と」
「所有物感が強い!」
俺は思わず振り向いた。
近くの避難民が、ひそひそと話している。
「聖女様のゴーレムらしい」
「砦を守ったとか」
「魔王軍の魔法を弾いたんだって」
「でも怖いな」
「分かる。俺も怖い」
俺はうなずいた。
避難民たちが微妙な顔をする。
若い騎士が苦笑した。
「あなたは、自分の評判を上げる気がないのか」
「評判が上がると仕事が増える」
「実に一貫していますね」
「三百年の労働経験だ」
その時だった。
街道の向こうで、鐘が鳴った。
街の外壁からだ。
緊急を知らせる鐘。
続いて、見張り兵の叫びが響く。
「魔物の群れだ!」
避難民たちが一斉にざわつく。
遠くの丘の向こうから、黒い影がいくつも現れた。
狼型の魔物。
角の生えた猪のような魔物。
空には小型の翼魔。
数が多い。
かなり多い。
「リリア!」
俺は反射的に声を上げた。
リリアは治療の手を止め、すぐに周囲を見渡す。
「皆さん、街門の内側へ! 落ち着いて避難してください!」
騎士たちが動き出す。
だが、避難民が多すぎる。
馬車が詰まり、子どもが泣き、老人が転ぶ。
街門まではまだ距離がある。
このままでは、魔物の群れが先に到達する。
「ガルムさん!」
「分かってる!」
分かっている。
分かってしまう。
逃げたい。
ものすごく逃げたい。
あの数は無理だ。
普通に無理だ。
俺は昨日も一昨日も、ほとんど立っていただけだ。
自分の仕様もよく分かっていない。
だが、背後には逃げ遅れた避難民がいる。
リリアがいる。
街門がある。
俺の足は、また勝手に前へ出た。
「あー、もう、ったく!」
俺は街道の真ん中に立つ。
「また門番かよ! 転職したのに業務内容が同じ!」
魔物の群れが迫る。
地面が揺れる。
避難民たちの悲鳴。
騎士たちの怒号。
リリアの祈りの声。
全部が混ざる中で、俺は両腕を広げた。
「来るな!」
言った瞬間、胸の奥が熱くなった。
核が強く鳴る。
こつん、ではない。
ごん、と深く響くような感覚。
俺の足元で、ぱきん、と硬い音がした。
虹色の光が広がった。
「……何だこれ」
光は俺を中心に、街道いっぱいへ円を描くように広がっていく。
魔物の群れが、その光に触れた瞬間。
見えない壁にぶつかったように弾かれた。
「ぎゃうっ!」
先頭の狼型魔物が転がる。
後続の魔物が次々につまずき、ぶつかり、転倒する。
まるで街道の前に巨大な透明の門ができたようだった。
騎士たちが目を見開く。
「結界……?」
「いや、聖女様の結界とは違う」
「ガルム殿から広がっているぞ!」
「殿は今いい!」
俺は自分の足元を見下ろした。
虹色の円。
俺の体から広がる防御の領域。
何だこれ。
本当に何だこれ。
「リリア! 俺、何か漏れてる!」
「守護領域です!」
「名前が重い!」
リリアが目を輝かせている。
「ガルムさんの防御が、周囲に広がっています!」
「広がるな! 責任が広がる!」
魔物たちは何度も突っ込んでくる。
だが、虹色の領域に触れるたび、弾かれる。
牙も爪も届かない。
翼魔が空から飛び込んでくる。
俺の頭上で、ばちん、と虹色の光に弾かれて墜落した。
「空も対応してるのか!」
俺が驚いている間にも、避難民たちは街門へ逃げ込んでいく。
リリアが子どもを抱えた女性を支え、騎士たちが老人を運ぶ。
その間、魔物は一体もこちらへ入れない。
俺は立っているだけだ。
ただ、昔みたいに。
門の前に。
だが、魔物の中に一体、巨大な角を持つ猪型がいた。
他の魔物よりずっと大きい。
そいつは地面を削るように足を踏み鳴らし、まっすぐ俺へ突っ込んでくる。
「おい、大型車両が来たぞ!」
騎士が叫ぶ。
「ガルム殿、危険だ!」
「見れば分かる!」
逃げたい。
だが、俺が退いたら守護領域がどうなるか分からない。
背後にはまだ、あの男の子がいた。
転んで、母親が助け起こそうとしている。
間に合わない。
「……くそ」
俺は足に力を込めた。
「退くなよ、俺の足」
巨大な猪型魔物が突っ込んでくる。
角が俺の腹にぶつかった。
轟音。
土煙。
避難民の悲鳴。
だが、俺は動かなかった。
猪型魔物の角が、根元から砕けていた。
魔物の方がよろめく。
俺の腹は無傷。
外殻が少し剥がれただけ。
「……外装がまた剥げた」
俺は呆然とつぶやく。
次の瞬間、砕けた角を失った猪型魔物が、情けない声を上げて後退した。
その後ろで、他の魔物たちも怯み始める。
「行け! 追い払え!」
騎士たちが矢を放つ。
リリアが聖属性の光を放つ。
魔物たちは次々に逃げ出した。
最後の翼魔が空へ逃げる。
街道に、静けさが戻った。
俺はまだ両腕を広げたまま立っていた。
足元の虹色の光が、ゆっくりと薄れていく。
「……終わったか?」
誰もすぐには答えなかった。
街門の内側から、避難民たちがこちらを見ている。
騎士たちも。
リリアも。
さっきの男の子も。
やめろ。
そんな目で見るな。
俺はただ、退けなかっただけだ。
足が動かなかっただけだ。
門番の癖が出ただけだ。
「ガルムさん!」
リリアが駆け寄ってくる。
「大丈夫ですか?」
「外装が剥げた」
「怪我は?」
「ない。相手の角が怪我した」
「よかったです」
「よくはない。俺の見た目がさらに高級石材になった」
リリアは、ほっとしたように笑った。
その背後で、避難民たちがざわめいている。
「あのゴーレムが……」
「街門を守った」
「魔物を一体も通さなかったぞ」
「聖女様のゴーレムが……」
やめろ。
その呼び方はやめろ。
責任が。
責任が来る。
さっきの男の子が、母親の手を握りながら、おそるおそる近づいてきた。
俺は固まった。
どう対応すればいい。
笑えない。
口もない。
手を振ると怖がらせる。
前回失敗した。
男の子は俺の前で立ち止まり、震える声で言った。
「まもってくれて、ありがとう」
胸の核が鳴った。
今度は小さく。
だが、はっきりと。
「……違う」
俺は目の光をそらした。
「俺は、門の前に立ってただけだ」
「でも、まもってくれた」
「……そう見えたなら、まあ」
男の子はぱっと笑った。
「守護神様みたい!」
その瞬間、周囲がざわっとした。
「守護神様……」
「確かに、街門を守った」
「聖女様の守護神だ」
「待て待て待て!」
俺は慌てて両手を振った。
「やめろ! 神は重い! 殿より重い!」
避難民たちの間に笑いが広がる。
だが、その笑いには恐怖が薄かった。
さっきまで俺を魔王軍の兵器として見ていた人々が、少しだけ別の目で見ている。
困る。
本当に困る。
「リリア、止めろ」
「何をですか?」
「守護神呼びだ。職責が大きすぎる」
「でも、似合っていますよ」
「似合ってたまるか!」
リリアは嬉しそうに笑った。
アルダが近づき、深く頭を下げる。
「ガルム殿。街と民を守ってくれたこと、感謝する」
「また殿だ!」
「今日ばかりは、撤回できん」
「する努力をしろ!」
だが、騎士団長は笑っていた。
若い騎士も、街の兵士も、避難民たちも。
完全な信頼ではない。
まだ怖がる者もいる。
当然だ。
俺は元魔王軍のゴーレムなのだから。
だが、今日この街で、俺はもう単なる敵ではなくなってしまったらしい。
逃げ道が、また一つ消えた。
◇
夕方。
エルド門街の広場では、リリアが負傷者の治療を続けていた。
俺は広場の端で座っている。
座っているだけなのに、子どもたちが少し離れたところから見てくる。
怖いなら見るな。
いや、怖くないから見ているのか。
それはそれで落ち着かない。
「守護神様、動いた」
「石なのに喋るんだって」
「魔王軍だったんでしょ?」
「でも聖女様を守ったんだよ」
「俺は展示物じゃないぞ」
子どもたちはきゃっと逃げ、また少し戻ってくる。
距離感が小動物だ。
リリアが治療を終えて、俺の隣に来た。
「人気者ですね」
「監視対象の間違いだ」
「怖がられていない証拠です」
「怖がられていた方が気楽だった」
「そうですか?」
「期待されると逃げづらい」
リリアは俺の隣に腰を下ろした。
夕日が白い外套を淡く染めている。
「ガルムさん」
「何だ」
「今日は、街の人たちを守ってくれてありがとうございました」
「門番の癖だ」
「はい」
「たまたま街門の前に立っただけだ」
「はい」
「守護神ではない」
「はい」
「信じてないだろ」
「はい」
「そこは否定しろ」
リリアは笑った。
それから、少しだけ静かに言った。
「でも、ガルムさんがいてくれて、皆さん助かりました」
俺は返事を探した。
いつもの言い訳。
足が滑った。
道に迷った。
契約外労働だ。
いくらでもある。
だが、広場の向こうで、さっきの男の子が手を振っていた。
俺はぎこちなく指を一本上げる。
男の子は嬉しそうに笑った。
前回は失敗したのに。
今回は、少しだけ成功したらしい。
「……やってらんねえ」
「嫌ですか?」
「嫌だ」
「本当に?」
「……慣れそうで嫌だ」
リリアは、それ以上聞かなかった。
ただ、隣で静かに微笑んでいた。
◇
その夜。
魔王城の兵舎では、また噂が広がっていた。
「ガルムが人間の街を守ったらしいぞ」
「魔物の群れを一体も通さなかったって」
「街の連中が守護神様って呼んでるらしい」
「守護神? あの石くずが?」
「でも、あいつ、昔から門だけは絶対抜かせなかったよな」
「俺、覚えてる。三年前の大襲撃の時、ガルムの後ろに隠れて助かった」
「俺もだ」
「……新型って、あれできるのか?」
兵舎の空気が重くなる。
新型魔導ゴーレムは強い。
派手だ。
魔導砲もある。
だが、燃費が悪く、長期防衛には向かない。
壊れれば修理に時間がかかる。
魔物の群れを前に、黙って門の前に立ち続けることができるか。
兵士たちは、少しずつ思い出し始めていた。
古くて、汚くて、口の悪い旧式ゴーレムが、三百年ずっと城門を守っていたことを。
そして。
魔王城の軍務室で、ヴァルザは新たな報告書を握りつぶしていた。
「守護神……だと?」
彼の顔は青ざめている。
だが、目には焦りと怒りが滲んでいた。
「人間どもが、ガルムを守護神と呼んでいるだと?」
机の上には、古代文献の写しがある。
神鉱守護兵。
防衛対象を認識した場合、命令なしに守護行動を開始。
守護領域を展開し、一定範囲内の対象を保護する。
ヴァルザの指が、その一文で止まる。
「……馬鹿な」
声は震えていた。
「本当に、覚醒しているというのか」
誰も答えなかった。
部下たちは、もう何も言えない。
ヴァルザは窓の外、遠く人間領の方角を睨む。
「認めん」
低い声だった。
「私が捨てた石くずが、人間どもの守護神などと……認めるものか」
だがその言葉は、怒りというより、自分自身に言い聞かせているようだった。




