第1話 石くずと呼ばれた俺は、魔王軍を追放されて、聖女に磨かれたら中身が伝説のオリハルコンでした
「ガルム、お前は追放だ」
魔王軍幹部ヴァルザの声が、黒い城門前に冷たく響いた。
「……念のため確認しますが、それは有給消化後という意味でしょうか?」
俺はおそるおそる石の手を上げて聞き返した。
俺の名はガルム。
魔王軍第七城門防衛部隊所属の旧式ゴーレムである。
身長は人間の大人より少し低い。体はずんぐりむっくり。ひび割れた石の外殻には苔がこびりつき、肩のあたりは欠けている。
見た目だけなら、廃棄場の石材と大差ない。
だが、これでも三百年ほど働いてきた。
城門警備、前線防衛、荷運び、瓦礫撤去、魔獣の餌やり。
最後のは明らかに契約外労働だ。
「有給などない」
ヴァルザは、黒い軍服の襟を指で整えながら言った。
顔は整っている。声も冷たい。いかにも現場を知らない上官という感じだ。
「では退職金は?」
「ない」
「労災は?」
「ない」
「三百年勤務の旧式に対して、それはさすがにブラックでは?」
「黙れ、石くず」
周囲にいた魔王軍兵士たちが、どっと笑った。
「聞いたか。石くずが退職金だとよ」
「やっと城門の無駄な置物が一個減るぜ」
おい、置物扱いするな。
俺は門番だ。動かない時間が長いのは認めるが、置物ではない。
ヴァルザの背後には、新型魔導ゴーレムが並んでいた。
黒鉄の装甲。赤く光る魔導炉。腕には魔導砲。
いかにも強そうで、いかにも維持費が高そうで、いかにも上層部が好きそうな見た目である。
「時代は新型魔導ゴーレムのものだ。貴様のような旧式に、これ以上魔力を回す価値はない」
「いや、俺、燃費だけはいいですよ。待機なら三十年くらい無補給で」
「それがどうした。遅い、汚い、古い。貴様は魔王軍の恥だ」
「言い方!」
俺は胸の核が少し軋むのを感じた。
石くず。旧式。役立たず。
三百年も言われ続ければ、傷つかなくなる。
……と、思っていた。
実際は、ちょっと傷ついた。
ゴーレムにも心はあるのだ。たぶん。
「本日をもって、旧式ゴーレム・ガルムを魔王軍から除籍する」
ヴァルザが黒い羊皮紙を広げる。
「老朽化により戦力外。新型部隊運用の妨げとなるため、魔王領外への廃棄を命じる」
「廃棄」
俺は思わず復唱した。
除籍ではない。
退職でもない。
廃棄。
なるほど、なかなか心にくる単語だ。
「待ってください。せめて引き継ぎは? 第七城門の左側、夜中に軋むんですよ。あと魔獣用の餌場、二番樽は腐りかけです」
「不要だ。新型がすべて処理する」
「連れていけ」
ヴァルザが片手を振った。
新型魔導ゴーレムが二体、俺の両腕をつかむ。
「待て待て。自分で歩ける。関節を持つな。そこは昨日から異音がしているんだ。整備記録を見ろ。おい、聞け!」
誰も聞かなかった。
俺は城門の外まで運ばれ、荒野へ放り投げられた。
ごろごろごろ、と石の体が地面を転がる。
背中のどこかが、ぱきりと嫌な音を立てた。
「労災申請先はどこだ!」
叫んでも、返事はない。
魔王城の門が重く閉じる。
黒い城壁の上で、ヴァルザが俺を見下ろしていた。
「旧式は旧式らしく、荒野で朽ちろ」
それだけ言って、彼は去っていった。
兵士たちの笑い声も、城門の向こうに消える。
残されたのは、赤黒い空と、ひび割れた俺だけだった。
「……朽ちろ、ねえ」
俺は仰向けのまま、空を見上げた。
石の腕を持ち上げると、苔と砂がぱらぱら落ちた。
「言われなくても、だいぶ朽ちてるんだがな」
魔王軍に戻れば処分。
人間の国へ行けば破壊。
荒野に残れば、そのうち本当に朽ちる。
どの道も終わっている。
「第二の稼働初日から詰んでるな、これ」
俺は岩陰まで這うように移動した。
足の関節がぎしぎし鳴る。
三百年働いた結果がこれか。
退職金なし。
送別会なし。
最後の言葉が石くず。
泣ける。
涙腺はないが。
その時だった。
馬車の車輪の音が聞こえた。
人間だ。
俺は反射的に岩陰へ身を縮めた。
見つかったらまずい。
人間にとって、魔王軍のゴーレムなど敵でしかない。
白い馬車が近づいてくる。
護衛らしき騎士が数名。その中央に、白い外套をまとった少女がいた。
淡い金髪。青い瞳。胸元の銀の聖印。
聖女だ。
終わった。
人間の中でも、特に出会ってはいけない相手である。
「待ってください」
少女が馬車を止めた。
やめろ。
何もいない。
ここにいるのは、ちょっと人型に見える石だけだ。
「そこに、誰かいます」
「聖女様、お下がりください!」
騎士が剣を抜いた。
俺は岩陰から、そろそろと両手を上げて出た。
「抵抗の意思はない。俺はただの旧式ゴーレムだ。できれば見逃してほしい。今日付けで無職なので」
「魔王軍のゴーレムだ!」
「やはり罠か!」
「破壊しろ!」
「待て待て待て。話し合おう。話し合いは文明の証だ。俺も一応、喋れる石だ」
騎士たちは剣を構えたまま、じりじりと距離を詰めてくる。
ひび割れた魔王軍のゴーレムが荒野に転がっていれば、怪しさしかない。
俺は後ずさった。
「聖女様、これは危険です」
「魔王軍の兵器です。今すぐ破壊すべきです」
普通の反応だ。
俺だって逆の立場ならそう言う。
だが、白い外套の少女だけは、俺をじっと見ていた。
剣ではなく、俺のひび割れた腕を。
「あなたは、傷ついているのですか?」
「……傷?」
変なことを聞く。
俺は自分の体を見下ろした。
欠けた肩。苔むした腕。ひびだらけの胸。
「まあ、経年劣化というか、保守点検不足というか、管理者責任というか」
「痛みますか?」
「ゴーレムに痛覚は薄い。だから労災認定されにくい。これは業界全体の問題だと思う」
少女は少しだけ眉を寄せた。
本気で心配している顔だった。
なんだ、この人間。
怖い。
優しさの方向が怖い。
「私はリリアといいます」
「名乗るのか?」
「はい。あなたのお名前は?」
騎士たちがざわついた。
俺も少しざわついた。
名前を聞かれるのは、ずいぶん久しぶりだった。
魔王軍では、ほとんど旧式か石くずだったから。
「ガルム」
俺は答えた。
「旧式ゴーレム、ガルムだ」
リリアは静かにうなずいた。
「ガルムさんですね」
胸の核が、こつん、と鳴った気がした。
故障かもしれない。
三百年、こんな音を立てたことはなかった。
「さんはいらない。俺は魔王軍の廃棄品だぞ」
「廃棄品ではありません。ガルムさんです」
当たり前のように言われた。
それだけのことなのに、俺は少し黙ってしまった。
騎士が焦ったように声を上げる。
「聖女様、それは魔王軍の兵器です!」
「危険かどうかは、私が見極めます」
柔らかい声だった。
だが、折れない声だった。
リリアは俺に近づき、白い布を取り出した。
「少し、見せてください」
「何をする気だ」
「汚れを落とします」
リリアは指先で俺の腕の汚れを軽くなぞった。
「ただの汚れなら、水でも落ちます。でもこれは、魔王軍の瘴気が外殻に染みついたものです」
「瘴気?」
「はい。長く魔王領にいた方は、こうなりやすいです」
「……俺の体、そんなものまでくっつけてたのか」
「やめた方がいい。俺は汚いぞ。苔もある。たぶん虫もいる」
「では、なおさらです」
「そこで引かないのか」
リリアは俺の腕に触れた。
白い指が、苔むした石の表面をそっと拭う。
淡い光が布から広がった。
浄化の魔法だ。
「おい、聖属性はまずいんじゃないか。俺、元魔王軍だぞ。爆発したらどうする」
「苦しいですか?」
「いや、別に」
「では続けますね」
「判断が早い」
リリアは丁寧に俺の腕を磨いた。
黒い汚れが落ちる。
苔が剥がれる。
ひびの奥に詰まっていた砂が、白い光に溶けるように消えていく。
落ち着かない。
戦場で攻撃を受ける方が、まだ慣れている。
誰かに、手入れされるという経験が、もう思い出せないほど遠い。
「ガルムさん」
「何だ」
「どうして、荒野に?」
「捨てられた」
「捨てられた……?」
「追放とも言う。除籍とも言う。廃棄とも言われた。退職金は出なかった」
リリアの手が止まった。
「ひどいです」
「魔王軍だからな。ひどいのが標準仕様だ」
「でも、ガルムさんは怒っていないのですか?」
「怒ってどうする。俺は旧式だ。石くずだ。あいつらの言うことも、まあ、間違ってはいない」
そう言った瞬間、胸の核が少し重くなった。
リリアは何も言わなかった。
ただ、また俺の腕を拭いた。
その沈黙が、なぜか痛かった。
ぱきん。
乾いた音がした。
「ん?」
俺の右腕の外殻に、細い亀裂が走っていた。
リリアが慌てて手を離す。
「ごめんなさい。力が強すぎましたか?」
「いや、聖女の腕力で割れるほど俺も柔らかくは……」
言い終わる前に、石の外殻が一片、ぽろりと落ちた。
その下から、光が覗いた。
金でも銀でもない。
虹色を帯びた、深い金属光沢。
朝日が、剥がれた断面で小さく跳ねた。
リリアが息をのむ。
「これは……」
「何だ。中から変なのが出たぞ。腐食か? 内部腐食なのか? 修理費は誰持ちだ?」
リリアは俺の腕を見つめたまま、ほとんど呟くように言った。
「オリハルコン……?」
「おりはるこん」
聞いたことはある。
伝説の神鉱。
剣にすれば国宝、盾にすれば城壁、鎧にすれば英雄が着るやつ。
俺のような石くずとは、もっとも縁遠い高級素材だ。
「いやいやいや。ないない。俺だぞ? ガルムだぞ? さっき石くず認定されたばかりだぞ?」
俺は慌てて腕を振った。
すると、さらに石の欠片がぱらぱら落ちた。
その奥で、虹色の金属光沢が朝日を受けて輝く。
騎士たちも絶句していた。
「まさか……」
「魔王軍の旧式ゴーレムが、オリハルコン製……?」
「そんな馬鹿な」
一番そう思っているのは俺だ。
リリアは慎重に俺の肩へ手を伸ばした。
「ガルムさん、もう少しだけ浄化してもいいですか?」
「待て。これ以上やったら外装が剥げる。外装が剥げたら恥ずかしいだろうが」
「傷んだ部分だけです」
「その言い方、整備士より怖いな」
だが、拒む理由もなかった。
リリアの浄化の光が、俺の肩から胸へと広がる。
石の外殻が、少しずつ剥がれ落ちた。
内側から現れたのは、虹色に輝く金属の体。
三百年、俺自身も知らなかった中身だった。
俺は自分の胸を見下ろし、しばらく固まった。
「……詐欺だろ」
「え?」
「俺自身に対する詐欺だ。三百年だぞ。三百年、俺は石くずとして働いてきたんだぞ。誰か一回くらい磨けよ。定期点検しろよ。保守部門は何してたんだ」
「あそこでは、たぶん難しかったと思います」
「なぜだ」
「魔王軍では、浄化する力より瘴気の方が強いから」
リリアは静かに言った。
その一言で、俺は黙った。
磨こうとしても、磨かれなかった。
いや、そもそも磨こうとする発想が、あの場所にはなかった。
その時だった。
荒野の向こうから、低い唸り声が響いた。
騎士たちが一斉に剣を構える。
砂煙の中から、巨大な魔物が現れた。
狼に似た体。
だが大きさは馬車ほどある。
口から黒い涎を垂らし、牙は短剣のように鋭い。
「荒野狼だ!」
「聖女様、下がってください!」
魔物は地面を蹴った。
速い。
騎士たちの脇を抜け、一直線にリリアへ飛びかかる。
俺は反射的に動いていた。
考えたわけではない。
守ろうと決めたわけでもない。
ただ、目の前で誰かが襲われそうになっていて、俺の体は勝手に前に出た。
「あー、もう、ったく!」
俺はリリアの前に立った。
「俺は戦闘職じゃなくて門番なんだが!」
荒野狼の牙が、俺の腹に食い込む。
はずだった。
がきん、と硬い音が鳴った。
次の瞬間、荒野狼の牙が砕け散った。
「……は?」
俺は自分の腹を見下ろした。
傷はない。
むしろ、噛みついた魔物の方が口を押さえて後ずさっている。
「ぎゃうん!」
馬車ほどの魔物が、涙目みたいな顔で転がった。
騎士たちは固まっていた。
リリアも目を見開いている。
「今、噛まれましたよね……?」
「噛まれたな」
「牙が、砕けましたよね……?」
「砕けたな」
俺は腹をさすった。
石の外殻がさらに剥がれ、内側のオリハルコンが大きく露出している。
そこには傷ひとつない。
荒野狼が、今度は黒い魔力を口に集めた。
魔弾だ。
まずい。
噛まれて平気でも、魔法は別かもしれない。
「撤退だ! これは戦略的撤退だ!」
俺は一歩下がろうとした。
だが、背後にリリアがいた。
下がれない。
「なんで俺の退路に聖女がいるんだ!」
「ご、ごめんなさい」
「謝られると困る!」
荒野狼の魔弾が放たれた。
黒い光が、俺の胸に直撃する。
終わった。
今度こそ壊れる。
そう思った瞬間、虹色の光が弾けた。
黒い魔弾は俺の胸でぐにゃりと曲がり、来た方向へ跳ね返った。
荒野狼に直撃する。
魔物は悲鳴を上げ、砂煙の中へ吹き飛んだ。
荒野が静まり返る。
俺は両手を上げたまま固まっていた。
「……今の、俺がやったのか?」
誰も答えなかった。
答えられなかったのだと思う。
リリアだけが、ゆっくりと俺の横に並んだ。
彼女は露出した俺の胸を見つめ、静かに言った。
「間違いありません。これは、伝説の神鉱……オリハルコンです」
「やめろ。そんな高級感のある単語を俺に使うな。落ち着かない」
「ガルムさん」
「何だ」
「あなたは、石くずなんかではありません」
その言葉は、荒野の風よりも静かだった。
けれど、俺の胸の核には、妙にはっきり届いた。
俺は虹色に光る自分の腕を見た。
砕けた魔物の牙。
吹き飛んだ荒野狼。
絶句する騎士たち。
そして、俺を名前で呼ぶ聖女。
「つまり何か」
俺はようやく現実に追いついた。
「俺は魔王軍で三百年、オリハルコン製のまま石くず扱いされて、ついさっき追放されて、人間の聖女に磨かれて初めて発覚したってことか?」
「そう、かもしれません」
「魔王軍の管理体制、終わってるだろ!」
俺の叫びが、朝焼けの荒野に響いた。
リリアは小さく笑った。
俺の体からは、まだ石の欠片がぽろぽろ落ちている。
どうやら俺は、自分で思っていたよりも、だいぶ面倒なものだったらしい。
「……反則だろコレ!?」
そう叫ぶ俺の声を、遠く閉ざされた魔王城の方角へ、荒野の風が運んでいった。




