54話 記録と手紙
「ええ……。ここはおそらく、ハイドラさまの私室です」
「水の始祖魔導師の……?」
ヤーラカーナの言葉に室内を見渡す。一見それらしい雰囲気はないが、水エーテルの濃度が高いのはそれも理由かもしれない。
「はい。あの扉にも刻まれている紋様はハイドラさまが私物に刻んでいるものでした。そのほとんどがハイドラさまの死と共に封印されましたが……」
「じゃあ、この部屋も?」
「おそらくは」
だとするならばここはハイドラが死んで以降──母がハイドラを殺して以降、誰も入ったことがないのだろう。彼女を育てたティターンですら。
「……他の始祖たちも入ることは出来なかったのかしら」
「おそらくはそうだろう」
ゼータの方を振り返れば、彼は何か言葉を発しようとしてから失敗したように顔を顰める。それから「まあ、今更か」と仮面をずらす。
「聞いたことがある。水の始祖魔導師は秘匿の仮面の強制力と同じメカニズムで自らの私物を封印したと。彼女が亡くなってからは、他の始祖すら手出しはできなかったらしい」
その言葉にヤーラカーナが首を傾げる。
「じゃあ、なぜ私たちはここに入れているのでしょう?」
「分からない。秘匿の仮面をつけているからか、或いは……その、」
ゼータの視線が私の方に向けられたのを感じる。
私も秘匿の仮面を外して、テーブルに置いた。
「私の母さんがハイドラ=アクアマリンを殺したから、はあり得るかもね。母さんがハイドラを殺したことでその魔法を私が破壊する因果が結びついたのかも」
「クリス!」
不満げなヤーラカーナの声に肩をすくめる。別に自嘲したわけではないのだ。ただ私が可能性としてあげられる事実を告げただけ。
「別にそれを今うじうじ言うつもりはないわよ。……むしろチャンスだもの」
「チャンス?」
ヤーラカーナの訝しむ顔に頷く。
勝手に人の部屋を漁る趣味はないが、それならば話は別だ。何か一つでも彼女のものを持ち帰って、ティターンに返してあげたい。
その想いが伝わったのか、わざとらしく肩をすくめたヤーラカーナが呟いた。
「……はあ、仕方がありませんわね。本当ならハイドラさまの私物を乱すなど言語道断なのですが、今日は見逃してあげます」
「あら、あなたの許可がいるの?」
生意気と額をこづかれる。顔を見合わせて小さく笑ってから、私はそこにあった本を手に取った。
***
そこにあったのは記録書だった。本の厚みは辞書くらいのものだが、めくってもめくってもページが続く。数千ページはゆうにありそうだ。
ハイドラ=アクアマリンが自らの地位に立ってから各地を巡り、治療をした記録が記されていた。最初の方は細かく治療をした人の名前と彼らの人となりも合わせて記されており、感謝の言葉やそれに対する喜びもぽつぽつと記されていた。
けれども次第に彼らがこぼした不満も記されはじめ、その頻度が増していく。
治療をして癒した人々については人数だけが記されるようになっていき、やがてそれすらなくなっていき。
代わりに増えていくのは水始祖である彼女にすら癒せなかった傷や病、その治療方法を模索する走り書き、なぜ治せなかったのだと嘆く遺族の言葉、死にゆくものたちの最後の嘆きの言葉。
治療方法を模索する欄が次第に安楽死のやり方へと変わっていく、対象をどこまで広げるべきか。癒すべき人と死なせた方が幸せな人の境目は何か。治療をしたところで最後に至る道が変わらないことへの葛藤。
それらが淡々と、走り書きで刻まれ続けている記録。
最後の一文は『人をすべて、苦痛がないうちに死なせることこそがアクアマリンの“使命”なのではないか』、そんな言葉で締めくくられていた。
「…………これは」
ここに書かれているのが事実なら、ハイドラは一体何を目指していたのだろう。どんな未来を望んだのだろうか。
「クリス、何か見つけたのか?」
その声に反射的に記録書を閉じた。振り返れば仮面を付け直したゼータが不思議そうにこちらを覗き込んでいる。
「クリス?」
「……いえ、ただ記録書を読んでいただけよ」
「記録書?僕も見て構わないか?」
彼の言葉に一瞬答えをためらう。私の顔を見たゼータが唇を引き締めて首を横に振った。
「……すまないがそんな顔をするものを一人で抱え込ませたくない。代わりにこれを」
言うや否や私の手から記録書を取り上げ、代わりに大きめのノートを握らせてきた。
「これは?」
「見ればわかる」
そう言うと記録を開いてそちらに意識を集中させてしまった。……止めた方がいい気がするけれど、ヤーラカーナに見せるよりはマシかしら。
わざわざ彼が押し付けてきたこのノートのことも気になる。開いてみれば、そこには便箋が貼り付けられていた。彼女が手紙を保管する方法だったのだろうか。貼られている手紙に目を落とす。
***
《親愛なるハイドラへ》
□月△日
冬の冷たくも澄んだ空気が目覚めを促してくれる時分、いかがお過ごしかしら。
前に貸してもらったあなたのお養父様の論文をようやく読めたわ。学園だと学んだことのない話ばかりでとても学びになったわ。妊娠中は思うように動けないし、今のうちに読めて正解だった!
◇月×日
秋の空が高い日々、いかがお過ごしかしら。
「エカチェリーナなら理解できると思った」なんて嬉しいことを言ってくれるわね。あなたが色々と教えてくれたおかげよ、ハイドラ。
娘が先日ようやく産まれたの。この子にもまた色々教えてくれたら嬉しいわ。
○月◇日
春風が草木を揺らす時分、いかがお過ごしかしら。
あなたのおかげでクリスティーナの熱も下がって、夜中の咳も減ったの。本当にお礼を言わせてちょうだい。
あなたの願いが叶うことを祈っているわ。
「……これって」
エカチェリーナ、娘、……クリスティーナ。
記された名前に目が留まる。これはもしかして、私の母がハイドラに宛てた手紙だろうか。
私は母の記憶が薄い。どんな人だったか知る人も周りにはほとんどいなかった。聞くのはただ、咎魔女としての罪の大きさの話だけ。
一体この人は何故こんなに親しそうに手紙を送っている相手を……、手紙が貼られているページを次々にめくっていく。
《親愛なるハイドラへ》
◆月□日
最近は雨がよく降るわね。あなたが元気な証拠なら良いのだけど。
娘も離乳食から少しずつ大人と一緒のご飯になってきたの。次の誕生日には同じケーキを一緒に食べれるかもしれないと思うとワクワクするわ。
○月■日
津波で町が飲み込まれたって話を聞いたわ。怖いわね……何か私に出来ることがあれば言ってちょうだい。始祖様には負けるけど魔法にはそこそこ自信があるのだから。
×月-日
最近の気候なのだけど、様子がおかしい気がするの。水のエーテルが過剰になりすぎている。始祖様たちの間では何か話は出ているの?
-月■日
あなた、何をしたの?
(この先の手紙はびりびりに破られていた)
***
「……え?」
破られていた手紙を呆然と眺める。一体何があったのか、そこからでは何も推測できない。
けれども何か嫌な予感がする。私たちの養父ですら知ることがなかった手紙の先。それをたぐる手段はないが……自然と視線は、部屋の片隅の扉へと向けられた。あの先は一体どこに繋がっているのか。
「クリス?」
後ろで誰かの声が聞こえる。けれども私はそれに応えることもなく、おぼつかない足取りで近づいた扉のドアノブを握りしめた。
ガチャリ、その音と共に感じたのはどうしようもない悪臭だった。




