53話 鏡の先は
夜の学校の雰囲気とはこんなに不気味なものなのか。クリスはこわごわと階段を見上げる。窓から差し込む月星の光以外に道を照らすものはない。魔法感知の術式がある可能性もあるから、忍び込む間は緊急時以外魔法を使わない約束だった。
玄関から中に入り、教室に向かうのとは逆方面へと歩いていく。職員室に今は誰もいないと分かっていても、その前を通り過ぎるのは緊張した。
「ね、ねえ。本当にこっちであってるの?」
「ああ、間違いないよ」
職員室を通り過ぎて角を曲がり、トイレの前に置かれた大きな姿見の前に立つ。金色に輝くコインを取り出したキリトが短く何かを唱えた。
途端、鏡が大きく歪む。波打つ鏡面に彼が手を伸ばせば、本来触れるはずの手が鏡の中に吸い込まれた。
「きゃっ、」
小さく悲鳴を上げたヤーラカーナを見てにやにやとしながらキリトがいう。
「よし、つながった。この先は魔法を使ってかまわない。古いダンジョンを改良して使っているからね」
「ダンジョン?」
聞きなれない単語に首を傾げる私にゼータが説明をしてくれる。
「魔族たちが作った異空間の総称だな。多くは彼らとの戦いで破壊したが、稀にこうして再利用をしているところもある」
「そういうこと。ここは始祖たちが何かあった時に互いに使えるようにと各地を繋げているらしい」
「はぁ……よくそんな道知ってるわね」
何者よと問いただしたい想いもあるが、すでに秘匿の仮面をつけ直している相手に聞いたところで徒労だろう。
鏡に向かって大きく足を踏み出したキリトが吸い込まれていく。いなくなってしまった後は波紋だけが残った。
「……うん、行きましょうか」
何にしても、ここまで来たのなら後には引けない。
深呼吸をしてから目を閉じて、鏡へと勢いよく飛び込んだ。
「うぉっと!クリス嬢勢いあるねえ」
驚いたキリトの声が聞こえる。少なくとも彼と同じ場所に到着できたようだ。目を開ければ夜の校舎とそう変わらない暗さの空間だ。そこまで狭くはなさそうなので、先ほど着地した場所からずれれば、他の二人も同じように何もない空間から現れていく。
全員が地に着いた頃には視界も先ほどより馴染んでいた。ごつごつとした岩肌が続く通路の奥、四つに道が分かれている。
「……改めてみると複雑そうね」
「そうだな。はぐれないように気をつけよう。キリト、どの道を進めばいいんだ?」
ゼータがかけた問いに返事は……ない。
どうしたのかと私たちが視線を向ければ、珍しく硬直した笑みのまま視線を明後日に向けていた。
「キリト?」
「…………」
ゼータの再度の呼びかけにも返事がない。……もしかして。
「あんた、まさか……この先ノープランなの?」
「いや……俺も直接王宮に通じてるかなーって思ってたからさ。まさかこんな風になってるなんて」
いやー、困っちゃうね。
乾いた笑いが岩肌に反響する。先ほどあった鏡の道は今はもう見当たらない。私が動くよりも先にヤーラカーナが「キリト!!!」と飛び出して胸ぐらを掴み上げた。
「あなたまさか!道も何もわからないまま私たちをここまで連れていらしたの!?!?」
「ちょ、ちょちょ、待って待ってヤーラカーナ嬢!首、首締まってるから!!」
……まあ話せるなら平気だろう。いざとなれば風魔法で気道くらいは確保できるし。あちらは放置してひとまず今の場所を確認した方がいい。
目を閉じて鼻腔と耳介に意識を集中する。以前皆に話した魔力感知のやり方だ。王宮には地の始祖魔導師がいるという。ならば地のエーテルが最も高いところに向かうのが……。
「──っっ!え、……」
「どうしたんだ、クリス?」
私の様子に気がついたゼータが近づいてくる。
……大袈裟だったかしら。そこまで心配させるつもりはなかったんだけど。つい声がもれたことが恥ずかしくなりながら、誤魔化すように手を振る。
「う、ううん。大したことはないんだけど」
「そんなことはない。この中で一番魔法に長けているのは君なんだから、ささやかでも違和感があったなら教えてほしい」
真面目男め……。私たちのやりとりに気がついた二人も、取っ組み合いをやめて近づいてくる。
「それなら話すけど……あっちの道、他の道に比べても水のエーテル量が飛んでもないのよ」
一番左側の道を指差す。他の道も地火風それぞれのエーテル量に富んだ感覚があるが、水だけが唯一圧倒的だった。
「水のエーテルが……ならいってみるか」
「いいの?」
呆気なく言ってそちらに目線を向けるゼータに私の方が戸惑ってしまう。
「そもそも、僕らがここに来た目的は水エーテルのバランス異常の原因について知るためだ。この先に繋がるのがどこかは分からないが、水のエーテル量が多いなら原因を探るのに役立つかもしれない」
「うん、俺もそれには異論ないよ。何かあったらクリス嬢が吹き飛ばしてくれるだろうし!」
「勝手なこと言うわね、キリト……」
もちろん何かあったら付き合わせてしまっている責任は取るつもりだけど。
「じゃ、探知もあるし私が先頭をいくわ。しんがりは……」
「案内してきた責任もあるしね、そっちは俺がやるよ」
「ええ、任せましたわ。キリト」
隊列を決めて私たちは進む。ごつごつとした岩肌は次第に波打ちが少なくなっていき、とある地点でレンガで組み上げられた壁へと変わっていく。灯かりは相変わらずないから指先に火を灯しながら先を進んだ。
たどり着いた道の行き止まりにあったのは小部屋だった。こじんまりとして引き出し机と脇に小さな本棚しかない。窓も寝台もない部屋。部屋の反対側に不思議な模様が刻まれた扉だけがあった。
「ここは……、っと!エスメラルダ・ウィンド」
これだけ水のエーテルに満ちている空間では知らないうちに溺れてしまってもおかしくない。それほどまでに異様な濃度だった。慌てて私たち四人の周囲に空気の薄い膜を張る。これで最悪の事態は免れるはずだ。
「ずいぶんと妙な場所に来たな。王宮ではなさそうだ」
「そうだね。……ヤーラカーナ、どうかしたのかい?」
一番後ろにいたキリトがヤーラカーナに声をかける。それに私たちも振り返れば青い顔で「まさか」「ここはもしかして」と呟いている少女の姿が目に入る。
「……なにか心当たりがあるの?」
重ねて聞いてみれば、戸惑いながらも彼女が頷いた。
「ええ……。ここはおそらく、ハイドラさまの私室です」




