山羊の名 8
ヨハネス・ハルトリープは、その後、三日ほど修道院に滞在して、エリーザベト修道院長にあれこれ言っていたようだった。
しかし修道院長は、それをほぼ聞き流し、彼を追い出した。つまるところ、彼は部外者でしかなかったからだ。
ヴィーとヨハネスも、そこでフラウエン・アウラハを離れた。
「あいつ、もっともらしい事を言ってるんだけど、なんか怖いよ」
「あんたの感じ方は、たぶん、正しい。あれは危険な人間だ、と思う」
帰途、ヴィーとヨハネスは、そんな風にハルトリープを評した。
フラウエンアウラハ修道院は、ラーベナウアー商会を訴えた。
聖アントニウスの火、と呼ばれる病気の症状はよく知られていたが、それと黒い粒の因果関係は、当時は明らかになっていなかった。
しかし中世の裁判では、社会的発言力の大きい証言者をそろえられるかが最重要で、そして修道院はそういった後ろ盾に事欠かなかった。
圧力に屈したラーベナウアー商会は、麦の代金返還、死んだ豚の弁償、迷惑料の支払を飲んで、和解にこぎつけた。
「……あの院長、怖ぇな」
てん末を聞いて、ヨハネスはそう言った。
「だから、剣を抜く前に頭を使えって言ってるんだよ」
ヴィーは、そんな風に返した。
「そういえば、思い出したんだけどさ」
ある時、ヨハネスはヴィーに尋ねた。
フラウエンアウラハの件以来、ヨハネスはヴィーにしばしば借り出されている。
警吏ピーターの職務や、ヴィーの個人的な用事(ちょっとした調査や尾行)を手伝わされているのだ。
「五月祭のあの時、変な夢見たんだけど、あの酒、何? なんで修道女がいたんだ?」
ヨハネスの問いに、ヴィーはしばしば返答を迷ったようだ。
「……まあ、ここだけの話にして欲しいんだけど。古いお祭りの伝統でね。ある草花から採った滴を酒に混ぜてたんだよ。その草花を、修道院の薬草園で栽培してて、あの晩持ってきてもらったのさ」
ヴィーの答えに、ヨハネスはうなずいた。
よくは判らないが、エリーザベト院長と老マルガレータも色々長い付き合いがあるのだろう、というのは想像がついた。
「なんか、すげぇ変な夢だったんだけど」
「単なる、夢さ。何を見たかは知らないけど、気にすることはないよ」
ニュルンベルグに戻ってひと月もしたころ、マルガレータの処遇が決まったとの知らせを受けた。
老産婆は結局、あの村を離れ、エリーザベトと付き合いのある遠方の修道院に入ることになったそうだ。
その結果について、ヨハネスはヴィーと話し合った。
「結局、俺がやったことは無駄だったのか……」
「ヨハネス」
改まって、ヴィーがヨハネスの名を呼んだ。
「あんたがやった事は、立派だった。マルガレータについては、時代の流れとか、そういうのもあって、仕方のない事なんだ。それに本人にとっても悪い事じゃない。どちらにせよ、隠居する歳だったんだよ」
ヴィーにまっすぐ目を視られてそう言われて、ヨハネスは視線を逸らした。
「……まあ、それなら、それでいいんだけどさ」
照れ隠しのように言うヨハネスに、ヴィーは微笑んだ。
「それから、マルガレータが、あの黒山羊をあんたにやってくれって言ったらしくて、預かってきた」
「ええっ?」
結局、黒山羊は老ドロテーアに譲る事にした。
彼女は動物を飼うのが好きだったからだ。もっとも動物にはあまり好かれない性質であったが。
黒山羊は、かなりな老齢で乳の出も悪いが、老女の無りょうを慰めるのには十分だと思われた。
「大人しくて、可愛い子じゃないか。名前は、なんていうんだい?」
「好きに呼んだらいいんじゃない?」
「よし、じゃああんたの名前は、グレーテルだ。そうしよう」
老女に言われて、黒山羊はうれしそうに鳴いた。
読んで頂いてありがとうございます。これにて「山羊の名」終了です。
あと実はちょっと小説講座を受講する事になりまして、課題として異世界恋愛小説書いてます。たぶん三ケ月ぐらいはそちらを書いてると思います。こちらの読者の方にも楽しんで頂ける物じゃないかと思ってますので、もし良ければチェック頂ければ幸いです!
「異世界から来た侯爵令嬢」
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