泣き虫 十一
(承前)
「リヒテナウアー師よ」
今度は、オットー公が気怠げにヨハネスに声をかけた。
「話は聞いておるぞ。そなたには娘の件で、大変世話になっているが……。そなたの息子を閣下の指南役にするというのは、この宮廷に将来の席を約束するようなものだ。それはいささか、高望みではなかろうか? 面を上げて、思う所を述べて良いぞ」
「はっ、しからばお許しを頂きまして……。私、上バイエルン=ミュンヘン公の宮廷をはじめ、いくつかの宮廷で座談をさせて頂いておりますが、いずこからも禄を頂いておりません。都度都度、芸事へのご褒美を頂いているのみです。息子も、同様に扱って頂ければと思います」
「ふうむ。欲の無い事を言う。だが、本人はどう思っているのじゃ?」
オットー公が、話をパウルスに振った。
だが、ヨハネスのように"顔を上げて発言してよい"と言われていない。
パウルスは迷って、視線を左右に迷わす。すると、ザーラがこっそり人差し指を玉座に向けてくれた。
それで、顔をあげて口を開いた。
「父の申す通りでございます。私はこの事で、一銭も頂くつもりはございません」
腹に力を入れ過ぎて、いささか言葉が強くなりすぎた気がする。ザーラの拳が握られたので、失言をしたかと肝が冷える。
だがオットー公は、ふっと一声、笑った。
「パウルスといったか。そなた、妻子はいるか?」
「いえ、おりません」
「背負う物がない者の言葉は、軽いのぉ。まあいい、いくらか扶持をくれてやる。お役目に励め」
パウルスにそう申し渡した後、オットー公はルートヴィヒに尋ねた。
「それで構いませんな?」
「良きに計らえ」
それから、ルートヴィヒは改めてオットー公に向き直った。
「シビラが逐電した。しかし余はあれを気に入っている。返してもらうぞ」
「逃げたのですか? 閣下を置いて?」
「余に隠し事をしていたのが辛かったのだろう。そなたの命で動いていた事を白状して、どこかに消えてしまったわ」
「ふうむ……」
オットー公は考え込んで、ジロジロとルートヴィヒの面立ちを眺めた。
「閣下、よもやシビラと理無い仲におなりになった?」
「白々しい」
「いやいや、それはお勘繰りが過ぎる……」
吐き捨てたルートヴィヒに対して、オットー公は首を振って見せた。
「それに私は、どこに逃げたかなど知りませんよ」
「では、こちらで勝手に探す。見つけた暁には手元に置くが、構わないな?」
挑むようなルートヴィヒの台詞。
オットー公は、すこし考えて口を開いた。
「……閣下。あの娘の事も、少し考えておやりなさい」
意外な事を、言い出した。
「あの娘が閣下と結婚する事はできません。私がさせません。さすれば、妾という事になる。だがいずれ閣下には正妻ができる。辛い立場となりましょう。もし私生児でも生んだ日には、正妻の派閥から何をされるか判ったものではありません。閣下がいつも御壮健で、臣下ににらみを効かせていられるとは、限りませんぞ?」
路地裏で、御供に舐められていたレオンハルト少年の表情が、一瞬ルートヴィヒの顔に浮かんだ。
「どこに行ったかは知りませんが、あの娘ならばまあ上手くやるでしょう。あれが人並みの幸せをつかむ好機かもしれません」
ルートヴィヒは眼を閉じ、オットー公の言葉を聞いていた。しばし後、口を開いた。
「いや、駄目だ。余はあの娘が欲しいのだ。手放す訳にはいかん」
挑むような眼光を、オットー公に向ける。
オットー公が、視線を逸らして、ため息をついた。
ルートヴィヒは、居並ぶ臣下を見渡して、申し渡した。
「話は聞いていたな? シビラを探し、確保しろ。丁重に扱えよ」
「「はい、閣下!」」
臣下たちの声が重なった。
「宮廷長、明日からは、私もここに座る。政務の手ほどきをせよ」
「閣下の仰せとあらば」
ルートヴィヒが、オットー公に言い渡した。
〇
後日、シビラが発見された。
見つけたのは、またも独断で女子修道院に潜入したザーラだった。
この事態を憂慮したヨハネスは、自らの投てき術をザーラに伝授する事にした。
またオットー公は、早急に手持ち砲術をザーラに学ばせるよう、アウクスブルクのラスト師に手紙を送った。
〇
パウルスは、二月に一週間ほど、ハイデルベルク城に逗留してルートヴィヒに剣術指南をする事になった。
「私がいない時は、柱打ちです。まずは一万回を目標に行ってください。それから毎日走る事。はしご渡りや受け身も忘れてはなりません」
ルートヴィヒに課せられた鍛錬は、体力強化を主眼としたものばかりだった。
「それから、シビラに忍足と隠れ身の術を習ってください」
パウルスがそう申し渡せば、ルートヴィヒに寄り添った少女が照れくさそうにうつむいた。
生成AIで挿絵作ってみました!
左上…ヨハネス・リヒテナウアー
右上…パウルス・カル
左下…ハンス・タルホッファー
右下…ザーラ




