討伐、そして
「ギガフレイム!」
柱の裏に居たまま、当たるはずのないレーザーを何もない空間に向かって放つと、その光に反応して魔王の足者に居た蛇が動き出した。マサキの放った光は溜めたパルス光ではなく、いつもの連続照射光である。その光の発信源であるマサキに向かって、蛇は魔王のそばから離れて地面を這い、柱の裏へと一気に加速する。
「3,2,1,今!」
アントラセンのカウントに合わせてマサキが一気に縮地で地面を蹴り、上空に縮地で移動する。マサキを呑み込もうと突進してきた蛇は、しかし獲物を直前に失った。その獲物であるマサキは空中から柱の側面に移動しながら、右手を蛇に向けレーザー光を放つ。巨大な蛇はレーザーをまともに喰らうが、それを意に介さず、柱の壁を這いながら再びマサキを喰らわんと突進してくる。アントラセンが推察した通り、蛇は勇者武器のみに反応し、その武器の発生元を喰らうだけのルーチンで動く生物兵器であった。
魔王の炎弾が周囲の空間を埋め尽くす中、唯一安全である柱の裏影という限られた場所で巨大な蛇と戦う不利な状況。しかしその蛇の仕組みさえ分かってしまえば、マサキとアントラセンには怖いものはない。
マサキは重力が横を向いたかのように、柱の側壁に足を付けて、そのまま背走しながら駆け上がる。右手は蛇に焦点を当てたまま、蛇の突進に負けない速度で一気に柱をバックステップを駆使しながら登っていく。同じように壁を駆け上がってくる蛇は体をうねらせるが、頭部はほとんど動かないため、レーザーをまともに喰らい続ける。長大な柱を一気に駆け上る勇者と大蛇の戦いは、シューティングというより徒競走の勝負となった。
「マサキ、柱に段差。合図したら大きく飛んで!」
背後はアントラセンに任せ、マサキは大蛇から目を離さない。細かくバックステップを繰り返しながらも、右手のレーザー光は完璧に蛇を捉え続ける。蛇もどれだけ光に焼かれようとも、しつこくマサキを追って柱を駆け上っていく。牙が折れ、舌が焼け焦げてもなお巨大な蛇はマサキを追尾し続ける。
そして勇者と蛇は、柱の一番上に辿り着いた。そこには魔王の放った炎も届かない、空虚な場所である。そして柱の先端は天井まで繋がる次元の壁にめり込んでいた。勇者には次元を越える力はなく、逆に次元の壁から発せられる斥力によって弾かれてしまう。そこでマサキは柱から大きく飛び跳ねるとわざと天井の次元の壁にぶつかり、そこで弾かれる力を利用して蛇を一気に飛び越えた。
マサキは空を飛べる一方で、大蛇は体を括り付けている柱から離れる事が出来ない。周囲に魔王の炎弾がほぼない今、マサキはようやく有利な状況を確保した。蛇は宙に居るマサキを睨んで鎌首をもたげ、時に体を伸ばすものの、柱から離れた場所にいるマサキには届かない。攻撃手段が無くなった蛇は、しかしシステムによってその場から撤退する事が出来ない。唯一の懸念は魔王の攻撃であり、時にマサキを狙った炎の槍が飛んでくるが、それを察知したアントラセンの指示で完全に回避している。
氷の帝王アビイスを倒した時と同様に、安全地帯を確保したマサキは、大蛇をとうとうレーザーで焼き尽くすことに成功した。眼球すら燃えてしまった蛇は、柱から剥がれ落ちて、そのまま火達磨になりながら遙か下の地面へと墜落していく。
「蛇の消滅を確認。私としてはここから魔王様を狙撃したいけれど、多分無駄でしょう」
アントラセンは柱の天井付近から魔王を遠距離狙撃する事を考えたが、その武器であるレーザー光は速度は遅く、見てから避けられてしまう。
「柱を使えば魔王様の攻撃は避け続けられるか?」
魔王の攻撃は弾幕というより弾の壁である。大蛇が死んで封じられていたボルテックスが使えるようになったものの、その残弾数は4発。これまで戦ってきた幹部と同様に、魔王には高い確率で発狂もしくは最終形態と言われる奥の手がある。その時までにどれだけボルテックスを温存できるかが勝負の分かれ目であり、マサキはどんな手を使ってでも、魔王の体力を削りたかった。
「この柱が魔王様の光を防げるのであれば、充分に回避できる余地があると私は考える。というか、この柱を防壁に使わなければ、魔王様の攻撃を防げないと思うわ」
マサキだけでなくアントラセンもまた、魔王の攻撃に絶望していた。これまでこの世界で戦ってきた弾幕が可愛く見えるほど、魔王の放つ炎弾の弾幕は異常な密度だったのだ。それを避け続けながら、さらに魔王に攻撃を当てなければならない。果たしてそれが可能なのかと考えた時に、アントラセンもマサキも自信が持てない。だからこそ、蛇を倒したのに二人は魔王に向かっていけないのだ。
「よし、体力も回復した。行くか」
大蛇との戦いで柱を全速力で駆け上がったため、少し息が上がっていたマサキだが、もう影響はない。蛇がすぐに復活する事は無いとは思うが、柱の影に隠れ続けていて状況が好転するはずもなく。覚悟を決めたマサキの表情を見て、アントラセンもまたその肩に乗り、片膝をつく。いよいよ魔王との1対1の最終決戦である。
「柱で体を隠しながら、右手だけ出して攻撃しなさい。柱を塹壕に見立てて、防衛戦に徹するわよ」
「了解、指示に従う」
マサキはレーザーを溜めながら、柱を挟んで魔王と反対側に立つと、そこから一気に柱の側壁を駆け下りる。魔王がいる側の柱には、創造主である女神像が彫刻されているため、その像を足蹴にすることがなくマサキはホッとする。そしてアントラセンの合図があると、柱の死角から顔と腕だけを出して、魔王に向かって攻撃を放つ。
魔王が両手に集めた光の太陽を握りつぶすと、再び空間すべてが紫の炎弾に飲み込まれる。が、柱が持つ不思議な力によって、柱に触れた炎は一瞬で消えるため、柱の裏側に身を隠すマサキには弾は届かない。それを見た魔王は新たに作った太陽を潰さずに、柱の向こう側に投げつけて来た。ちょうど柱の裏にいたマサキの左右を太陽が通り過ぎた瞬間、それが破裂し、空間に膨大な炎弾が拡散し視野を紫に埋める。安全地帯を失ったマサキは急いで柱の表に回りこむが、すでに魔王が次の太陽を両腕に作り上げていた。当然、魔王はその太陽を握りつぶして、今度は柱の表側からも炎弾の壁を作り上げる。柱の裏はすでに先ほどの炸裂弾が暴れまわっており、逃げ場はない。しかしマサキは慌てずに、柱を駆け上がって女神像の足元に飛び込んだ。
マサキの予想通り、魔王の放った炎弾は柱の表面だけでなく、女神像の手前で尽く消滅した。目の前に迫る炎の壁が消えていく中、この女神像に密着していれば安全に魔王を倒せる、そうマサキが考えた時だった。女神を覆っていた黒い霧が、闇色の光を放ったのだ。まるで女神の怒りのような黒い光が空間を一瞬で染め上げると、マサキは背中に猛烈な衝撃を受けて魔王に向かって弾き飛ばされてしまった。幸運にもその黒い光で空間内の炎弾はすべて消滅していたため、マサキは急いで体勢を直す。何事が起きたのかと柱を見ると、何と2本の柱はどす黒い炎に包まれていた。
「魔王様が攻撃に入ったわ!」
女神、もしくは魔王の怒りなのか、どうやらもう柱に近付けないし、柱を使っての回避も封じられてしまった。アントラセンの声にマサキはもう一つの安全地帯と考えていた場所に飛び込む。魔王の背中である。魔王の両手から放たれる炎の壁は、すべてマサキのいる方面に放出される。炎弾は直進しかせず、また弾速よりもマサキの縮地の方が速く動くことができる。マサキは10メートルもある魔王の頭上を一気に飛び越えて、背後からレーザーを放った。魔王も向きを変えるが、それよりもさらに速くマサキは縮地を行い、常に魔王の背後を取るように動く。時計回りを常に保つことで、炎弾の壁に行く手を遮られないようにしながら、魔王の背後を取りつつ、右手のレーザーを魔王に照射する。魔王も空を飛びながらマサキに追い迫ろうとするが、10メートルの巨体は空中で向きを変えたり停止する際に、慣性のために動作に一瞬の隙が生じる。マサキは炎弾の壁を一方向に収束するように誘導しながら、魔王の巨体を躱し続ける。一回でも移動や誘導を間違えれば一巻の終わりであり、縮地の距離が足りなくても魔王に補足される。限界かつ曲芸に近い動作をマサキは必死で行う。アントラセンは手に汗を握りながら、ただマサキの肩で行方を見守るしか出来ない。
しかしそんな動きを続けていくうちに、マサキは脚に痙攣しそうな気配を感じ始めた。何度も渾身の力で空中を蹴って進んでいるため、負担と疲労が脚部に蓄積されているのだ。今、マサキは完全に自分の理想的なリズムを作り上げ、攻防一体とも言える移動と攻撃を完璧にこなしている。ただ脚に痛みや痺れを感じ始めたのも事実であり、終わりのないシャトルランによって息も荒くなり始める。
(焦りだけは禁物だ。焦りはミスを生む。俺はずっと鍛えてきたんだ。焦るな、まだ体は動く、最後までこのペースを守り続けろ)
マサキは心の中で何度も唱えながら、空中機動を続ける。しかし焦るなと念じるたびに、自分が焦りつつある事を自覚する。自分の体力が尽きる前に、焦りによるミスが先に出てしまうかも、そうマサキが弱気を感じた時だった。
「マサキ、頑張って。もう少し、もう少しだと思う」
アントラセンの応援を、マサキはこの時初めて聞いた。アントラセンは出会ってからこれまで、戦場ではスポッターとしての情報しか口にしなかった。しかし今この瞬間、妖精は自身の素直な気持ちから、マサキを応援したのだ。情報でもなんでもない、ただの妖精の励まし。しかしマサキにとって、その言葉はどんなものよりも心に染みた。
「任せろ!」
たった一言を口に出しただけで、マサキは体も心も奮い立った。今、自分は魔王と1対1で戦っている。魔王の攻撃は強大だが、勇者の武器も魔王すら焼き尽くす世界最強のものだ。マサキも苦しいが、攻撃を受け続けている魔王もまた苦しいはず。アントラセンの応援を聞いた今、マサキに怖いものはない。ただ、自分にできる事を実行するのみ、それが戦闘妖精アントラセンの側に立つ戦士の資格である。
苦しい呼吸を整えつつ汗だくになりながらも、マサキは魔王に攻撃を当て続け、そして魔王の攻撃を避け続けた。空間は紫色の炎に包まれているのに、魔王の背後にだけその炎のない場所があり、マサキは常にその場所を維持し続ける。システムに従って動く魔王は、人間のそれとは違い、イレギュラー的な動作がない。最後は気合と根性だけで、マサキは熾烈な魔王との追いかけっこのような戦いを続けた。
魔王の体全体に火が廻り、その長い銀髪にも赤い炎が付き始めた頃、魔王は動きを止めた。そして両手を頭上に上げると、今までとは違ってその両手の間で1つの太陽を作り始める。それまで片手に1つずつ作られていた太陽も巨大だったが、両手で作り出したそれは、魔王の上半身すら飲み込むほどの巨大な恒星となっていた。その間もマサキはレーザーを魔王に当て続ける。魔王が焼き尽くされるのが先か、魔王が作る太陽が完成するのが先か、アントラセンは固唾を飲んで見守るが、太陽の方が先であった。
辺り一面を紫色に照らす太陽が頭上に出来上がると、魔王は唸り声を上げながら、それを地面に突き落とした。太陽は地面で破裂すると、これまでで最大の弾幕が洪水のように空間に広がり始める。まさに炎の爆轟衝撃波である。さらに太陽を撃ち終えた魔王は、すぐにまた両手を上げて次の太陽を頭上に作り始め、この恐ろしい攻撃が一回で終わらないことに気付いたアントラセンは愕然とする。
しかしマサキはその場を動かず、ただ集中力だけを研ぎ澄ましていた。ようやく魔王が立ち止まったことで、マサキも縮地移動をやめる事ができたのだ。この数年間、魔人の体になった上に、鍛えに鍛えこんできたとはいえ、長時間に渡る全速での跳躍移動によって体は限界だった。気付けば脚は痙攣する直前であり、あともう少し同じことを続けていたら脚が動かなくなっていただろう。
口と鼻で息を整えながら体力と足の回復を図るが、もう先ほどのような縮地はできそうにない。しかし何十回にも及ぶ魔王との戦いの中で全身全力を発揮した事で、今のマサキはその弾幕の軌道を見切れるまで集中力が高まっていた。また足に限界が来ている以上、縮地移動こそできないが、ならばこの場で回避に徹すればいいと、精神的に割り切れていたのも大きかった。
マサキに向かって、台風の中の雨粒のように紫の炎弾が降り注いでくる。それをマサキはまさしく紙一重でその炎を躱し続けた。疲れ切った身体だったが、かえって余計な力がかからず理想的な動きを可能としていた。疲労と限界まで酷使された精神によって、失敗したらどうしようか等といった雑念もなくなり、結果としてマサキはただ無心に力まず炎弾を避け続ける。炎弾の一つ一つが自分と同じ位の大きさだが、結局そのすべてがマサキを狙っているわけではない。自分を狙ってくるものだけを見極め、そしてそれを最小限の動きで躱す。炎の隙間は本当に人間一人がやっとすり抜けられるほどの狭さだが、綺麗にマサキは自分の体をその僅かな空間にねじ込んでいく。大きく動いてしまうと次の動作が遅れるため、ギリギリまで引き付けながら最小の移動だけで避ける。マサキの肩に居るアントラセンは、目を大きく見開いてその神業とも言えるマサキの回避動作を見守っていた。
完全に炎弾を避けきる頃、魔王の頭上には再び次の巨大な太陽が生まれている。しかしマサキは慌てる事無く、魔王が太陽を地面に向ける動作に合わせて溜めていたパルスレーザーを魔王の胴体に向けて放つ。攻撃中の魔王はそのレーザーを避けられず、体から血飛沫が弾け飛んだ。
そして血塗れになりながらも魔王が地面に叩きつけた太陽は破裂し、再び洪水のようにマサキを飲み込む。マサキは右手にレーザーを溜めつつ息を止めて集中を高め、わずかな炎の隙間を見極めながら、その弾幕を回避する。
先ほどまでが動の戦いとしたら、今は静の戦いになっていた。紫の炎が掠ったマサキの髪の毛や衣服の一部は焼け焦げて炭化するが、マサキ本人はまったく意に介さずに弾幕を避け続ける。一発でも喰らったら終わりであるというのに、今のマサキには焦りはなく、適度な緊張感を保ちながら回避に徹していた。そしてすべての炎弾幕を避け終わると、溜めていたレーザーを魔王に当てる。それを5回繰り返した時に、魔王が両手に作り出していた太陽が鈍い音を立てながら小さくなっていく。太陽だった炎の塊は周囲に零れ落ち、魔王の腕も力を失い、だらりとぶら下がる。アントラセンが固唾をのんで状況を見極めようとしていると、空中に居た魔王は足場を失ったかのように、地面に落下した。
魔界全体に響くほどの轟音を立てて地面に墜落した魔王は、うつ伏せ状態のまま動かない。肌色だった肉体はほとんどが黒く焼け焦げ、いろいろな所がひび割れている。さらにその肌のヒビの内側から赤い炎が噴き上がっている。
「終わった、の……?」
まったく動かない魔王の姿に、アントラセンは恐る恐る口を開く。しかしマサキは首を振る。
「わからない。ただ俺の勘がまだ何かあると言っている。まだ終わりじゃない……と思う」
うつ伏せに倒れ、段々と燃え尽きようとしている魔王の巨体からは、もう何も力も感じない。なのにマサキはまだ何か得体の知れないものを感じ取っていた。何かが集まっていくような感覚。ただ今のマサキは精神的にも疲労困憊であり、少しでも休息を取りたかった。手を膝につけて、肩で息をするように体力と精神力の回復を図る。
そうしているうちに、とうとう魔王の体は灰色の炭となってしまった。チリチリと赤い火がまだ燻っているが、巨大な炭の塊は自重を支えきれず、音を立てて崩れ始めている。ようやく息が整い始めたマサキは、何が起きても直ぐに対処できるように構えてはいるが、魔王の体はとうとう火も消え燃え尽き、炭と灰の塊になってしまった。
しかし周囲の空気は未だに緊張感が漂い、そして魔界自体に変化はない。もし本当に魔王が死んだのであれば、システムが反応するはず。マサキは深呼吸をすると、臨戦態勢を取ったまま、ゆっくりと空中に飛び上がった。魔王だったものからは何も力も感じ取れない。よくあるシューティングのラスボスのように、てっきり中から本体とか最終形態が登場するのかとマサキは思っていたが、どうやら違っていたようだ。視線を魔王から外した時、唐突にマサキはなにか別の視線を感じた。背後からだ。




