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ある勇者の人生(1回目)

もう一人の主人公です。

これは、アントラセンが戦闘妖精として生まれ変わる4か月前の出来事。


◇


「ギガフレイム!」


勇者となったその男が呪文を唱えた瞬間、右の掌からレーザー光線が前方に放たれる。男の姿を包み隠すほど巨大な真紅の光が独特の音を響かせながら直進し、敵ごと空間を穿(うが)つ。レーザーは迫力も然ることながら見た目以上の破壊力を有しているようで、体長5メートルを超える巨大な殺人蟻たちを、触れるそばから次々に焼き尽くしていく。レーザーは男の手のひらに刻まれた文様から絶え間なく放出され、指の間からは光の余波が零れ落ちている。それは赤い燐光(りんこう)となり、まるで羽毛のように指の隙間から揺らぎ落ち、周囲に広がり消えていく。その儚い光の、なんと美しいことか。


どんな理屈で人間の手からこのような超威力のレーザー光線が放出されるのかは分からないが、この異世界に勇者として召喚された元日本出身の中年男マサキは、最強兵器を制限なく自由に放つことが出来るようになっていた。


地面を覆い尽くさんばかりに群がっていた殺人蟻の軍団は、マサキ自身がギガフレイムと名付けたレーザー攻撃の一閃により、その大半があっという間に焼失した。戦果を確認するためにレーザー照射を止め、周囲をゆっくりと見回す。灰色の煙と焦げた匂いが充満する中、地面に残っているのは焼け残った蟻の一部だけ。巨大な殺人蟻の軍勢があっという間に消え去ってしまった。なんという威力か。そしてそれを生み出したのが自分であるという事実にマサキは酔いしれた。



しかし殺人蟻は全滅はしていなかった。一部の蟻が背中の羽を使って空中に逃れていたのだ。それに気付いたマサキが再び右手のレーザーを放とうとするが、それより先に蟻は口から牙を一斉に放出した。このビハルダールの世界では人間である勇者がレーザーを放てるように、モンスターも固有の武器を散弾銃のように乱射することができる。空中にいる蟻の数は百に満たない程度だったが、撃ち出された牙の数は千本近くある。そんな牙の弾幕がマサキを目掛けて雪崩(なだれ)のように襲いかかる。一本一本がドラム缶並に大きい牙が、大量に、たった一人の人間に向かって。牙の弾幕(だんまく)を向けられたマサキの顔は恐怖に歪むが、すぐに口角を上げてニヤリと笑う。それはハッタリであり本音は逃げ出したいところだが、勇者として与えられたもう一つの武器を試すには絶好の機会と判断したのだ。


マサキは大きく息を吸い、腹の奥に力を入れ、地面を強く踏み込み、左手を突き出し呪文を叫ぶ。


「ボルテックス!」


左の手の平に刻まれた文様から真紅の爆炎が生まれ、マサキを中心に周辺を真っ赤に丸く染め上げる。派手な爆音が轟き、炎の渦が綺麗な球形を描いて吹き荒れる。マサキに向かっていた牙の弾幕は、その炎渦(えんか)に触れるやいなや一瞬で焼失する。それほどの爆炎が生じているのに、その中心にいるマサキは不思議なことに熱を微塵(みじん)も感じない。


その炎の球に包まれたまま、マサキは右手を突き出し、ギガフレイムを放つ。すると爆炎はそのレーザーの光に混じり込んでいき、規則正しい螺旋(らせん)を描きながら前方へと放出される。先ほどは直径2メートルほどだったレーザー光は、螺旋の炎が混ざることによってその太さを倍増させ、それに触れた蟻を瞬時に燃やし尽くす。


こうして空中に逃れていた蟻も一匹残らず焼失した。炎と光が消え去った後、まったく無傷のマサキだけがその場に立っていた。不思議なことに、周辺の草木もまた燃えること無くそのままだった。


右腕から放たれるレーザー兵器と異なり、左腕に宿る攻防一体の爆炎兵器「ボルテックス」には使用回数に制限があるが、それだけに強力無比だ。たった1回発動しただけで、大量の牙だけでなく、その牙を放ってきた蟻も消し炭にしてしまった。ギガフレイムと名付けたレーザーと、周囲を一掃するボルテックスという爆炎兵器を備えた存在、それがこの世界における勇者であり、今のマサキだ。たった一人で敵の大群を壊滅させる最強兵器。まさにシューティングゲームと同じであり、マサキはその主人公なのだ。



耳障りだった蟻の足音や羽音が消え、あたりにようやく静寂が訪れる。警戒を解いて一呼吸を入れた後、マサキは左右の手のひらに刻まれた文様を見つめる。自分の両腕に宿った力の、何と凄まじい事か。


勇者のみが使える、最強の武器と防壁。説明を受けたときは半信半疑だったものの、実際にこうして圧倒的な攻撃力と防御力を目の当たりにすると、信じるしかない。マサキは自分が最強の存在だとようやく自覚するようになった。あの恐ろしげな殺人蟻の大群を、無傷のまま一方的に蹂躪(じゅうりん)したのだから。


この世界の案内人である妖精から受けた説明を思い出す。右手から放たれるレーザー兵器のギガフレイムに制限はなく、残量やクールタイムなど気にせずに、いつでもいくらでも放つ事ができるという。今は異世界にいるから試せないが、地球の最新の戦車や戦闘機も、このギガフレイムをほんの数秒照射するだけで破壊できるだろうというのだから驚きだ。


そして左手に備わった爆炎兵器ボルテックスは、シューティングゲームでいえばボムやボンバーと言われる回避兼(けん)必殺の攻撃である。こちらは弾数に限りはあるものの、爆炎によって周囲の敵や弾を消失させる最強の防壁だ。さらにボルテックスの発動中に右腕からギガフレイムを照射すれば、炎がそのレーザー光に混じり合って破壊力を倍増させる。


何という力だ─────マサキはうち震えながら両手の指を閉じる。あれ程の光と炎を生み出したのに、掌には火傷一つない。呪文を唱え掌を突き出すだけで、マサキは最強の破壊神となる。さらに腕だけではなく、脚にも勇者としての特別な力が秘められている。マサキは自分の意志で空を飛ぶことさえ出来るのだ。


凄まじい快感、万能感、そして優越感。マサキは恍惚の笑みを浮かべる。彼はこの世界で最強の男、無敵の存在になった事に完全に酔っていた。─────しかし彼は勘違いしていた。最強ではあるが、無敵ではなかった。そしてその勘違いが、この直後の悲劇を生むことになる─────



マサキが自分の身体に宿った力に歓喜していると、はるか上空から大きな音が響いてくる。それは足音ではなく甲高い羽音で、不快な音と一緒に不気味な風がマサキの肌を叩く。気分を害されたマサキが音のする方角を睨むと、遠くの空に一匹の超巨大な羽蟻がゆっくりとこちらに迫ってきていた。八本の細長い手足をダラリと下げ、黒光りする甲殻、そして赤紫色に輝く目。相当離れているはずなのに、その姿がはっきりと見える。地球だと女王蟻は配下の蟻より一回り大きい程度だが、この世界では何十倍も大きいようだ。しかも蟻なのにかなり高い上空を飛んでいる。その威圧感漂う女王蟻の姿に一瞬怯んだマサキだが、頭を振って恐怖を追い払う。


(ちょうどいい、さっき試せなかった飛行能力を今ここで試してやろう)


両足に力を溜めると、つま先あたりに急激に熱を感じる。そのまま地面を蹴って空中に飛び上がると、重力をまったく感じることなくマサキの体は宙に浮く。しかし、


「あれ?飛ぶって飛行機みたいな動きじゃないんだ?」


予想とあまりに違ったせいで、誰もいないのについ独り言が出てしまう。マサキはてっきり念じただけで自由自在に空中を移動できると考えていたのだが、両足に宿った飛翔能力とは空気の上を地面と同じように立てるだけのようだ。どこをどうやってもアメコミヒーローのように軽やかに空を飛ぶことは叶わず、空気の上を歩いたり走ったりすることしか出来ない。女王蟻は都心の高層ビルより高い場所に留まったまま、それ以上動こうとしない。どうやらマサキの方から近づかなければならないようだ。


とりあえずいろいろ空中動作を試すうちに、ジャンプをするように大きく踏み込めば数メートルほど一気に突進できることだけは判明した。ある程度準備ができたところで、女王蟻が待ち構えている上空に向かって、両足を大きく踏み込みながらマサキは上昇していく。慣れてくると陸上の三段跳びのように、踏み込む足を左右交互に繰り返すことで、効率よく距離を稼げるようになる。そうして試行錯誤しながら飛翔を続けた結果、女王蟻とほぼ同じ高さにまで到達した。が、予想以上の運動量だったため、マサキは息が上がってしまう。ここ数年、運動不足だったことを嫌でも実感する。


勇者に選ばれたとはいえ、最強の武器と空を飛べる能力以外は以前と変わらない。つまりマサキの容姿は転生前とまったく一緒の容姿で、肌の荒れた中肉中背の、顔も平凡で身体も38歳のままだった。この世界を救うために勇者として召喚されたというからには、てっきり若返った上で様々なスキルが使えて見た目も美少年になるのかと思っていたマサキにとって、肉体を含めた姿形は転生前と一緒というのは想定外のことだった。


額の汗を拭いながら、およそ300メートルほどの距離を挟んで女王蟻に空中で向き合う。考えていたよりも敵の体は巨大で、その威圧感にマサキは唾をゴクリと飲み込む。地上で見たときは一軒家ほどの大きさと思っていた女王蟻は、実際には五階建てのマンション並の巨体だったからだ。また蟻という割に背中には歪(いびつ)な翅(はね)が6枚も生えていて、全身も毛虫のようにトゲで覆われており、地球のそれとは似ていない。東京の台場で見たアニメロボットの巨大像より遥かに大きな女王蟻はあまりに圧倒的で、こうして面と向かっているだけで精神が削られてしまう。その禍々(まがまが)しく凶悪な姿に、マサキは追い払ったはずの恐怖が再び蘇ったのを感じていた。


勇者であるマサキに与えられたのは、どんな敵だろうと破壊する最強の光と炎だ。ただ敵に手を向けて呪文を言えばよいだけである。勇者の武器は長い射程を持っているため、敵に接近する必要もない。遠くから敵にレーザーを当てるだけ。これまでの人生でモデルガンしか撃ったことが無いマサキでも出来る簡単な仕事だ─────頭ではわかっているものの、女王蟻の威圧にマサキの全身はじっとりと汗がにじむ。


魔王の配下である女王蟻を倒せば名声は上がり、この世界の人々から尊敬と憧れを向けられる。そのためにもここで逃げる訳にはいかなかい。マサキは自分に言い聞かせるように呟く。


「俺は最強、俺は生まれ変わった。俺は勇者に選ばれた人間であり、この世界で英雄になり、そして王になるべき男だ。─────よっしゃ、やる気が出てきた!」


女王蟻は配下の蟻をすべて焼き殺された事に立腹しているのか、マサキを見る6つの目は血走るように赤い。地球の蟻と違って目が頭部だけでなく腹部にも4つある。その6つの目に睨まれたマサキは、それでもなけなしの勇気を振り絞って自らを奮い立たせる。


「その赤い目を更に赤くしてやるぜ。燃え尽きな!ギガフレイム!」


右手を前に突き出し、呪文を叫ぶ。右手から真紅のレーザーが迸るが、しかし女王蟻は巨体にそぐわない軽快な動きでそれをあっさり躱す。レーザーが避けられる──────それはマサキの完全に想定外だった。


「えっ─────さっ、さすが女王。やるじゃねぇか!そう来なくっちゃな!」


あっさり躱された事に内心はひどく動揺しているが、それを隠すため気取ったセリフを吐く。女王蟻の跡をを追うようにレーザーの軌道を動かすが、全く当たらない。当たらないどころか少し右手の動作がブレるだけで、レーザー軌道は見当違いの方向に大きく逸れてしまう。ターゲットが遠い場所にいてなおかつそれが素早く動いてしまうと、直径2メートルを超えるレーザーでも当てるのは非常に厳しい。遠くで動く的を狙うのがこんなに難しいことをマサキは初めて知った。


(敵と離れ過ぎてるとレーザーが当たらねぇ……怖いけど、もう少し距離を詰めた方がいいか……)


仕方なく女王蟻に接近を試みるも、マサキの何倍も速く女王蟻が動いてしまうので、距離が一向に縮まらない。 女王蟻は巨大なのに、空中を不規則かつ緩急をつけて飛び回るので、動きを先読みすることもできない。


右腕の角度を微妙に変えたつもりでも、遠くにあるレーザー先端は大きく動いてしまうので、女王蟻の軌道を追い切れない。右手を小刻みに動かしてレーザー光を素早く左右に振ると、一瞬だけ女王蟻に当たることもある。が、その当たった瞬間に手の動きを止められないので、女王蟻に継続してダメージを与えられない。現に女王蟻はほぼ無傷の状態だ。


焦るマサキだが、さらに状況が悪くなっていることに気付かされる。右手を前に突き出し過ぎると目線がレーザーに遮られてしまい、ただでさえ動きの早い女王蟻を見失ってしまうのだ。特にレーザーを射出している右手側に女王蟻が動くと完全に見えなくなる。それまでまっすぐ突き出していた右腕を下げ、肘を曲げて視野を確保するが、この姿勢だとレーザーの照準合わせが殊更に難しくなる。


『三次元シューティングだと、プレイヤーの撃った弾をゲーム内部で誘導してるんだよ。そうしないと遠くの敵に弾が当たらないからね』


有名なシューティングゲームの製作者が、インタビューで語っていた開発秘話を思い出す。その言葉通り、3次元視点で敵が遠くにいると、照準も付けられないし攻撃も全然当たらない。


(なんだよこのレーザー、誘導機能がないのかよ。いくらレーザーを無制限に撃てても、当たらなければ意味ねぇじゃん!)


マサキはぼやくが、文句を言ったところで状況は好転しない。『当たらなければどうということはない』有名なアニメのセリフが頭の中で再生される。


(うるせぇ!なんだよ、アニメだと簡単にビームが敵に当たってたじゃんかよ! ちくしょう、ニュー●イプになれるようなスキルとかないのかよ。なんだよこの世界の勇者、欠点ばかりじゃねぇか!)


何度照射を繰り返しても、女王蟻にレーザーが当たらない。それまで感じていた万能感や高揚感が消え、代わりに生まれてきたのは焦燥と絶望感だ。


(落ち着け……距離が遠くて俺の攻撃が当たらないという事は、向こうの攻撃も俺に当たらないという事だろ?だから女王蟻は俺に攻撃を仕掛けてこないんだ。なら焦る事はない……女王蟻の攻撃も配下の蟻と同じように牙を飛ばしてくるだけだろうし、それをしてこない。つまり射程圏外だということだ。多分、女王蟻は俺の力を恐れて近寄れないんだろう。そうだ、きっとそうだ)


必死で分析するマサキだが、その都合の良い予想は外れ、女王蟻はその場で体を震わせ始めた。はじめは何をしているのかわからなかったが、どうやら体のトゲを分離させていたようだ。女王蟻の周りにまるで雲霞のようにトゲが広がっていくが、マサキには意図がわからない。


とりあえず動きが止まった女王蟻に向かって不意打ちのごとくギガフレイムを放つが、やはり距離が離れすぎているのか簡単に避けられてしまう。そのうち女王蟻は体中のトゲをすべて分離したようで、体が一回り小さくなってしまった。トゲがない今の姿は、地球の羽蟻(はあり)によく似ている。つまりさっきまで巨大に感じていた女王蟻の姿は、体中に生えていたトゲがそう見せていただけだったようだ。すべてのトゲが分離したことで、半分くらいの大きさにまで縮んでしまった。敵のサイズが小さくなってしまったので、厄介なことに狙いをつけるのが更に難しくなってしまった。


何度もレーザーを当てようとするが、女王蟻には全く当たらない。その繰り返しをどれくらい行っただろうか。焦りと疲れがどんどんと溜まっていくマサキが息継ぎのためにレーザーを止めた時だ。女王蟻もまた動きを停止する。そしてゆっくりとこちらに近付いてくる。


(なーんだ、しょせんは虫、自分から俺が狙いやすいように寄ってきてくれるとは。飛んで火に入る夏の虫だぜ)


しかし緩慢だった動きはほんの数秒だった。女王蟻は再び高速で不規則な飛行を開始し、それと同時に空中に散布されたトゲの先端から、針が一斉に発射されたのだ!マサキが最初に倒した蟻の軍勢よりトゲの数は多く、その大量のトゲから放出された針の弾幕は空間を真っ黒に染め上げる。そう、トゲは浮遊する固定砲台だったのだ。


女王蟻は翅を唸らせ、マサキを威嚇するように高速で不規則な軌道を取る。その速さは先程の比ではない。ただ女王蟻自体は攻撃をしてくる様子はなく、彼女の攻撃は本体から切り離したトゲからの針射撃だけのようだ。とはいえそのトゲの数はあまりに多く、そこから射出される針は吹雪のようにマサキへと迫る。最初は焦るものの、よく見ればその大量の針の飛行速度は思ったより遅い。近付いてくる針と針との隙間も意外と大きいのでこれなら何とか躱せそうである。


「ゲームで鍛えた俺の動体視力を舐めるなよ!」


覚悟を決め、息を止めて針の一斉射撃を見極める。足を細く動かして、針と針の間を縫うように自分の体を滑り込ませていく。電柱並の太さと長さを持った巨大な針が自転車くらいの速度でマサキのそばを次々に通過していく。当たらないようにそれらを避け続けるマサキは一見して冷淡な表情だが、実際には冷や汗が滲んでいる。ようやくすべての針を躱し切るが、しかし固定砲台であるトゲはすでに次の針を射出していた。


必死に次の針を躱しても、また次の針の弾幕が飛んでくる。その終わりのない連続攻撃にマサキは困惑を隠せない。


「おいちょっと待て、トゲのやつどれだけ針を持ってやがる?弾切れしないのかよ!まさか俺のギガフレイムと同じで、女王蟻のトゲにも残弾制限がないのか?」


叫んでも遠く離れた蟻は何も答えない。とはいえ最初は焦りまくった針の弾幕も、何回もそれを避けているうちに慣れてしまい恐怖は少なくなっている。ただし針を躱しているだけでは敵は倒せない。マサキは何百何千という針の波状攻撃を躱しながら、隙を見て右手のギガフレイムで女王蟻を狙う。しかし体が小さくなって余計に敏捷性が増した女王蟻には、どうやってもギガフレイムが当たらない。事態が全く好転しないまま、マサキの疲れだけが溜まっていく。



最初に倒した蟻の軍隊は何も考えずにマサキに向かって突撃してくるだけだったから、ギガフレイムとボルテックスで一層できた。しかし女王蟻は空を変幻自在に飛びながら、ボルテックスが届かない距離、つまりマサキにとっては最悪の距離に居続ける。針の弾幕は終わることなく繰り返され、それを躱すのに精一杯で女王蟻に近付く余裕がない。ギガフレイムを使うと針が見えにくくなるので、回避している間は攻撃もできない。


気が付けばマサキはさっきからほとんど同じ場所で針を躱す作業を続けていた。左手のボルテックスを使えば近くの針は消せるだろうが、肝心の女王蟻を炎に巻き込めないのでその場しのぎにしかならない。しかもボルテックスの残数は1しかないため、保険に取っておきたいとマサキは考えている。……つまり本人はまだ気付いていなかったが、完全に手詰まりになっていた。


俗に言うシューティングゲームでは、敵の動く範囲は画面の中に限られているし敵と自機の距離は近いのでこちらの攻撃は簡単に敵に当たる。要は2次元の世界で線で攻撃するからだ。視点も上や横から俯瞰しているので、攻撃しながら敵弾を躱すのも難しくはない。しかし実際の3次元空間で、一人称の視点で遠くから弾幕を張られると、線でしか無いレーザーを当てるのも、面で攻撃してくる敵弾を躱すのもどちらも厳しい。


端から見ればマサキはFPSゲーム(※)で弾幕シューティングをやらされていた。FPSゲームでは自分も敵も基本は地上を動くだけで、敵の数もプレイヤーが処理できるように比較的少数である。一方でこの世界では、自分も敵も地上だけでなく空中を自由に動き回り、敵は四方八方に大量に湧くし、さらに敵からの弾幕攻撃を自らの身体能力だけで避けなければならない。FPSや3Dシューティングに弾幕系が皆無である理由はここに在る。敵に弾を当てるのが難しい上に、敵の弾を避けるのも困難という、プレイヤーがあまりに不利すぎるのだ。マサキも実際に体験してようやくその事に気付く。


しかしそんな事がわかったからといって状況は変わらない。それどころか慣れない空中移動を休み無しで続けていたことで足に疲れが溜まって、どんどん動きが重くなっている。ここ数年の運動不足が響く。疲労は足だけではない。レーザーを撃つために右手を上げ続けているが、その腕もまた疲れと痛みが蓄積していた。さらに何度も細かく腕先の微調整を繰り返しているせいか、手が攣りそうになる。



(あれ?この状況ってかなりマズイんじゃね?)


マサキはようやく自分の置かれた絶望的な状況を悟る。女王蟻の機動性や弾幕攻撃の前に防戦一方、というより攻撃に転じる事ができない。避けるしかできていないのだ。最強の武器を持った勇者だというのに、なぜこんな苦戦するのかを、マサキは我が身をもってやっと理解した。


(ああ、俺の前に居た勇者が失敗した理由はコレか…… ゲームとはあまりに違いすぎるんだ)


2次元と3次元の差だけではない。ゲームには疲労はないが現実は違う。


ゲームのように上からの視点で自機を操作する形ならどんな弾幕でも躱せる自信がマサキにはあった。しかし自分の視点で自分に襲いかかってくる弾幕を、自分の足を使って避け続ける筋力や持久力がまったく足りていなかった。その上、特別な訓練を積んだる訳でもないため遠距離射撃の精度も低い。いくら最強の攻撃力を有していても敵に当たらないのでは意味がない。マサキは最強ではあったが無敵ではなかったのだ。


魔王がどんな存在かマサキは知らなかったが、その手下である女王蟻にすら大苦戦するようでは話にならない。それどころか自分の方が絶体絶命である。この状態になって、マサキはようやく自分が手詰まりであること、そして最悪の状態に陥っていることに気づいた。


(やばい。何とか対策しないと負ける。いや、それより早くこの状況を脱出しないと、冗談抜きにこんな序盤で死んでしまう)


以前その身をもって味わった死という恐怖が、今再び目の前に迫っている。一度死んだからと言って慣れたわけではない。それどころか、地球で一度死んだ経験のあるマサキにとって、死は何より怖いものになっていた。張り裂けんばかりに高鳴る心臓に、全身から吹き出る冷や汗。視野が狭まり、体が強張っていく。追い詰められていく精神状態。


(嫌だ、また死にたくない!)


声なき声で叫ぶが、状況はもちろん好転しない。恐怖に囚われた上に、繰り返される女王蟻の弾幕針に打つ手が見つからない今、マサキは急いでこの場を逃げ出すことにした。というより女王蟻によって死そのものを思い出してしまった以上、もうここにはいられなかった。マサキは真っ青な顔のまま、針の弾幕を抜けながら必死に地面に向かって降下する。女王蟻の6つの目はマサキを睨みつけたままだが、その場から追いかけてはこない。


(よし、これなら逃げられる…… 草原に伏せてしまえば女王蟻から姿を隠す事ができるはず。俺をこの場所に連れてきた妖精に合流して、急いで逃げ出そう)


そう考えたマサキが、一瞬だけ目線を逸らせた時だった。女王蟻の6つの眼が突然輝きを増すと、その眼球から紫色のレーザーが放たれた。その光はギガフレイムと同じ速度で、あっという間にマサキの至近距離へと迫る。それまで移動しかしていなかった女王蟻本体からの、想定外かつ不意打ちの攻撃。回避が間に合わないと察したマサキだったが、疲れが溜まっていた事、そして逃げることに集中しすぎていたため、反応だけでなく判断も鈍かった。戦場での判断ミスは致命的である。それでも左手を広げ「ボルテックス」を唱えようとするが、絶対防御の爆炎が発動するより早く、6本の紫レーザーがマサキの体を貫く。判断だけでなく、切り札の出し方さえ何もかも遅かった。


当然ボルテックスは発生せず、女王蟻の眼球レーザーはマサキの体を紫の炎で燃やしていく。幸い、頭部と胴体だけは無事だったものの、かえって地獄の苦しみを長引かせるだけだった。地面まであとわずかという所で、レーザーが直撃した両腕は一瞬で焼け落ち、同じようにレーザーを受けた右足も膝から下が焼け落ちる。今まで味わったことのない激痛が脳天に響く中、マサキの体は痙攣し、背中から思いっきり地面に落下する。


壮絶な痛みに気を失いそうになりながら、マサキは走馬灯のようにこの世界に来たときのことを思い出していた。



※FPS:ファーストパーソン・シューティングゲーム,一人称視点のシューティングゲーム


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