勇者、残機3
舞台設定の説明のため、弾幕シューティングとはどういうものかを筆者の主観で長々と語ります。
読み飛ばしていただいて構いません
(たしか俺はホームから特快電車に飛び込んで…… なぜこんな変な場所にいるんだ?)
目の前には派手な色彩のドレスを着た金髪碧眼の美女が居る。その背中には透明の2組の翼が生えていて、そのせいかその美女は少し宙に浮いている。年齢は20歳かそのちょい手前くらいだろうか。多分、妖精という存在なんだろうけど、羽が無ければ普通の人間と同じサイズで、ちょっと違和感がある。俺の勝手なイメージだと、妖精は人間の手の平に乗るくらいの大きさだ。まあ俺のイメージなんて別にいいんだけど。
妖精はこの世界における俺の案内役だという。この世界、名前をビハルダールというらしいが、ここは俺がハマりにハマった弾幕シューティングに非常によく似た世界だ。地球での俺は電車に飛び込んで自殺した。が、転生によってこの世界に連れてこられて、目の前の妖精から魔王を倒す勇者になって欲しいと頼まれた。はぁ?と思ったものの、妖精の説明を聞くとそんなに悪くないんじゃないかと考えるようになった。
この世界はさっきも言った通り、俺が得意な縦スクロール弾幕シューティングのような世界で、俺は勇者としてこの世界の最強の武器を使うことが出来るらしい。それはこの世界の生物をすべて無に返す破壊の光『ギガフレイム』と、触れたものの生命を燃やし尽くす『ボルテックス』、そして大気を掴んで自由に空を翔ける『イカロス』という、どれもこれも夢のような力だ。まさに俺は、弾幕シューティングの世界に召喚された主人公になっていたのだ!
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弾幕シューティング、それは西暦2000年の足音が聞こえ始めたころに、ゲームセンターに現れた。それはあまりに新鮮で、苛烈で、過激だったため、シューティングゲームを愛するプレイヤーたちに熱狂をもって迎えられた。(※1) 俺、望月マサキも弾幕シューティングに猛烈にハマった一人だ。
いや、俺の説明には少し語弊があるかもしれない。まず弾幕シューティングの始祖を何にするかでも揉める要因となるだろう。
一般的には怒●領蜂という1997年に発売されたゲームが有名である。俺はこのゲームが弾幕シューティングの始祖と考えている。この怒●領蜂だが、まさにシューティングゲームの革命児だ。まずコインを入れてゲームが始まった時から驚愕だった。一面とは思えない敵の数が現れ、一面とは思えないほどの敵弾が襲いかかって来たのだ。二面以降は敵弾が更に増えていき、後半面になれば当時の他のシューティングゲームでは考えられないほどの大量の敵の弾が雨あられと降りかかってくる。
ただ怒●領蜂というゲームが他と違ったのは、敵弾がゆっくりだということだ。それまでのシューティングゲームでは、敵の弾は発射を見てから避けるのが難しいほど弾速は早かったのだが、この怒●領蜂の敵が出す弾はそれらに比べるとかなり遅い。なので弾が出されたのを見てから余裕で回避行動に移れる。
そしてもう一つの特徴が、プレイヤーが操る自機の当たり判定が極端に小さい事だ。シューティングゲームでは自機に当たり判定が設定されていて、ここに敵本体や敵弾が接触するとミスとなって自機を1機失うことになる。この自機の当たり判定はゲームによって大小様々だが、怒●領蜂では当たり判定がものすごく小さいため、一見当たったように見える敵の攻撃を曲芸のように躱せてしまうのだ。ゲーム画面で自機に敵弾がぶつかったように見えても、何事もなかったように自機は生き延びる。自機の本体に敵弾がめり込んでいてもまったく問題ないという、大胆極まりない設計になっているのだ。
敵弾が遅く、自機の当たり判定が極端に小さい。この2つのアイデアによって、画面中を埋め尽くす敵弾の嵐を、まるで奇跡やニュー●イプのようにすいすいと避けられる。今までのシューティングゲームでは避けるのが不可能だった無茶な敵の弾幕を、あまりシューティングが上手ではない一般プレイヤーでも普通に避けられる。これが弾幕シューティングだと俺は考えている。
ただ画面を覆い尽くすほどの大量の敵弾というのは、怒●領蜂が登場する以前のゲームでもあった。バト●ガレッガや沙●曼蛇の高次周回面、ヴイ●ァイブの二週目などでは、怒●領蜂に負けないくらいに大量の敵弾が自機に向かって襲いかかってくる。それらを弾幕シューティングの始祖とする説があるのもわかる。
しかし俺の考える弾幕シューティングは、大量の敵弾にプレイヤーが一方的に嬲られるようなゲームではない。怒●領蜂がそれ以前のシューティングと決定的に違ったのは、自機も圧倒的に強い点にあるのだ。怒●領蜂では自機の攻撃もまた敵を簡単に殲滅できる位に強くド派手だった。俺は初めて怒●領蜂をプレイした時、大量の敵弾もさることながら、自機のむちゃくちゃ強い攻撃にも度肝を抜かれた。繊細な操作で膨大な量の敵弾を躱しながら、こちらも画面を覆い尽くすショットや超威力のレーザーを使って、力と力のぶつかり合いを楽しむ。これが俺の考える弾幕シューティングというゲームの基本だと今でも考えている。
長々と語ってしまったが、これはあくまでビデオゲームの話だ。ちなみに弾幕シューティングに限らず、シューティングゲームで自分が動かす自機は、基本的に戦闘機がほとんどだった。しかしゲームの描写が綺麗になるにつれて表現の質が上がったため、そのうち自機が人間であるものも増えてきた。生身の人間が空を飛んで、手から大量のショットや極太のレーザを出し、時に周囲を巻き込むボンバーという爆撃を行う。これも個人的感想になるが、自機が人間のシューティングゲームは、はっきり言ってシュールかつ不自然極まりない。(※2) だって人間が空を飛んで、ビームを撃って何百何千もの戦車や戦闘機を破壊するんだぞ?人間サイズのモビ●スーツじゃねぇか!どういう原理だ?
それまでにも変わり種のシューティングとして、魔法使いや超能力使いの人間が自機だったゲームも過去にいくつかある。しかし弾幕シューティングで自機が人間のゲームが登場した時、それはそれは違和感がすごかった。なにせつらつらと語ったように弾幕シューティングでは自機がめちゃくちゃに強い。その自機が人間に置き換わるとどうなるか? たった一人の人間が、ずっと空を飛び続けながら、大量の軍隊相手に生身で戦いを挑み、敵の戦闘兵器を軒並み破壊しながら最終的に敵組織を壊滅させるという絵面になる。いくらゲームの中とはいえ、一人の力でビルや要塞や都市や戦闘機や巨大戦艦や戦車を軒並み破壊するのだ。どんだけ強い人間だよ。そんな人間がいたら人類の敵になるだろ。
しかも敵のボスも人間だったりすると、もうその違和感は最高潮だ。自分が操作する自機(というか人間)は弾が一発当たるだけで致命傷という、変なところでリアルな人間なのに、敵ボスとして出てくる人間は何千から何万発も弾を射ち込まないと死なないのだ。戦車や戦闘機を数発で破壊できる弾をだぞ?こんだけ人間の方が強いなら、戦車や戦闘機なんて要らないだろ?
シューティングゲームというのは自分と敵が1対大多数、というあまりに理不尽な力関係にある。ロールプレイングゲームでも似たようなものだが、決定的に違うのは、シューティングゲームでは大多数の敵が1人の自分に向かって一斉に畳み掛けるように攻めてくる点だろう。ロールプレイングゲームでは自分が一度に相手する敵の数は一桁で、敵との戦闘は1回毎に時間がかかり、その戦闘を何度も繰り返すシステムだ。しかしシューティングゲームは、こちらが一に対して何十から何百という大多数相手の戦闘を一度に、秒単位で、絶え間なく続ける。
そして自機の防御力も決定的に違う。ロールプレイングゲームでは自分が強くなると、敵の攻撃をある程度受ける事ができる。強くなると雑魚の攻撃など百回受けてもかすり傷程度になる事もある。ところがシューティングゲームではどれだけ自機が強くなっても、雑魚敵の攻撃1発あたっただけでやられるのだ。バリアとかシールドとかの救済システムがあっても、数発でそれらは消えてしまうし、とにかく羽虫のごとく自機は脆い。シューティングゲームとロールプレイングゲームは似ている部分も多いが敵の攻撃の苛烈さと自機の脆さは決定的に違う。だからロールプレイングゲームでの自機は人間で、シューティングゲームの自機は人間以外が基本だった。
俺は最初にエ●プレイドをプレイした時、自機が戦闘機なら何の違和感も無かった1対大多数というシューティングゲームが、自機が人間になるとこうも不自然というか違和感が出るものなのかとつくづく感じた。(※3)
まぁそれでもゲーム自体が目茶苦茶に面白かったので、プレイしているうちに違和感なんかどうでも良くなったというのが正直なところだ。結局、文句を言いながらも、ゲームセンターや家庭用のゲームでいろんな弾幕シューティングを楽しんだ。ゲームは楽しむもので、ゲーセンでは好きなゲームを選べばいい、それだけだ。そして俺はどれだけゲームに金を注ぎ込んだんだろう。特に弾幕シューティングはそれはそれは大好物で、多分俺は高級自動車が買えるほどの金を注ぎ込んできた。
※1:筆者とその周囲の個人的な感想です。
※2:筆者の個人的な感想です。
※3:あくまで筆者の個人的な感想です。