85.5 その頃王都では
※時間軸的には、ステイトが魔王城を脱出してエルフの里についた辺りです。
ステイトがいなくなった後の王都で、ニコラ中心に。
※読まなくても本編に深くかかわりませんので大丈夫です!
シエゼ・ルキスに朝を告げる鐘の音が鳴り響く。鳥たちは朝日の差す町の中で羽を広げ、遥か青い空へと飛び立つ。
やがて人々の声が少しずつ道に流れ出し、市場に集まる。世間話に花を咲かせる者もいれば、熱く語り合う者もいた。その向こうで騎士たちは町の平和を乱さぬよう、今日も鎧を鳴らして石畳の地を踏む。
今日も、いつも通りの一日が始まっていく。
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決められた時間に決められた場所を警備する。それが本来のシエゼ・ルキス騎士団第三隊…通称『町警備隊』の役目である。実際、第三隊の隊長は厳格にもそのルールを守り、きっかり同じ時間に同じ場所を警備している。
しかし、第三隊をさらにいくつかに分けた『小隊』のスタイルは小隊長の性格が反映されるものであり、隊長がまとめきっているということはない。隊長のゲアノート・ブロムベルクもそれは理解している。
だが、ゲリラで突然動き出したりちゃっかりサボったり、と、まるで変拍子の歌で踊るような調子の一つの小隊にはときどき口を出さざるを得なかった。
ゲアノートは頭を掻きながら、自分より10は若い目の前の小隊長を軽く睨みつける。問題の小隊長は涼しげな顔で、ゲアノートの苛立ちを受け止めている。
「…だからいつも言っているが、君に任せた騎士たちは行動が自由すぎる。他の小隊を見てみろ。小隊長を中心に、必ず集団で行動しているだろう?君の場合は放し飼い状態だ。
集団の行動が重視されるこの町警備隊に置いて、個人を重視する君の考えに私は賛同できない」
…この説教をするのはもう何度目か分からない。しかしゲアノートの目の前の青年は、悔しいほど整った顔をにこりとさせて心地のいい低い声で柔らかく応える。
「存じています。しかし、小隊長として私に任せられた以上、部下の扱いは私の自由であるはずです。それに私の部下は優秀です、隊長殿の言う『放し飼い』にしていても酒場の一つにも行きませんし女性の一人も口説きません。
私がこのように行動できるのは隊長やその直属の部下、そして別の小隊たちの警備があってこそなのです。同じ時間に同じ場所を警備していては、悪人どもはすぐに巡回リストを作るでしょう。
それでは警備の意味がありません。網にも穴はあるのです。そこでゲリラで突然動く我らが活かされるというものです。…実際、我が小隊は盗賊共や問題を起こした者の検挙率も高い」
「…それは、…そうだが…」
藍色の目がゲアノートを捉える。本当にこいつが20代前半の若者なのか、という疑問さえゲアノートの心に浮かんでくるほどだ。さら、と黒髪が揺れるのに目が奪われる。
チャーム(魅了)の魔法でもかけているのかと問いたい。この小隊長は厄介者だ。いつもこうして説教をしなやかにかわし、笑顔で去って行く。
「納得していただけたのならこちらにとっても有難いです。…と、こんな時間ですか。私は今日はもう休みを取っておりますので、失礼します」
…とまぁ、この通りだ。相変わらずの爽やかな笑みに投げる言葉も見つからず、ゲアノートは彼が去って行くのを見つめるしかできなかった。舌打ちをする気分にもならない。
「…さすがはロレンシオの弟だな。私の地位も、いつかヤツに取られるだろうな……末恐ろしい若者だ。ニコラ・シフィルハイドは」
**
慣れたお説教をやり過ごすと、ニコラは宿舎の自分の部屋でため息をついた。指定の鎧を脱ぎ、動きやすい町人の服を着る。ぐ、と背伸びしてもここ数日の疲れはとれず、せっかく休みを取った今日は寝てしまいたくなる。
寝ている暇があるなら鍛錬でもすべきだ、いや、今からでもまた鎧を着て町警備に乗り出すべきだ…、と頭の中での会議は終わるところを知らない。まいったな、と一人で彼は頭を抱えた。
今日に休みを取ったのは、単に疲れていたからである。誰と約束することもなく、ただの休日。…いつもの休日なら、町に繰り出せばいつもキャンキャンとうるさい少年に会えただろう。
しかし、少年はいない。数週間前に突如消え失せてしまってから何の手がかりも見つからない。最初は冗談かと思ったが、もう少年の声を聴かなくなって久しい。
何をするにしても、消えてしまった少年の影がニコラの傍をちらついた。フ、と自嘲的に一人で笑う。
「…俺は馬鹿か」
つぶやきに返す者もいない。少年がいれば、「今更かよ、馬鹿なのは大昔からだろ」と憎まれ口を叩いたに違いない。それにゲンコツを落とすと少年が怒り、取っ組み合いのけんかになる。…負けたことはないが。
思い返せば、そんな日々が楽しかったのだ。いつの間にか、少年がいることが当たり前になっていた。…それが不可欠になるとは思わなかったが。
「…どこに行っちまったんだか…」
―――あいつがいれば良かった。だるい日はただ、一人で騒がしいあいつをみているだけで笑うことができたし、退屈な日もあいつの視界に入るだけであいつから絡んできたのだから。
懐いた野良猫が突如消えてしまった。自分なりに好意を寄せつつ、その尾に紐を結ぶことも首に鈴をつけることもしなかったが。…頭を撫でたときに、気まずそうにしながら嬉しそうにもするのが…気に入っていたのかもしれない。
しかし今更思い返したところでどうにもならないことをニコラ自身分かっている。あいつはいなくなった。それでも日常は変わらない。俺は騎士の仕事をする。…ただ、それだけだ。
酷く味気ない日常だ。酷く薄情な日常だ。そう感じていても、やはり自分の力でどうにかなるものではないと彼は悟っている。仕事はいつも通りにできているはずだが、一人になった時の顔色といえばもう酷いの一言に尽きる。
「…バカステイト。俺に何しやがった。てめぇみたいなバカガキ一人いなくなっただけで……何で俺がここまで…」
と、その時扉がノックされる。ワンテンポ遅れてのんびりした声が外から聞こえてきた。
『ニコぉ、もしヒマならお使い頼まれてほしいんだけど…てか起きてるかぁ?寝てる?』
同期の騎士、ジャッテの声だ。救護班の彼は今日も怪我人をまったりのんびり治しているか、一緒に住んでいるワガママドラゴンの少女…いや、少女のような少年と遊んでいるものだと思っていたが。今は一人で仕事中のようだ。
ドアを開けてやると、ほっとしたようなそばかす顔があった。
「あ、起きてたんだなぁ。俺、今から講習なんだけど上司からヨーウェン・アンダーソンさんのお店にお使い頼まれてるの忘れててさぁ!昼までに取りに行かなきゃなんだけど…ニコ、暇?」
「…予定はないが」
「んじゃあ頼むっ!上司怖いから、また怒られるのヤダし…。……それにニコ、疲れてるみたいだからさぁ。…町の相談屋、ヨーウェンさんに話を聞いてもらってこいよ」
へらっとしたのんびり顔でジャッテがお使いメモを渡してくる。ニコラはそれを受け取り、少し複雑な表情をした。…ヨーウェン・アンダーソンは失踪した少年の面倒をよく見ていた。自分よりも、ダメージを受けているかもしれない。
それなのに自分が相談しに行っていいものなのか…、いや、そもそも相談することが具体的には思いつかないのだが。ジャッテはニコラの返答を待たずに慌てた足取りで去って行く。
取り残されたニコラは、片手のお使いメモをぼんやりと見つめる。救護班の部屋にあるメモ用紙なのだろうか、薬草の匂いが染みついている気がした。
*
ヨーウェン・アンダーソンの店にはその店主しかいなかった。いつもは可愛らしい少女が明るく出迎えてくれるか、失踪した愛想のない少年が小馬鹿にしたような顔で出迎えるところなのだが。
カラカラ、と間抜けたベルが鳴ると、カウンターの掃除をしていたヨーウェンが顔を上げる。おや、と眼鏡の向こうの顔を柔らかくする。
「ニコラ君、いらっしゃい。君がここに来るなんて、少し珍しいね」
「こんにちは。…少し、用事を頼まれたので…」
「あはは、そんな他人行儀にならなくてもいいんだよ?僕がジギスの…王の兄だってことを気にしてるんなら忘れてくれて構わないから。昔なんて、ロレンシオ君に連れられてほわほわしてたのにねぇ…」
「そ、その話はもう忘れてください」
「ヨー兄ちゃん、なんて呼んでくれて嬉しかったのに」
あっはは、と店主のヨーウェンが笑う。ヨーウェンと、ニコラの兄であるロレンシオは同級生であり、同じ学校のクラスメイトだったという。仲も良く、ニコラもヨーウェンに会うことがよくあった。
結局ヨーウェンにはニコラも頭が上がらない。諦めたように息をついてから、ようやくニコラは小さく笑った。
「…ひとまず、このメモの分をお願いします」
「うん、お使いお疲れ様。そこに座っててね、……と、そうだ」
ヨーウェンはメモを受け取ると、薬草の入った棚を慣れた手つきで次々に開けていく。が、ぽつりと呟くとカウンターの下に潜り込んで小さな木の実を取り出した。真っ赤なそれはよく熟れている。
「ニコラ君、疲れてるみたいだから。この木の実は疲労回復に効くから、サービスで君にあげる。……スティ君のこと、あまり深く気にしちゃいけないよ」
ヨーウェンの出した名に、思わず肩がびくりと震えた。ヨーウェンはニコラのそんな様子を見て、小さく微笑む。
「僕も驚いた。…アリシアには、スティ君はまた旅行に出たって誤魔化したんだけどね…。…これは誰のせいでもなかったことなんだから。それにきっと、生きている。今はスティ君を信じよう?」
「…あいつが逃げたと疑っているわけじゃありません。魔族に身売りしたとも、裏切ったんだとも思いません。………しかし、」
「…気持ちは分かるよ。けど、ニコラ君がそんな風に弱ってちゃ、スティ君が帰ってきたときに困ってしまうよ。…少し信じるだけで十分だから。…そうだなぁ、…」
ニコラの晴れない表情に、ヨーウェンはカウンター越しに腕を組む。うーん、と唸って、言葉を待つニコラにヨーウェンが微笑んだ。
「ニコラ君は、スティ君のことが好き?」
思わずバッと顔を上げてしまったことをニコラは呪いたくなった。が、ヨーウェンは全く気にしていない様子で変わらず微笑んでいる。す、と薬草の棚に手を伸ばしながら落ち着いた口調で店主は語った。
「僕は好きだし、アリシアもスティ君が大好きだと思う。やっぱり帰ってきてくれなきゃ、寂しいね。店がとっても静かだから…。…ね、単純な気持ちでいいんだ。
ニコラ君はスティ君とよく言い合ってるけど、スティ君が嫌いなのかな」
「……いいえ」
「良かった。…あのね、ここだけの話だけど。スティ君が僕に毎日話してくれることの中に、必ずニコラ君のことがあるんだよ。スティ君もニコラ君をなんだかんだ言って気に入ってるんだ。
だからもし、スティ君がいなくなったことに暗い気持ちを抱えてるなら…それは振り払ってもいいと僕は思う。スティ君が帰ってきたときに、笑って迎えてあげられるように…ね」
ヨーウェンの言葉は不思議な温かさを持っている。すとん、と胸の内に落ちていくヨーウェンの言葉に、ニコラは固かった表情を少しずつ和らげた。それを見てヨーウェンも笑う。
「どうしてもつらくなったら僕のところにおいで。今は遊びに出かけてるんだけど、ここにはアリシアもいるし。きっと話し相手になってくれるよ」
「…ありがとうございます」
ヨーウェンから薬草の入った小包を受け取る。ふわ、と香る薬草の匂いには思わず背筋も伸びる。…そうだ、ここでぐだぐだしていたって仕方ない。あのバカのことだ、いずれ腹が減って帰ってくるさ。
そう心の中で片づけようとしたが、ニコラは新しく湧きあがった気持ちにまたため息をつきたくなった。
―――あいつに振り回されっぱなしだな、俺も。
…だが、それがいいのかもしれない。そう思ってしまうなんて、重症だ。だが認めざるを得ないなら認めよう。
そう考え直すと多少心が軽くなる。あいつが帰ってきたら、飽きるまで八つ当たりしてやる。俺をここまで振り回すなんて上等だ。覚悟しておけ。
ヨーウェンがまたそんなニコラを見て柔らかく微笑んだときだった。外のガラス窓に目の覚めるような赤色が一瞬映ったかと思うと、またカラカランとベルが音を立ててドアが開け放たれる。
誰かが慌てて走ってきて飛び込んできたのだ、と気が付くとそこには赤色の髪が眩しい少年がいた。はぁ、はぁと息を切らして店内を見回す。ヨーウェンと目が合うと丁寧に頭を下げたが、そこにニコラがいるのを確認すると駆け寄った。
「ニコラさん!お久しぶりです!」
「……シルヴェスタ!?どうしてここに」
「すみません、急ぎなんです!ついさっき転送魔法でエリネヴィステさんと城に来て…ジギスムント王から至急ニコラさんを探してくるように言われて…」
突然の来訪者は、ニコラが以前聖セレネへと旅したときに知り合った少年、シルヴェスタだった。その正体は一国の王子だが、今はわけあって聖セレネ国に身を寄せている。
その事情はなかなかに複雑だが、一見おとなしそうなこの美少年は強く、凛としている。ニコラは気まずげに言葉を紡いだ。
「…ステイトのことは…聞いたか?」
「…はい。…けれど、大丈夫です。僕はまたステイトに会えるって信じていますから。…今は別の用件なんです」
ニコラがカウンター席の椅子から立ち上がると、ヨーウェンはにこっと微笑んで見送る。シルヴェスタはまた丁寧で上品な仕草で礼をした。ニコラは気持ちを切り替えて、ただならぬ様子でやってきたシルヴェスタに問う。
「それで、その用件は……」
「…それが、聖剣のことなんですが…。アストックさんの開発した探知地図によると…どうやらバームス砂漠で動きを止めたらしいんです…」
「……まさか、」
「はい」
シルヴェスタの赤い瞳がチリッと燃えるように輝いた。次の言葉に、ニコラは表情をさらに引き締めることになる。
「この機を逃すわけにはいきません。…僕とニコラさんで、砂漠へ乗り込みます」
*to be continued




