70 中庭の庭師
びっくりしたことは、本当に『庭師』の淹れたハーブティーが美味しかったことだ。ほわ、と香る爽やかな匂いにどこか不思議な味、それは決して質の悪いモンじゃない。
むしろ、シエゼ・ルキスの王都でもこんなに上質なのは置いてないぞ?…こいつ、できるな。
俺とシェンユゥはセヴァダと名乗った『庭師』に連れられて、小さなテラスに来ていた。おしゃれなテラスはちゃんと掃除や管理が行き届いていて、すぐにセヴァダが椅子をすすめてくれた。
遠慮もせず俺たちが座ると手際よくセヴァダはハーブティーを淹れ、茶菓子を出す。この茶菓子、綺麗で鮮やかな色の大きな花びらを砂糖漬けにしてるお菓子なんだけど…これがまた美味い!
思わず庭師の胡散臭さも忘れて一人でにっこりしてると、向かい側に座っている作業服姿のセヴァダが笑っていた。
「な?言った通りだろ?俺の淹れるお茶は最高なの」
「残念だけどそれは認めるしかねぇな。確かに美味いよ」
「素直で結構!」
セヴァダが首元で結ってある金髪を揺らしながらニカッと歯を見せて笑う。土の付いた頬が人懐っこく血色もいい。…変な奴って思ったけど、案外こいつもいい奴なのか?
ちら、と隣に座るシェンユゥに目をやると、…あれ。やっぱりご機嫌斜めだ。思わず俺も茶菓子に伸ばした手を止めてシェンユゥを見つめた。
シェンユゥはさっきからこの調子で、庭師のおしゃべりにすっごい無表情。いや、普段から無表情なシェンユゥが『すっごい無表情』っておかしいんだけど…、感情の一つもその顔からはうかがえない。
ただ大きな目を時々パシッと瞬かせながら、人形のように前を見つめている。出された茶にも菓子にも全く手を出してないようだ。
これは…庭師と何かあるんだろうか。シェンユゥになんとなく声をかけようとしたとき、セヴァダが突然大きな声を上げた。うお!?
「あーっ!しまった!この俺としたことが…ヴァイハシュタの砂糖壺を部屋に忘れてきちまった!」
「えっ!?何だそのゴッツイ名前の壺!」
セヴァダがガタッと立ち上がってその辺をうろうろする。ウーン、と唸ってる様子はガチで困ってるみたいだ。つか、このハーブティー、砂糖入ってなくてこの甘さかよ!十分いけるのに!
落ち着きなく歩き回るセヴァダと、そんな彼を呆れたように見ているシェンユゥの間で俺の視線もうろうろ。ど、どっちに声かけりゃいいんだよ。
「ま、まぁ落ち着けよ庭師!シェンユゥもさ、ほら、一口飲んだらどうだ?」
「……」
「えーっ、落ち着けったってほんとにアレがないとこのお茶の美味さが引きたたね……あ!そだシェンユゥ君!頼まれてくれよー!俺のさ、ホラ、城本部の『秋瓦の棟』の俺の部屋!
あの部屋の入って右から5番目の・・・あれ、4番目だっけ?ま、その辺の棚の中にメッチャ綺麗な壺があるんだよ、取ってきてくれね?」
「……」
セヴァダの依頼。んなの自分で行けよ、と俺が言う前に「俺、体力ないもーん!」とセヴァダから声が上がる。確かに城本部って、俺のいた棟のさらに向こうだもんな。遠い!けどそんな依頼をシェンユゥが受けるのか?
ちら、と庭師を一瞥するシェンユゥ。けど、その視線はすぐに俺の方に向く。ん、俺?…あ、そっか。シェンユゥは俺の監視係だから単独行動しづらいのか。俺も庭師を見て事情を説明しようとすると、庭師がバシッと手を出して俺を遮る。
「だーいじょうぶ!俺もこの城の住人、そして城の薬草庫と名高いこの『中庭』を守る主だ。そこの少年が何者かなんて知ってるし、俺もクソ魔王からその少年の扱いには気をつけろと十分念を押されてる。
シェンユゥくんだってさ、俺のこと信頼してないわけじゃねーだろ?な!俺を助けると思って!シェンユゥくんの方が足も速いし体力もあるしさ!」
「……」
セヴァダがウインクすると、シェンユゥはそっと立ち上がって俺に小さく頭を下げた。そのまま『壁』が浮いている小さな広場の方へ続く道を風のように駆けていく。俺が言葉をかけようとする前にその細い影は消えていた。…速っ!
それはそうと、それじゃ俺はこの得体の知れない庭師と二人っきりってことかよ。まだシェンユゥが去って行った方にウインクしたまま固まってるセヴァダを見て、俺はなんとも言えない気持ちのままもう一度ティーカップに口をつけた。
ずず、と俺が音を立てて熱い紅茶を啜る。行儀悪いぞ、といつもなら誰かに怒られるところなんだけど庭師は全く気にしてない様子で椅子に手をかけた。
「…さーて。それじゃ、お話でもしよっかね…トルメルの少年くん?…いやぁ、シェンユゥくんがいたら言いたいことも言えないからさ!悪いけど人払いってわけで」
「…イマイチあんたのことが見えねぇな」
くるっと俺を振り返るセヴァダに俺は苦い表情を見せる。そうだ、なんだかハッキリ見えてこない。わざわざシェンユゥを遠くにやってから俺と話すなんて、なんか胡散臭いし。けど、敵意や危険は感じないんだよな。
だから俺もたいして力まずに砂糖菓子に手を伸ばした。その様子にか、向かいの席に座り直した庭師がニヤッとする。
「いーや、随分うちのクソ魔王とあのシェンユゥくんが気に入ってるみたいだし、あの他人に無関心でめんどくさがりな黒頭巾も君に一目置いてるって風の噂で聞いたからな。どんなヤツかと思ってたんだよ。
…まずは俺の砦、『中庭』にようこそ。改めて自己紹介をすると、俺がこの『中庭』の唯一の管理者にして主のセヴァダだぜ。趣味は園芸、好きなのは女の子と遊ぶのと我が愛しのお花たちをお世話することだ」
「ご丁寧にどうも。ゾイから聞いてるみたいだけど…改めて。俺、ステイト。趣味は…あー、なんだろう。細工作ったり。好きなのは…金だな」
「サッパリしてるねぇ、っと…ステイトくんでいっか。ま、俺の暇つぶしに付き合ってくれよ!この『中庭』さ、『壁』を突き抜けて来ただろ?あれが唯一の隠し扉で、ここの存在を知ってる奴はごく一部の奴だけなんだよな。
俺もこっちの管理につきっきりでなかなかこの『中庭』を出られねぇし、当然女の子も遊びに来てくれねぇし!そんなときに『トルメル』くんだ。こりゃ上客だろ」
「…あの壁、隠し扉なのか」
飄々としてころころ芝居がかったように表情を変えながら話すセヴァダに、俺は適当に相槌を打つ。セヴァダは体勢を崩しながら椅子に深く腰掛け、シュル、と頭に巻いている緑のバンダナをとった。
「そ。ここ、貴重な植物や危険な植物がいっぱいだからさぁ。勝手に部外者に踏み入れられたら困るっつーわけよ。一応管理者の俺と、あと城の幹部が何人か、それとクソ魔王と…あとシェンユゥくんしかここを知らねぇんだな」
「さっきから気になってたんだけどさ。…その、ゾイと仲悪いのか?」
そ、そうだ。もうちょっと気になることがあるけどまずはそこ!さっきから『クソ魔王』扱いだけど、魔王なんだから実際はセヴァダよりゾイが偉いんだろ?と、そんな俺の疑問にセヴァダがガキッと歯を鳴らした!
「あいつ腹立つんだよ!生後一週間の癖にエラソーにしやがって!まだ先代の方が紳士的だったね。俺への待遇も良かったし、『気に入らねぇ』の一言で俺の庭燃やしたりしなかったし!」
「も、燃やされたって…」
「なんか花の並びが気に入らないとかで俺の大事な大事なお花さんを燃やしやがって!ぜってぇ許さねぇんだからな…!しかも次の日反撃したら、今度は庭の一部に不自然な霜が降りてまた庭がダメになったし!」
「どんな反撃したんだよ?」
「緑茶を注文されたから、こっそりセンブリとドクダミとゴボウをミックスした超苦い健康茶葉を送ってギャフンさせたら…次の日にはもう…」
お、おう。…それは飲みたくねぇわ!いや、あのグレシュデリアの薬と比べたらカワイイものかもしれねぇけど!間違いなく罰ゲームレベルのお茶を飲まされたゾイの怒りは…あ、俺にも見えるかも…。
俺がやったら多分全身氷漬けは逃れられねぇな…うおっ寒!なんか寒くなってきた!とりあえずさっきのテンションから一変してションボリしちまったセヴァダに、俺は少し引きつった笑みを見せた。
「た、確かにゾイって横暴だし乱暴だしワガママだし、やってられねぇよな!俺も怒らせたとき、氷漬けにされかけたし!」
「うげっ、ステイトくん可哀そうに!…よし、ここに反クソ魔王同盟を設立するか。もし何かあったらここに逃げて来いよ、ここは俺の『中庭』だ!多少ならあのクソ魔王の魔手から守ってやるぜ!」
「あ、いや、まぁ、…うん。じゃ、じゃあ困ったら助けてもらうよ」
ガタ、とセヴァダが椅子に片足を乗っけてガッツポーズをとるのを、俺はまだ引きつった笑みで返すしかありませんでした。よっぽど嫌なんだな…セヴァダ。うんうん、ゾイってばエラソーだし俺様だもんな、ムカつくのは分かる。
けど…。思い出すのは、食堂に案内される前のあの朝のことだ。眠れなくてうなされてた俺を眠らせてくれたゾイに対して殴っちまって、それを誤魔化すためにあいつの頭をワシワシ撫でたんだよ。
そしたら、なんか…ほんとにどこか、嬉しそうな顔してたから。
あいつ、本当は寂しいのかもしれない。魔王に生まれて、肉体保護結晶?とかいうのにずーっと入ってて。出てきても敵は多いし、魔族をまとめる責任があるし、持ってる記憶は過去の魔王たちの物で…そこに『ゾイロス』はいない。
俺もセヴァダも「生後一週間野郎が!!」なんて言っちゃってるけど、…もしかしたらほんとは友達とかいなくて、ゾイは寂しいのかも。
なーんて。そんなことはないんだろうけどさ。ま、友達が欲しいって泣きながら土下座されたら考えてやらんでもないぜ!ってテンションで接するのが自然ってもんだな。
ゾイのことを頭の端に追いやり、もう一個気になっていたことを俺は聞くことにした。
「あのさ。じゃあ、シェンユゥは何故ここを知ってるんだ?あいつ、コックなんだろ?そんな秘密にされてる『中庭』を知るはずなんてないんじゃねーのか?」
「あぁー、シェンユゥくんはね。偶然迷い込んできたんだよ、つーか逃げて来たというか。千里の目を持つ魔族は昔から『隠し事を暴く』なんてので煙たがられてよ。シェンユゥくんもいじめられてたんだとさ」
「…それで、あんたが見つけて助けてやったと」
「ま、そういうことになんのかな?少しの間匿ってあげて…けど俺のテンションについていけないらしいよシェンユゥくんってば!チャラい系は好かないんだと」
「お前チャラいか?」
イマドキとも言う、と誇らしげにつぶやきながら意外とゴツゴツした手でセヴァダが菓子に手を伸ばす。その指が一枚の砂糖漬け花びらを掴もうとし、…ぴた、と止まる。うん?どうしたんだ?
俺がその指先からスッと視線を上げてセヴァダを見ると、セヴァダはさっきの表情豊かな顔とは変わって真顔になっていた。俺をじっと見つめ、…ふぅん、と頷く。何だよ…不気味な。
「…俺の顔に何かついてんのか?」
「いや、『魔法が効かない』っつーのがトルメルなのに、さっきの戦闘で魔物に襲われてピンチだったじゃんかステイトくん。謎だったんだけどアレか、おクスリか」
「なんか嫌な言い方だな…。…ゾイが、ガーシュデリアの茶を飲ませたって言ってた。それで俺の体質が変化してるんだろうさ。今はただの人間だよ」
「ガーシュデリアか…そりゃ俺の庭にもないレアもんだな。そんなのまで使ってクソ魔王はステイトくんを確保してるとは……へぇぇー、ふぅぅーん?」
「…なんだよ」
なんかいきなりニヤッニヤし始めたんだけどこいつ!少しぼさついた金髪を揺らしながらセヴァダが口角を上げる。俺の睨みにもひるまないどころか、さらに面白がるように言った言葉がこちらです。
「もしかして惚れられてんじゃね?」
「……は?」
…俺氏、フリーズ。ほれら…?ん?その意味を正しく理解するのにたっぷり30秒は使っただろう。うん。…そして、
「はぁぁぁぁあああ!?ゾイが!!?何で!?ねーよッ!単なる珍しい物好きのコレクターだろゾイは!それでトルメルの俺が珍しいから殺してないだけで!」
「いーや!怪しい!いいか、人間界じゃ知らないけど魔界じゃそういう事情に性別は関係ないの。大事なのは魂の相性分かりやすく言えば直感それだけ。
植物博士の俺から言わせてもらうと、ガーシュデリアの、しかもそれを茶にできるほどの葉なんてそりゃもうレア中のレア!数多の植物を取りそろえたこの庭にもねぇんだからよっぽどだ!
そりゃ『トルメル』の体質を無効化する点で言うとグレシュデリアより優れてるけどな、それでもグレシュデリアで十分。じゃあ何故ガーシュデリアなのか?おら、耳貸せ」
「どういう展開だよ…」
なんかよく分からないけどいきなりテンションダダ上がりのセヴァダに引きずられるように顔を近づける。つーか肩引っ張られてるんだけど!何だよこの修学旅行テンション!
まだ現実と会話内容を受け止めきれてない俺にニタァと笑ってからセヴァダがゆっくりと囁いた。
「伝説じゃ、ガーシュデリアの茶を飲んだ奴は…『永遠の時』と『魂の生まれ変わり』に左右されない一途な愛を持ち続けるんだとか」
「…おっけー、分かった。俺、素敵なヨメさん貰うわ」
「ステイトくん目が死んでるけど……俺からしたら、なんというか…あんたの方がヨメっぽい気が…アタァッ!?」
―――ゴスッ!ガンガンガンガンッ!
突如、耳元で鈍い音と素っ頓狂な悲鳴!違う俺じゃない俺は無事だし俺は殴ってもない!隣で悲鳴を上げたのはセヴァダ、そして殴られて地面に伏すことになったのもセヴァダ。
じゃあ誰が来襲したのか…?俺はごく、と喉を鳴らしてから恐る恐る振り返る。そーっと…うん、足元のセヴァダを見ないようにして、そーっと…。
そして。見えたのは明らかに怒ってるらしいシェンユゥ君でございます。いや、目がヤバい。いつものようにピッカリ開いてる目がなんか血走ってる気がする。そして手にはあの巨大フライパンが…!
ギュイン、とシェンユゥの手首辺りに小さな魔法陣が浮かび、融けるようにシェンユゥの手首に吸い込まれていく。…あっ、強化魔法……ちょい待ち!
「シェンユゥ!おかえり!そしてスプラッタは駄目!落ち着け!俺なら大丈夫だし何もないから!ほらフライパンしまおっかそして深呼吸しよっか!な!」
「……」
ふっ、とシェンユゥが俺を見て僅かに目元を和らげた。そして…あれっ、フライパン振り上げないで!これ以上はダメと俺が必死にさえぎると、残念そうにすっと謎のコートの中にフライパンをシェンユゥが片づける。
あ、あぶねぇ!何かが帰ってきたシェンユゥを怒らせたんだ!躊躇いのないフライパンさばきに俺の心臓が壊れそうです!…これは、ゾイより恐いかも…。
倒れ伏して動かなくなったと思われたセヴァダが小さく呻き声を上げる。そ、そうだセヴァダ!慌てて俺がセヴァダのもとによると、セヴァダがうーん、と声を漏らした。…い、生きてるよな。
「その…大丈夫か?何の話してたか忘れちまったけど…」
「……シェンユゥくん…相変わらずの馬鹿力…。俺も何の話してたか忘れちまったよ…イタタ」
そこでむくりっと起き上がるアンタもすげぇよセヴァダ。シェンユゥがギロッとセヴァダを睨み、スススッと俺の方に寄ってくる。俺には心配そうな表情を向けてくれるシェンユゥだけど…いや、お前もなかなかだな…。
「……」
「えーと。…そ、そろそろ帰るか?シェンユゥ」
「…」
こくり、がすんごい速かった!俺が聞いた瞬間にはもう頷いてたぞ!どんだけ嫌われてんだよセヴァダ…。セヴァダも土を払いながらシュル、と頭に緑のバンダナを結び始めた。
「ステイトくんってばほんとにすんごい番犬に懐かれちゃって…。…けど、良かったなシェンユゥくん?そこまでステイトくんを気に入ったんだ?」
庭師がさっきの攻撃も気にしてないようにニコニコしてシェンユゥを見ると、シェンユゥは反撃しようと一瞬拳を作ったけど…それをすぐに解いた。少し間をおいてシェンユゥはただ一度、こくりと深く頷いた。
それに言葉を失くしたのは俺。…俺、シェンユゥに気に入られるようなことした覚えないんだけどな。もちろん好かれて悪い気はしない。…なんか、嬉しくなるじゃんか。
わしゃわしゃとシェンユゥの頭を撫でながら俺はセヴァダに小さく頭を下げた。
「ありがとよ、いい暇つぶしになったぜ」
「こっちこそ久しぶりに話せる奴に会えて良かったぜ。なるほど、アネさんが気に入るのも分かった」
「アネさん?お前、アネキいるの?」
「いや、師匠。ステイトくんの知ってる植物魔法使いの魔族で、美女と美男子の間にいるっていう…」
「そんなのいたっけ?」
ヒュンッとセヴァダの言葉に頭を何かが掠めていったんだけど…なんだろう、一瞬鳥肌が立ったからやっぱり思い出さないでおこうっと。
シェンユゥが俺を案内するように先に歩き始める。花の匂いに溢れた小道を歩いて行くその背を少し見送り、俺はセヴァダに片手を挙げた。
「じゃ、またヒマできたらな」
「おうおう、クソ魔王にいじめられたら逃げ込んで来いよ!あ、それとな…」
「ん?」
シェンユゥが振り返らないのを確認したセヴァダが俺の耳元にそっと顔を寄せて、風のささやきよりも小さな声で耳打ちした。
「ガーシュデリアの薬を解除したくなったら来いよ。ちょっとの代価を払ってくれるんならその薬の効果、解除してやってもいいぜ」
「…マジで?でもそんなことしたらお前、」
「代価はそれ。クソ魔王のギャフンな表情が代価。ま、見た感じいつまでもココにいてくれるようでもないんだろ、ステイトくんよ。
もしクソ魔王をギャフンと言わせたくなったら…それを決行できる準備が整ったら来るといいぜ。来ないならそれでもいいけどな」
にや、と胡散臭い笑みが良く似合う。セヴァダはそっと俺から顔を離し、地面に転がしてあったシャベルを拾い上げて言った。
「そいじゃ、な。早く行ってやらねぇとまた俺がシェンユゥくんに殴られるからさ」
「…ありがと。考えとくぜ、さっきの」
きっと『ニヤリ』笑いなら俺もよく似合ってるはずだ。もちろんさっきの言葉の真意を理解しない俺じゃない。…大きな前進だ。もしかしたらこの城から案外簡単に脱走できるかも!
割と本気でゾイをよく思ってない、というか多分ゾイで遊んでいるのはセヴァダの方だ。ゾイがセヴァダで遊んでるんじゃなくて、きっと面白がってるのはセヴァダの方だとなんとなく俺は感じていた。
だからって気前が良すぎるとは思う。俺を『トルメル』の状態に戻してやってもいい、なんて交渉。代価は『脱走の成功』。
そりゃまぁ逃げる気満々だしそれとなく脱走の機会をうかがってるから願ってもないチャンスだ。ニヤリがこぼれないわけないだろ!
ただ小走りに追いかけた先でシェンユゥがまっすぐな目で俺を見つめながら待っていた。俺もにっこりと笑い返すけど、シェンユゥの『千里の目』の『千里』に俺の心は含まれてるのか一瞬心配になった。
よく分からないけど、俺に懐いてくれたシェンユゥ。危ない目に遭ってるところを恐るべき戦闘能力で助けてくれて。料理も上手だし、無口だけど目は口ほどにものを言うことを教えてくれた魔族。
俺が脱走することはそんなシェンユゥを裏切ることになる。敵になるも同じだ、いや…最初から敵なんだ。
逃げられたって強敵は多い。またゾイに捕まったらもうそれこそ大変だし、今度こそ殺されるかも。ノーリも、ノーリの魔物たちも追ってくる。きっとシャムロック三兄弟や…シェンユゥも。
ここでぬくぬくしてていいのっていつまでなんだろう?それに、あいつらが本当に敵になったら…、俺、戦えるのかな。
ふつふつと溢れてきた疑問、それを払うように俺は首を横に振った。小さくシェンユゥが首を傾げ、俺はハハ、と笑ってみる。
「なんでもねぇよ。さ、帰ろうぜ!もう今日は部屋でゆっくりごろごろだ」
「…」
こくり。そしてシェンユゥは先に『壁』を通り抜けて消えていった。俺はその宙に浮いた『壁』を見ながら少し立ち止まる。一人でいたら今は考えなくてもいいことが次から次に沸いてきそうで少し笑っちまいたくなった。
まだ覚悟なんて何一つできてない。けど、今だけはここで…もう少し暖かな『友人』と一緒に居たって誰も咎めない。
「それでも俺は…」
勢いよく地面を蹴るのと、壁の不思議な感覚に体を突っ込むのはほぼ同時だったように感じた。
**
「…それで…さぁ…」
俺は自分の部屋の前で、扉を開けたまま立ち尽くした。ひくひくと俺のこめかみか口元が動くのにも気をやれず、もう一度目の前の現実を見つめる。
後ろに控えるように立っているシェンユゥは何をするわけでもなく俺の様子をじっと伺い、そして…。
「なんでお前らが平然と俺の部屋を占拠してんだ!!?」
「えー?だってここがいいのだ!」
「そうだそうだ!オレっちたちがいいと言ったらいいんだ!」
「白ワンピースどこにやったのー?ねぇねぇー」
う、う、うるせぇ!同時に喋んな!そう、俺が庭から帰ってきて部屋の扉を開けると、ですよ。
俺の部屋がシャムロック三兄弟に占拠されてる!ソファに一人、どでーんと転がってごろごろ!クローゼットをガチャガチャ開いて遊んでるのが一人!んで…!
「こらショウ!俺のベッドで遊ぶな!」
「む!やっぱり見分けられてるとは…やるな!トルメル!ところでこのベッドすっごく寝心地がいいのだ!ギン、ミィもくるのだ!」
「「はーい!」」
「ンギャアアァやめなさいコラーッ!ホコリ!ホコリすんごいから跳ねまわるな!」
ばっふんばっふんベッドの上でジャンプするなこのガキども!慌てて俺がベッドの方に駆け寄ると、きゃー!と元気な声が三兄弟から上がる!きゃー、じゃねぇよこのワンパク三兄弟!
ベッドから三兄弟を引きずりおろそうとすると、逆に俺が三兄弟に引っ張られてベッドの住人になる。こいつら…!危うく押し倒されそうになるのからなんとか逃げて俺も反撃!THE☆まくら投げだコラ!
その度にまた楽しそうに『きゃー!』だぞこいつら!何しに来たんだよ!
しかし完全に遊ばれてる俺はこの後三兄弟を追いかけて部屋の中を走り回り、あげくろくな事情も聞かされないまま棟内鬼ごっこまでさせられる羽目になり…。
三兄弟が飽きるまでこの遊びは続き、頃はすっかり夕方。俺の体力なめんなよ。あのワンパクガキンチョたちをまとめて相手して鬼ごっこだぞ。え?鬼が俺だろって?だったら良かったんですけどね。
分かるかこのツラさが…。俺が魔法を受け入れると知ってから奴ら、ばんばん魔法使って俺を追いかけてくるんだぞ!そう、あいつら3人が鬼で俺だけ追いかけられてんの!
シェンユゥに助けを求めに行ったらもう消えてたし!途中キッチンに逃げ込もうかと思ったけど、キッチンからいい匂いがしてたから料理の邪魔しちゃいけないと思って寄らなかったんだ。
それで。現在。俺は…。
「トルメルとったりー!」「やったぜ兄貴!完全制覇だ!」「やったねやったね!」
「…後で覚えてろよこんのサメロック三兄弟が…」
「「「シャムロック!」」」
ほこりまみれの廊下でぐでーんと伸びてるところを三兄弟に囲まれてます。新手の宗教儀式かよ、周りでひょこひょこ踊るな!おまけに俺の服もボロボロ!あちこちがショウの雷魔法を掠めて焦げてる!
それに次男のギンは水魔法が得意だったみたいで俺の腰から下は水鉄砲攻撃にやられてみっともなくビショ濡れ。三男のミィは火魔法が得意とくるから髪の毛が一部燃えたし!
もうさんざんだ…。一歩も動ける気がしない…。うすぐらーい廊下で地面に伏してる俺は、謎の勝利のダンスを踊る三兄弟に囲まれて放つ言葉も力がない。
「おら、満足したかガキンチョ!もう俺は充電切れですー!くっそー、こりゃ風呂入らねぇと…」
「ん?充電切れ?なら俺の雷魔法で充電して…」
「そういう意味じゃありません!逆にこれ以上されたら拷問だろ!」
「拷問?いい響きじゃねーかよ」
きゃっきゃと楽しそうにしてるシャムロック三兄弟が突然の声にピシッと動きを止めた。んげ、この声は。俺は体をずるずると引きずり、一方三兄弟は揃ってくるりと回れ右して声の主を振り返る。
薄暗い廊下の向こうからカツカツと足音を響かせてやってきたのは魔王様だった。こんなときに来るなよゾイ…。
かつ、かつ、と一歩ずつ足音を鳴らしながらゾイが俺たちの傍まで来る。シャムロック三兄弟を見下ろし、それから俺にじろ、と視線をやってクスッと笑う。
「いい眺めだな?」
「るせぇ。それよりこの三兄弟なんとかしてくれよ!もう元気で元気で」
「ほーぅ?」
ちら、とゾイが笑いを隠さずにニヤつきながら三兄弟を見ると、三兄弟がピシッと背を伸ばして口をそろえた。
「俺たちは遊んでただけで!」「悪気はなくて!」「いじめてません!」
「ということだが?」
「このザマ見てそいつらの言い分信じるのかよ!酷ッ!」
俺の必死の言葉にゾイが声を上げて笑った。その楽しそうな様子に三兄弟は顔を見合わせ、少し力を抜いたようにも見えた。俺も地面に転がったままゾイを見上げる。
いつものように決まったオールバックで、生後一週間だってのにそんな肉体事情を感じさせない深い知識と威厳を兼ね備えた顔つき。いや、生後一週間って言っても正式に魔王となったのが一週間前ってわけだけど。
会議でもあったのか、形式ばってピッシリした黒の服もまさに魔王。胸元の金のブローチがキラッと光り、俺は一瞬それに目を奪われた。
あのブローチ、氷の結晶みたいだ。氷魔法が得意らしいゾイによく似合ってる。
そんなことを考えてると突然スッと視界が暗くなった。かと思うと…うおおお!?ひょいっとゾイが俺を抱き上げた!背と足を抱えあげられてる様は…おいおい待て待て待て!
「ゾイ!?こ、こ、これは世間でいうところの…お、お姫様ナンチャラというやつでは…!」
「あ?やっぱり縄で足縛って引きずられてぇのか?この俺様がわざわざ動けそうにもないトルメルさんを部屋に運んでやろうとしてんのに?いいぜ、ここで転がってたいんならな」
「あ、歩きます!歩きますから離せ!下ろせ!」
「歩く体力も残ってないくせによく言うぜ、大人しく黙ってな。…三兄弟のチビたちよぉ、ちっとは加減してやってくれ。こいつは見た目通り、体力はないみたいだからな」
「「「はい!!」」」
な、なぁーにが『ちっとは加減してやれ』だと!?じたばたともがいて暴れる俺を力強く押さえながら、ゾイはずかずかと歩いて行く。その数歩後ろをとてとてとシャムロック三兄弟もついてきていた。
い、居心地悪い!けど…本当に歩ける気はしてなかったから助かったかも。俺は暴れるのをやめて観念し、体をゾイの腕に預けることにした。
ふー、と息を吐くとゾイがまた笑う。ギラギラした赤い目がパシッと瞬いたのが見えた。
「ようやく落ち着いたか?もうすぐ飯だ。コック・シェンユゥがお前が疲れてるだろうからと気遣ってサッパリしたものを作ってるぜ」
「…シェンユゥ、ほんと良い奴だよな」
「だから待たせるんじゃねぇぞ。さっさと部屋で風呂入って着替えろ。すぐ飯にしてよく休め」
「…うん」
ゾイの口調は相変わらず乱暴で俺様で力強い。だから俺も、中庭でセヴァダに言われたことを思い出したところで問い詰めることはできなかった。
本当は聞こうと思ってたんだよな…俺に対してのこの待遇の良さを。絶対に裏があるとは思うんだけど、なんでゾイは俺に親切にするのかね?
―――いつか、俺はここから逃げ出すのに。
シャムロック三兄弟と視線が合うと、三兄弟が口々に言った。
「トルメル!今日は遊んでくれて楽しかったのだ!」
「明日も遊ぼうぜ!」
「クイズ作ってきたから!」
ふす、と俺とゾイが笑い声を漏らしたのは同時だった。ゾイが耳触りのいい低い声で笑う。
「懐かれてるじゃねーか」
「…ま、それだけなら可愛いかもな」
かつ、かつと廊下に足音が響く。少しの笑い声と、王都で過ごしていたときのような温かい気持ちが胸に灯ったのは嘘でも何でもなかったと思う。
ふわ、とどこからともなく匂うシェンユゥの料理に腹が鳴ると、また三兄弟が声を上げて笑った。
それから数日。俺はシェンユゥやシャムロック三兄弟、ときどきノーリともまったりとして穏やかな時間を過ごした。
シェンユゥと料理を作ったり、中庭に遊びに行ったり。シャムロック三兄弟と城の中で鬼ごっこしたりかくれんぼしたり。ノーリの自慢の魔物たちに恐る恐るながら会いに行ったり。
そんな穏やかでまったりした毎日を過ごす俺は、思わず外の世界で起きていることも…人間の世界で待っててくれてる人たちのことも忘れそうになっている。
ときどき思い出しては焦って、だけどそれ以上なにもできないと分かってやっぱりここの生活に甘えてしまう日々。
…そんなある日、いよいよ事は起きた。この事件が俺の『魔界でダラダラ生活』に一筋のヒビを与えることになるなんて、俺は思いもしなかったんだ。




