悪魔と仲良くなりました
オリヴィエ・ノートルダム(10)は悪魔の王位を持つ、とてつもなく強そうなアスモデウスという悪魔を召喚したのだが、何故本来は低級悪魔しか呼べないはずのグリモワールからアスモデウスを召喚することが出来たのだろうか。
「ちなみに、私なんでアスモデウス様を召喚できたんでしょうか?」
「えっ?普通に呼ばれたから来たんだけど、僕を呼びたかったわけではないのかい?」
アスモデウスはきょとんとして私を見つめていたが、次第に私の言っていることが真実であることに気が付くと、徐々に不貞腐れたように唇をすぼめた。
「酷いなぁ、オリヴィエは。僕を呼びたかったわけじゃないなら、どんな最上級悪魔を呼びたかったのさ?ベルゼバブ?それともルシファー?」
「そんな、滅相もない。アスモデウス様がいらっしゃったのは私にとっても嬉しい誤算なんです。呼びかけに答えて頂いて感謝してます。ただ、私はこの本の、この悪魔を呼ぼうとしてたんですけど、どうしてアスモデウス様がいらっしゃったんでしょうか?」
私はアスモデウスに、持っていたグリモワールの該当ページを開いて差し出した。アスモデウスは、グリモワールをじっと見つめて、床に描かれた魔法陣の確認をしていたが、しばらくすると魔法陣を指さした。
「これ、魔法陣のここと、ここと、この部分間違ってるね。あと多分、王位を持つ上級悪魔召喚用の詠唱を間違えて唱えたんじゃないかな。君が呼び出そうとした悪魔は低級の低級だけど僕の眷属だから、間違いが重なって僕が呼び出されたんだと思うよ」
普通に私が間違えていたのかと、思わず床に崩れ落ちた。己のポンコツさが今はただただ憎いばかりだ。アスモデウスは床に突然倒れた私が面白いのか、人差し指で私の頬をつついて遊んでいる。
「そういえば言ってなかったんだけど、僕ここに住むから色々と手配したり裏工作よろしく」
「もう一度言ってくれません?」
「だから、僕ここに住むね」
私の契約者となった悪魔は、月明かりに照らされた教会の中で夜に舞い降りた天使のように純白の微笑みを浮かべてそう告げた。
いや、なんですと?
「私、オリヴィエ・ノートルダム10歳。ちょっと何言ってるか分かりません」
私が精一杯子供らしくそう言えば、アスモデウスはきょとんとした顔になった。そんな表情ですら人形のように美しいから解せない。
「君との契約を確実に履行するためには、君の側に居ることが一番だろう?だから君直属の執事にでもなって、四六時中側で君を守るのがいいと思って」
「確かに、そう言われればそうなんですが」
「だろう?という事で、明日の朝が明けるまでに、僕の設定諸々決めて、君の両親に直談判しておいてね」
確かに彼の言っていることは正しいが、あまりの展開の速さに頭が追い付かない。この悪魔を執事として四六時中一緒に過ごすなんて、そしてそうするための準備を全て私がやるなどどうかしている。
そもそもノートルダム公爵家は代々宰相をしている由緒正しき家柄だ。その家に使えるものは、どんな身分、役職であろうと厳しい調査が行われる。その厳しい喚問を掻い潜り、アスモデウスを執事にするためには、どうすればいいのか。
明日の朝が明けるまでに、なんて限りなく不可能に近い。そもそも今何時だろう。召喚はぴったり2時になるように合わせておいたけれど。
「今は午前3時25分だね」
アスモデウスは月の満ち欠けから時間を言い当てた。流石は悪魔だと感心してしまったが、逆に悪魔であるなら私の両親やこの家の者全てに術をかけて、最初からこの家にいるように記憶を改変すれば良いのではないだろうか。
「うーん、そうしても良いけど、オススメはしないね」
「何故ですか?その方が変に取り繕うより楽では?」
「記憶の齟齬が出た時に面倒だからね、一つ綻ぶと全部壊れてしまう可能性があるんだ。そうなった時に人が騒ぎ出すから出来るだけそれはしたくないんだ」
「なるほど、確かに」
「しかも僕は悪魔だからね、下手に記憶を定着させると老いないことがバレてしまう」
アスモデウスは劇の主人公のように、マントをはためかせながらクルリと一回転する。憎たらしいほど全ての動作が絵になる男だ。
「在り来たりですが、夜明けに出歩いていた私が誘拐されかけて、浮浪者だった貴方に助けてもらい、その恩を返すためにノートルダム家の使用人にしたという設定はいかがですか」
「びっくりするほどベタだね」
「時間もないので。これくらいベタな方が逆に真実味ありますし」
「じゃあ、取りあえず朝までにそれっぽくしとこうか」
アスモデウスはそういって、ニンマリ微笑むと、私を抱き上げて教会の扉の方へ歩き出した。背の高いアスモデウスに抱き上げられると、いつもより目線が高くて新鮮だ。新しい世界を体験しているようで少しだけワクワクする。いやいや、ではなくて。
「いや、アスモデウス様、今から何をしようとしてらっしゃるかお聞きしても」
「はは、駄目だよ。オリヴィエ様。今日この瞬間から、君がお嬢様で、僕が執事だよ。主人が召使に敬語なんておかしいだろう」
教会を出たアスモデウスは、ステップを踏むように飛び上がって、教会の屋根の上に飛び乗った。そうしてあっという間にノートルダム公爵家の屋敷の時計台の天辺に飛び移った。
彼はその長い指を彼の手を指した方を見ると、公爵家の領地と、その周りに広がる山々があった。
「このあたりの一帯には、公爵家の権力下だから武装集団はいないんだけど、誘拐犯にちょうどいいのはあの山の麓で商人を襲ってる山賊かな。最近問題になってるそうだし」
アスモデウスが天気を読み上げるようにあっさり告げた言葉に耳を疑った。まさか、いや、確かに誘拐犯をでっちあげると言ったのは私ではあるけれど。
「アスモデウス様、まさか」
「ああ、君にアスモデウスと呼ばれるのは心地いけれど、何か人間の名前を考えないとね。僕が山賊を蹴散らしている間に考えておいて」
「蹴散らすことはもう決定事項なんですか」
「勿論さ、僕は意外と実践派なのだよ。ほーら、行くよ。舌噛むから、黙っておいて」
アスモデウスがそういって、時計台のてっぺんから飛び降りる。ふわりと落下する浮遊感にさいなまれ、思わず私を抱き上げているアスモデウスにしがみついた。
「いいね、コレ。君がしがみついてくれるなら、ずっと自由落下するのも悪くないね」
「アスモデウス様、ちょっと、貴方はともかく私は死ぬんですが」
「君が僕の名前を呼んでくれたら考えようかな、勿論敬語もなしで」
アスモデウスは楽し気にそう告げた。まるで鼻歌でも歌うかのように、楽しそうにしている男を睨むが、まるで気にした様子はない。
「もう少しで地面に衝突して死ぬけど、まだ頑張る?」
美しい真っ赤な瞳の中に浮かんでいるのは紛れもない、隠そうともしない愉悦だ。こいつは私を使って、遊んでいるのだ。この男の思い通りになるのは酷く悔しいが、どうしようもない。私は男の首元を握りしめて、彼の望み通りの言葉を叫んだ。
「アスモデウス!!!なんとかして!!!」
「お安い御用だよ」
地面に追突する瞬間に、地上から突風が巻き起こる。衝突寸前で落下が止まり、まるで時が止まったかのようにゆっくりと地面に降り立った。
「心臓に悪すぎる、死んだかと思ったわ」
「まさか、僕が君を殺すわけないだろう」
「あ~~~~~、もう。なんでそんなに楽しそうなのよ」
「楽しいに決まってる、こうして召喚されるのを待ち望んでいたんだ。数千年の退屈な毎日から解放されるためにね」
アスモデウスは良く分からない鼻歌を歌いながら、私の体を地面に降ろして、手をつなぎながらぐるぐると回した。私とアスモデウスでは、身長差のせいで彼に引きずられるような形になってしまう。正直見上げると首が痛い。
「あはは、楽しいね。このままさくっと山賊狩りに行こうか」
「そんな、キノコ狩りに行くような爽やかさで物騒なこと言わないで」
ピクニックに行くかのような気軽さで、レッツゴーと言いながらにこにこ笑顔のアスモデウスに引きずられ、午前4時の山賊のはびこる山の中に山賊狩りに参加することになったオリヴィエ・ノートルダム(10)であった。