1-4 アケレラの街
「いらっしゃいらっしゃい! 新鮮な野菜はどうかねー! 採れたて一番だよー」
朝から騒々しい通りを黒無は歩いていた。
黒無たちの住む都市アケレラの市場。街の西側に位置するこの場所は、すぐ近くに近接するアルガ大河から運ばれてくる物資に朝から賑わいをみせていた。
「……どうして、こううるさい?」
自らの足で来たことは棚に上げて言葉を漏らす。運ばれてくる物が多ければ、それだけで人は多く、頻度も増え、行き交うそれらに市場は活気づく。静かな場所に行きたいのなら間違いなく選択を誤っていた。また、ちょうど船が着いたらしく荷物を運ぶ人が多く見られ、タイミングも間違えていた。
「そこのあんちゃん、避けてくんろ!」
向かいから来る荷馬車を人混みに押されるように脇に避ける。かっぽかぽと呑気な音を立てて荷馬車が通り過ぎていった。
「どこ行こうかね……」
人混みに流れるように歩きながら考える。基本的にこの街はどこも活気で満ちていて、あんまり静かな場所はない。
黒無がそうこう考えながら歩いていると、いつの間にか都市門近くの広場にたどり着いていた。中央に噴水のある広場は昼以降はカップルが増えるが、午前中の段階では人は少なく比較的静かな場所である。
もうここでいいかと考え始めた黒無に声がかかった。
「おや、おはようございます。クロナ殿」
「……久しぶりだな」
噴水前にある長椅子に杖を持った老人が座っていた。噴水を眺める老人は誰だったかと内心首をひねりながら隣りに座る。思い出そうとするが名前は出てこなかった。散歩している時に何度か会ったこと、なおかつ話した記憶はあるが、名前は聞いた覚えがない。ただ相手の方は黒無のことを知っているようだった。まぁこれは不思議ではない。
黒無は悪い意味で有名だった。
成人を過ぎても働かない放蕩息子として。
ただ、ただの放蕩息子であれば、それほど有名にはならなかっただろう。この世界には貴族という連中がいる。貴族の子息はその恵まれた環境故にろくな育ちをしないことが多々あり、放蕩息子という存在はそれなりにいた。だから、ただの放蕩息子であれば、そこまで有名ではなかっただろう。だが、桜が育ての親という事実がことを大きくした。
今でこそ黒無しかいないが、かつて桜は孤児院を開き優秀な人材を世に送り出していた。ある者は討伐者として名を残し、ある者は研究者として国に抱えられ、またある者は国の宰相にまで成り上がった。他の者も進んだ分野で活躍し、いまなお桜の家名リヴァイアの名を世に知らしめている。そうした背景から黒無も期待されていた。
しかし黒無がなったのはただの引きこもりだった。当然、周囲の落胆は大きく黒無の名は桜に育てられたのに、無能になったということで知れ渡った。それだけでは顔まで知っている者は少ないだろうが、それなりの頻度で散歩をしていることからいつの間にか知れ渡ってしまっていた。
「お久しぶりでございます。お元気でしたかな? この老いぼれめはなんとか生きておりますぞ」
「オレはまぁまぁ元気だ。長生きだな爺さん」
80は超えていると見える老人は、平均寿命が40代というこの世界には珍しい年寄りだった。アケレラの街の平均寿命は他の都市に比べて高い。それは都市の政策として衛生管理がしっかりしており、また福祉も整っているからである。しかし他の要因から、10歳程度上回っているだけであり、50歳が平均とするアケレラの街であっても珍しい長生きな老人だった。ちなみに他の要因は魔物だ。魔物との闘争による死亡率が大きく影響していたからだ。
黒無の言葉を聞いて、老人は朗らかに笑った。
「ほっほっほ。これもひとえに市長様のお陰ですじゃ。長寿の秘訣を教わる機会がありましてのう。ご覧の通りしぶとく生き残っておりますぞ」
ちなみに市長というのは桜のことだ。桜の幾つもの肩書の一つ。覚える必要はない。この街で偉そうな肩書があったら、それはたいてい桜のことを指すのだから。
「そうか。まぁ病気や怪我には気をつけろよ」
「分かっております。まだまだ天に召されるつもりはございませぬ。この街の行く末を見させてもらいますのじゃ。市長様がこの街に来られて数十年。変わりゆくこの街の発展を見ることだけがこの老いぼれの趣味なのです」
「……そうか」
懐かしそうに噴水を見る老人の眼差しは過去を見ているようだった。
「クロナ殿は知ってますかな? 今でこそ、このアケレラは世界一の街に発展していますが、かつてこの街は辺境の田舎町に過ぎなかったことを」
「そうなのか?」
かけらも興味はなかったが暇なので付き合うことにする。
老人は語らしておくに限る。
「はい。ご存じないでしょうが昔のこの街は稼ぎにくいダンジョンがあるだけで、周りは畑ばかりという、それはもう田舎だったのです。今は流通の拠点として賑わっていますが昔はアルガ大河を少し下ったところにある港町の影に隠れ、人はほとんど来なかったのですじゃ」
「そうなのか」
黒無の頭に河口の港町が浮かぶ。たしか子どもでも頑張れば行ける距離だったはずだ。
「そうなのです。昔は周辺で取れる野菜を港町に流すだけがこの街の役目でした。若者はより実入りのいい仕事を求め、街を去るばかり。これが山奥の閉鎖された村なら若者もそこで生きることを決めてくれたのでしょうが、なにぶん近くに街がありましたからな。かくいう私も大人になったら都会で一旗揚げるんだと息巻いていました。それほどに寂しい村だったのです」
「今はこんだけ賑わっているのにか」
先程通った市場を思い出す。商店街は朝から満員電車もあわやとばかりに賑わっていた。
「そんなときでした。市長様がやっていらしたのは。今でも覚えています。市長様はやって来たその日に村民を集め、宣言しました。『この街を世界一の街にする』と」
「……ふむ」
「村の者もより生活を豊かにするために一致団結して奮闘しましてな。かく言う儂も市長様とともに――――」
正直なところあまり興味のなかった黒無は道行く人のほうが気になり始めていた。老人の言葉が左から右に流れていく。
「――――とまぁ、今に至るわけなのですじゃ」
「なるほど」
内容はサッパリ頭に入らなかった黒無であるが桜がすごいことだけは知れた。ようは寂れた農村を数十年かけて都会にまで発展させたのだ。桜が年齢詐欺なことだけはしっかりわかった。
「ところでクロナ殿、話は変わりますがそろそろ職は得られましたか? ここのところ、あまりお目にかからなかったのですが、もしや……」
老人が話しながら期待した視線を黒無に向ける。
だが残念ながら、今なお黒無が職についたという事実はなかった。
「いんや、んなわけねえだろ」
黒無の言葉に老人は悲しそうに目を伏せた。
「……そうでしたか。市長様はなんと……?」
「特に何も? 相変わらずだ」
「……そうですか」
目を伏せて何やら考える老人。話が面倒になってきた黒無が退散する機会を伺っていると静かに語りだした。
「クロナ殿。生きている以上何らかの役目があるのです。役目がないのはこの老いぼれのような死を待つ者のみですじゃ。いや、この老いぼれですら役目があるのでしょう。クロナ殿に伝える役目が。どんなに小さなことでも良いのですじゃ、お役目を果たしてくだされ」
「……どうでもいいな。役目ならババアがオレの分まで果たしてくれるだろうよ」
「…………」
「……? どうした?」
いきなり黙った老人に空気が重たくなる。不思議に思った黒無が視線を向けると、眉間にしわが寄っていた。
「……もしや、その“ババア”とは市長様のことですか?」
「そうだが? だってそうだろう? 百超えてんだから。ババアじゃねえか」
「い、いくら何でも口が過ぎますぞ! 訂正なさい!」
「いきなりなんだよ。……説教は要らねえよ、じじい」
頭を振って黒無は嘆息する。この老人も結局のところ、桜の信者なだけだった。黒無を心配しているのではなく、桜の評判を気にしているだけなのだ。そんなやつの言葉など聞きたくもない。
「そのような言葉遣い……。市長様が悲しみますぞ! おやめなさい!」
「ババアは悲しまねえよ、こんなことで」
「!? 一度ならず二度までも……!?」
「用はそんだけか? それならオレはもう行くが?」
「お待ちなさい! いけませんぞ、そのような振る舞いでは市長様が悲しまれます。言葉遣いというものは品性が出るものなのですぞ。そもそもクロナ殿は……」
老人は嘆きながら声を張り上げた。器用なものだ。仕草に感心し、内容にうんざりした黒無はさっさと退散することを決めた。立ち上がってその場を去る。年寄りの説教ほど面倒なものはない。背後から怒る老人の声が聞こえてきたが無視して歩く。
「あのじじい、クソうぜえな……」
爺が声を張り上げたせいで黒無の注目度が上がってしまった。町の外に向かおうとする黒無に、ひそひそ声がどこからか届く。
「あの子が市長さんとこの子らしいわよ。あの働いていないって噂の。毎日遊び歩いているそうよ」
「うちの息子もろくでもなかったけど自立はしてるのにね」
「あいつあの年で働いてないんだよ。羨ましいよなー。金持ちはいいぜ」
「代わってほしいなぁ。子どもが穀潰しだなんて市長様絶対悲しんでいるよね。私なら、市長様悲しませないのに」
「これっ、見ちゃいかん。あのような軟弱モンにはなっちゃいかんぞ」「「はーい」」
好き勝手言いやがる、と内心舌打ちする。
だらけてはいるが遊び歩いてなどいないし使える金などない。桜が悲しむ? あの子煩悩は子離れできないからむしろ喜んでいるだろう。
「……何も知らねえくせに」
歩きながら天を見上げれば、青い空が広がっている。並び立つ店や家は一階だけの作りで高くないから。視界を遮る電柱も、高層ビルもない。少し道の真中から見上げれば、青い大空が広がっていた。
「全てがこうならいいのにな」
町の人間はクソばっかりだが、街並みは嫌いではなかった。空が見えるから。どうでもいいような空が見えるからだ。
雲三割な青空を眺めながら、都市門の方に歩いていった。
人通りの激しい大きな大門をくぐり、そのまま外に出る。そして街道をそれ、お気に入りの場所に向かおうとしたときだった。黒無に声をかけてくる人物がいた。
「なあ、そこのあんた。あんた転生者だろ」
視線を向けると高校生らしき黒髪の少年が立っていた。