その後の31
ソファの一番端に腰掛けるようにして理子は身を沈めた。隣には翔里と朱里が並んで座り
ソファテーブルを挟んだ前には悠里が座っている。
「今日、レストランに行く前に事務所で社長と陽子さんに写真のこと話したんだ。」
ゆっくりと朱里があったことを思い出すかのように話し出すのを理子たちは黙って聞く。
「僕は理子のことを隠す気も、かといって自ら公表する気もないことを伝えた。あの手のパパラッチは何度となく繰り返すだろうし、自ら理子との関係を話せば理子だけじゃなく、事務所にも迷惑がかかると思ったから。」
「それで、どうするんだ?」
強請には応じない、理子のことも世間には公表しない。
となればあとはどんな選択があるのだろうと翔里は朱里に尋ねた。
「廃業する。事務所との契約で今年いっぱいは解約できないけど、表に出る代わりに、事務所で雑用でもさせてもらう。」
「廃業って、もう演じることをしないっていうの?」
俳優でもある朱里が廃業するという意味は、それは二度とカメラの前に立たないということだ。
理子は驚いたように朱里の顔を見つめる。
「うん。僕が役者でなければ、写真の価値だってなくなるだろうし。幸い、次の作品は何にするかまだ決めてないから違約金もかからないしさ。」
世間に知られている有名人である朱里でなければ、どんな写真であろうと価値はなくなる。
そうあっさりと伝える朱里とは反対に理子は納得できないと朱里のほうへ身体を向けた。
「そんな!陽子さんはそれでいいって言ったの?それに朱里だってそれが最良な方法だなんて思ってるわけじゃないでしょう?」
「まあ今日話した時点では反対はされたけど、何度もこれから話し合っていけば分かってくれると思うよ。」
すでに自分のなかで決めているのか、朱里は理子の質問にも淡々と答える。すると今まで黙って聞いていた悠里が口を開いた。
「随分と甘い考えですね。今、朱里が俳優を辞めたところで世間がすぐに朱里のことを忘れるわけではないことくらい分かるでしょう?むしろ辞めたことで一気に注目されるでしょうね。そして関心は当然、朱里の引退の理由を探そうと躍起になって、理子にも関心が向くかもしれない。」
冷静に、これからの朱里の行動を予測しながら伝える悠里の言葉は確かに間違ってはいない。
海外にも名前が知られ始められた朱里がいきなりの引退宣言をすれば、世間は何事かと騒ぎ立てるだろう。
となれば例の写真の価値はむしろ上がってしまうことになる。
「だったらどうすればいいっていうんだよ!僕一人が糾弾されるんだったら幾らでも喜んで受けるさ。けど理子を巻き添えにしないのはこれしか僕には思いつかないんだよっ。」
今まで淡々と話していた朱里が声を荒げて悠里と向き合う。その声にはどうにもならない歯がゆさと苦悩がにじんでいるように
理子には思えた。
「だから朱里は自分勝手だというんです。何かをする前にいつも自分ひとりで決めてしまう。
一人で切り抜けられる場合でも、周りを巻き添えにしてしまえば、それは愚かな行動にしかならないということにいい加減気づくべきです。」
その言葉に座っていた朱里がソファから勢いよく立ち上がると、座っていた悠里のシャツの襟首を掴み上げた。一瞬の素早い朱里の行動に理子は驚いて、止めようと立ち上がるのを隣に座っていた翔里がその腕をぐっと掴む。
「いいから、座ってろ。」
一言それだけ言う翔里に手首を掴まれたままの理子は、そのまま心配そうに二人の様子を見つめる。
「悠兄はいつだってそうだ。僕なりに考えた解決策にそうやってケチをつける。僕がどれだけ悩んだかなんて知ろうともしないくせに!」
「悩んだ?少しは今の仕事に未練があるということですか。」
襟元を掴まれているというのに、悠里は表情を崩すこともなく座ったまま朱里を見上げている。
「あるさ!あるに決まってる。僕だって演じることが好きでこの仕事を続けてきたんだ。でも理子を守るにはこれしか思い浮かばなかったんだ・・・。」
最初の勢いとは逆に朱里はそう呟くように言うと掴んでいた襟元から手を離し、そのまま立ちすくむ。
軽いスタンスでやってきたはずの役者という仕事に気がつけばのめりこんできた。外見が端正な容姿だと言われる分だけ、決まった役柄しかもらえなかったこともあった。けれどそれに対して愚痴を言うこともせずに演じることを続けてきた結果、世間に演技派俳優として知られるまでに辿り着いたのだ。
でも自分の行動の不注意が招いたせいで理子に迷惑がかかるくらいならば心は残るが、仕方のない選択だと思うしかない。
なのに自分のそんな思いでさえも常に桐生の家を様々な問題から守ってきた悠里は見抜いていた。
冷静に、そして常識的に。
いつも自分が適わないと思うくらいの考え方で。
「廃業する必要なんてありませんよ。朱里は今のまま、やりたいことを続けていればいいんです。」
予想もつかない言葉をかけられ、朱里は驚いたように悠里の顔を見る。
「朱里が今の時点で引退宣言をすれば、きっと世間は大騒ぎするでしょう。そんな時に写真が公表でもされれば理子の存在が朱里を引退に追いやったのだという見方もでてくるかもしれない。そんなことになったら理子の立場はますます危ういものになるでしょうね。」
ファンにマスコミ、彼らが理子の存在に気づけばきっと一般人であろうが容赦ない攻撃をしてくるかもしれない。そのことを悠里は危惧しているのだ。
「だったら悠兄は言われたとおりに金を支払えっていうのか?」
黙って聞いていた翔里が理子の手首を掴んだまま、今度は悠里に質問を投げかける。
「いえ、そんなことをしても朱里の言うように、強請りなんてものはきりがないでしょうし。」
ふう、と軽くため息をつく悠里は翔里を見ながら答えると、今度は立っていた朱里が悠里に問いかける。
「だったらどうしたらいいんだよ。強請りには応じない、僕はこのまま仕事を続ける、そんなんじゃ写真だっていつ世間に公表されるかわからないじゃないか。」
そんな罠にかかるだけのを待つなんてことは耐えられないと、朱里は悠里の考えていることがわからずに訝る。すると悠里はそのまま、翔里の横に心配そうに座っている理子に視線をむけて尋ねた。
「理子、撮られた写真というのはまだ手元に残っていますか?」
「うん。プリントアウトされただけの写真だけど。どうして?」
写真のネガはパパラッチである新城が持っているが、確認の為に渡された写真はいまだに理子が持っている。しかしそれがどうしたのだろうと理子は悠里を見つめ返すと、悠里はその視線をまっすぐに受け止めながら言った。
「それならばこちらが最初に写真を公表しましょう。」