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自前彼女  作者: 門前清一
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自前彼女 ④

 そのカチューシャは、まるであつらえたように俺の頭にぴたりと収まった。

 ほとんど頭部に張り付いている感覚がない。不気味なくらいフィットしている。

 

 やや緊張しながら、しばしの間、待った。

 

 しかし、なにもおこらない。

 麻耶のぎゃーぎゃー騒ぐ声が、廊下に響いているだけだ。

 

 ……なんだよ、本当にただの髪留めじゃねーか。

 

 俺は嘆息を漏らして、そいつを取り外そうとした。そのときである。


「ユーザー登録が完了しました」


 突如、麻耶のものとは明らかに異なる声が響いた。

 俺はカチューシャに伸ばしかけていた手を止め、麻耶の方を振り返る。

 妹は、例の女の子の肩をつかんだまま、大きく目を見開いていた。


「し、喋った……」


 少女の顔を凝視しながら、呟く。

 つまり、今の、登録が完了したとかいう発言は、その少女がしたってことか。

 俺は立ち上がって、麻耶の方へ向かおうとした。

 瞬間、十センチと離れていない所に、麻耶の顔が出現する。


 ……………………は?


 激しく混乱する俺。

 えーと、俺、今、あいつから三メートルは離れたところにいたよね?

 で、なんでテレポートみたいに、いきなり目の前に妹が現れてんの?


「あ、目を開いたっ!」


 麻耶が俺を見て、叫ぶ。


 なに言ってんだこいつ? 目なんか、さっきからずっと開けてるだろ。

 それとも、俺が今まで居眠りしながら動いてたとでも、言うつもりなのか?


 麻耶はじろじろと俺の顔を覗き込んでいたが、ふいに首を左に向けて誰かに呼びかけた。


「兄ぃ、この人、目を開いたよ。やっぱ狸寝入りだったみたい」

「なに言ってんだ、おまえ。っていうか、どっち向いて喋ってんだよ」


 ぐるっと勢いよく、こちらに顔を戻す麻耶。


「え?」

「え?」


 異口同音に声をあげる。俺が「え?」と言ったのは、自分の声に驚いたからだ。 生まれてから今まで、一度たりとも発したことのない声音だったのだ。

 鈴の音のように澄んだ響き。けっしてハスキーではないが、普段の俺の声より明らかに高い。

 自分で発しておいてなんだが、非常に耳あたりのいい声音だ。


 風邪で声がおかしくなるって話はよく聞くけど、そのたぐいだろうか。

 でも、いきなりこんな風に切り替わることなんかあるのか?

 

 麻耶はきょとんとした顔で、俺の顔を眺めている。穴が空くほどいつまでも凝視しているので、俺はついにもう一度口を開いた。


「な、なんだよ? そんなに俺の声、変か?」


 妹は、あたかも危険生物と相対してるかのように、微妙に後退し始める。


「あの、あなた、ほんとに誰なんですか? なにが目的でこのウチにきたんですか?」


 一瞬、いつもの悪ふざけかと思ったが、心底怯えた彼女の様子に、俺は妹が冗談を言ってるのではないと確信した。


「なに言ってんだよ! おまえ、自分の兄貴の顔を忘れたのかよ!」


 彼女の肩を両手でつかむと、そう叫ぶ。麻耶がびくっと体を竦ませるのが、掌から伝わってきた。

 妹は、再び顔を左に向け、切迫した口調でまくしたてる。


「に、兄ぃ! この人、おかしいよ! 意味わかんないこと言ってる!」

「だから、おまえの兄は、目の前に――」


 俺が言葉を発することができたのは、そこまでだった。

 麻耶の視線につられて、何気なく左へ顔を向けた俺は、そのまま、硬直した。


 そこには、俺が立っていた。


 間違いない。

 このイケメンとは言い難い、冴えない顔。毎朝、鏡越しにうんざりするほど眺めてきた俺自身の顔だ。

 ずるり、とマヤの肩から、両手が滑り落ちる。俺は、『俺』を観察する。呆けた顔をして、宙をぼんやり見つめている。まるで、魂を半分抜かれたかのようだ。

 え? ちょっと待ってくれ。



 ――じゃあ、ここにいる俺はなんだ?


 

 俺はゆっくり腕を持ち上げて、両手を目の前にかざしてみた。ちゃんと見えるし、向こう側が透けてもいない。

 少なくとも幽霊という線はないようだ。

 いや、ちょっと待てなにか違和感があるぞ。俺の手、妙に細くないか? それに明らかに普段より白い色をしてるぞ。

 

 なにかが決定的におかしかった。俺は恐る恐る視線を下げ、自分の体を確認する。

 ぎょっとするほど、体が細くなっていた。

 しかし、それよりもなによりも胸元に驚愕する。

 この異様に隆起した胸はなんだ? いつもなら下を向けばつま先まで視線をさえぎられることはないのに、足元が胸に邪魔されて見えない。

 隆起の仕方も変だ。男がボディビルした感じの盛り上がり方ではなくて、妙に丸っこくてやわらかそうだ。

 そう、これはまるで――

 

 頭がくらくらしてきた。

 俺は、ふとあることを思い出す。

 我が家の廊下には、鏡がかけられている。それもいま俺の立っているすぐ隣に。

 首をゆっくりと回してゆく。視界に何の変哲もない、安物の鏡が現れる。

 

 その中には、一人の美少女が映っていた。

 俺は、すぐにその子が箱の中にいたあの女の子だと気付く。


「どういうことだよ……」


 俺がそう呟くと、鏡の中の少女もまったく同じように口を動かす。

 

 ……えーと、これはつまりあれだ、俺がこの美少女だってことだよな。

 

 ……………………………………………………。

 夢か? そうだ、こいつは夢に違いない。

 

 いったん目を瞑って、もう一度開けば、元の自分の体に戻っているはずだ。

 俺は、目をぎゅっと閉じた。映画とかだとまず間違いなく目を開けても元の姿に戻っていないパターンだが、一縷の望みを託し、瞼をそっと持ち上げる。

 

 やはり元に戻ってない――ことはなかった。

 戻っている。目の前には鏡などなく、廊下が向こうまで続いている。口を空けた段ボールが玄関口においてあり、その手前には麻耶が立っていた。

 ついさっきまで俺が見ていた光景と、寸分違わない。


 いや、違う点が一つ。麻耶が肩をつかんでいた少女が立ち上がっていた。

 首を壁にかかった鏡の方に振り向けたポーズのまま、じっと立ち尽くしている。

 

 ・・・・・・どういうことだ?

 

 激しく混乱する俺。

 

 よし、さっきの状況を一からゆっくり思い出してみよう。

 俺はここに立っていた。こんな風に普通に廊下の風景が見えていたけど、急に麻耶の顔が現れた。ちょうど麻耶のまん前にいる、あの女の子と位置が入れ替わったみたいに。

 そうだ。あのときに見えていた光景は、まさにあの子の位置から眺めたこの廊下だった。

 ちょうど麻耶の後ろにある下駄箱が見えていて、俺の位置からは角度的に見えない下駄箱の中が映っていた。

 一段目に麻耶のローファーが揃えて置いてあったことまで、はっきり思い出すことができる。靴の光り具合までしっかりと鮮明に、まるで脳内でビデオを再生しているみたいに、俺の脳裏に浮かんでいる。

 

 ……いや、っていうか、この光景、マジでクリア過ぎないか? 記憶を元にした映像だとは、とても思えないぞ?

 俺は試しに、脳内映像の視点をちょっと動かしてみようとする。

 

 んん? 動く。動くぞ? こんな馬鹿な……ていうか、あそこで間抜け面してぽかんとしてるのって、なにげに俺じゃね?

 

 …………俺だった。

 

 その瞬間、天啓のように、ある推測が閃いた。

 俺は脳内映像のカメラを右下に向けてみる。予想通り、すらりと伸びた腕が映る。

 動け。そう念じてみる。

 腕が動いた。俺の思ったとおりにである。

 俺は、映像に映っている麻耶の肩に、ぽんとその手を乗せてみた。


「ふにゃ!?」


 実際の俺の耳に、そんな悲鳴が聞こえてくる。


「おい、麻耶、かなりとんでもないことになったぞ」


 俺は、静かな口調でそう告げた。


「そんなこと言われなくてもわかってるよぉ……それより、兄ぃ、早く助けてよ……この人、マヤの肩つかんでくるよぉ……」

「ああ、悪い。すぐにどける」


 俺はそう言いながら脳内映像の中で麻耶の肩に乗っかっている手を動かす。

 タイムラグゼロで、俺が実際に見ている光景の中でも、麻耶の肩に乗っかっている少女の手が動いた。


「へ?」


 麻耶は、目をまん丸に開き、俺と背後の少女を交互に見つめる。


「なに? どーいうこと?」

「麻耶、俺、どうやらその子のことを――」


 そこまで言ってから、俺は脳内映像の中で、続きを喋ってみることにした。


「自由に動かせるみたいなんだ」


 少女の澄んだ声音が響き渡った。脳内映像でも。現実に俺が眺めている廊下にも。

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