ダンジョン
翌朝、魔法科学校の訓練棟は、朝早くから妙な熱気に包まれていた。
原因は言うまでもない。昨日、討伐報告窓口で起きた一件だ。
一級災害種を討伐した無能。
そんな、誰も信じたくない噂が一晩で校内を駆け巡り、好奇と猜疑と敵意が入り混じった視線となって、今も俺の背に突き刺さっていた。
だが、それもすぐに別のざわめきに塗り替えられる。
「本日の二年実戦演習は、予定を変更する」
訓練場の中央でそう告げたのは、実戦科主任のガルドだった。筋骨隆々の体躯に、短く刈った灰髪。いかにも武闘派といった風貌の男で、普段から俺のことを露骨に快く思っていない教師の一人だ。
「演習場所は第一外縁ダンジョン第三階層。班ごとに魔物を討伐し、魔法の制御、連携、状況判断を競ってもらう。なお、特別評価対象として、単独で三級デビル・ビーストを討伐した者には追加加点を与える」
わざわざ三級を強調したあたり、狙いは見え見えだった。
昨日、一級を倒した記録を出した俺を、みんなの前で潰したいのだろう。
案の定、ガルドの目がこちらへ向く。
「ウィリス・アストレア」
「……はい」
「貴様は補欠要員として最後尾に回れ。荷運び、結界道具の管理、記録係。それ以外の行動は禁ずる」
周囲から失笑が漏れた。
結局こうなる。結果を出しても、連中は俺を戦力として扱わない。扱えない。自分たちの価値観に合わないものを認めるくらいなら、最初からなかったことにしたほうが楽だからだ。
「了解しました」
俺があっさり頷くと、逆にガルドのほうが僅かに眉を動かした。
噛みついてくるのを期待していたのかもしれない。だが今はその必要はない。
むしろ都合がいい。
最後尾なら、全体を見やすい。
「ふん。では班を編成する。ケレン・アレス班、アイリス・フィッツ班――」
名前が呼ばれていく中、俺は黙って自分の立ち位置を確認していた。
結局、俺はどの班にも所属しない単独補欠扱い。予想通りだ。問題は、その演習が本当にただの授業で終わるかどうかだった。
不意に、横から小さく制服の袖を引かれる感触があった。
「……ん」
振り向くと、いつの間に近くまで来ていたのか、アイリスが少しだけ拗ねた顔でこちらを見上げていた。
「“ん”じゃない。さっきから全然こっち見ないし」
「班分けの最中だぞ」
「だから何よ。ちょっとくらい見ても減らないでしょ」
小声で言い返しながら、彼女は周囲に聞こえないようそっと俺へ何かを押しつけてくる。掌サイズの小さな護符だった。魔力糸で編まれた簡易防護札。上等な品じゃないが、丁寧に作られている。
「これ、持ってて」
「……なんだこれ」
「見れば分かるでしょ。簡易防護。昨日のことがあったし、その……補欠でも危ないときは危ないんだから」
「俺に使わせるのか。もったいないだろ」
「うるさい。幼馴染特権」
またそれか。
しかも、そう言った本人のほうが妙に落ち着かなそうに視線を泳がせている。どうせ昨夜のうちに作ったのだろう。縁の細かな編み込みに、見覚えのある癖が出ていた。
「ありがとう、でいいの?」
「……善処する」
「そこは素直に受け取りなさいよ」
頬を膨らませる彼女が、少しだけいつも通りで。
その様子を遠巻きに見ていた女子生徒たちが、ひそひそと何かを囁き合っているのが見えた。
「フィッツ様、またウィリスに何か渡してない?」
「え、何あれ。手作りっぽくない?」
「朝から距離近すぎでしょ……」
聞こえないふりをしていると、今度は別方向からあからさまな舌打ちが飛んでくる。
ケレンだ。こちらを睨む目は、昨日よりも露骨に苛立っていた。
昨日、ケレンの目は明らかに据わっていた。
あいつは俺を許さない。自分より下にいるはずの人間が、一瞬でも注目を奪ったことを。まして、その視線の一部がアイリス経由でこちらへ向いたとあれば、なおさらだ。
ダンジョンへ降りる移送陣が起動し、生徒たちの足元に光が満ちる。
視界が一瞬だけ白に塗り潰され、次の瞬間には、湿った空気と石の匂いが肺へ流れ込んできた。
第三階層。
昨日までの第五階層とは比べものにならないほど浅いが、それでも一般生徒にとっては十分危険域だ。薄暗い通路のあちこちに、魔物の気配が蠢いている。
「各班、行動開始!」
号令と共に、生徒たちが散っていく。
火球、水刃、風の加速。あちこちで魔法の光が弾け、歓声と悲鳴が交錯した。
その中で、俺は指示通り最後尾を歩く。
荷物持ちのように結界杭の入った箱を担ぎ、記録結晶を持って、誰よりも戦場の外側にいるふりをする。
だが視線は、別の場所を捉えていた。
ケレンだ。
奴は班員を引き連れ、他の班よりも意図的に奥へ進んでいた。第三階層の安全圏を外れ、第四階層に近い分岐へ向かっている。
無茶をして結果を誇示したいのか――いや、違う。
通路の陰に入った瞬間、ケレンがちらりとこちらを振り返った。
その口元に浮かんだ笑みを見て、俺は確信する。
仕掛ける気だ。
数分後、不自然な轟音がダンジョンを揺らした。
次いで、悲鳴。
「きゃあああああっ!?」
「おい、待て! そっちは第四階層の――!」
先行していた班の一つが、何かに追われるようにこちらへ雪崩れ込んでくる。
その後方、暗闇の中で赤い眼が幾つも点った。
デビル・ビーストの群れ。
しかも数が多い。十や二十じゃない。通路の奥から次々と湧き出してくる。誰かが巣穴でも刺激したのかと思うほどの異常発生だ。
「な、なんでこんな数が……!」
「結界杭を打て! 足止めしろ!」
教師たちが怒鳴るが、遅い。
狭い通路で隊列が崩れ、生徒たちは半ば恐慌状態に陥っていた。詠唱は乱れ、放たれた魔法は壁や味方の近くへ逸れる。統率はもう死んでいる。
その混乱の中で、俺は見た。
通路脇に転がる、砕かれた誘魔石を。
魔物を引き寄せるための道具。演習で使うものじゃない。
つまり誰かが意図的に、群れをここへ誘導した。
考えるまでもない。
「……やってくれたな、ケレン」
胸の奥で、冷たいものが沈む。
自分の手を汚さずに俺を潰すつもりだったのだろう。騒ぎの中で補欠の無能が死ぬ。それだけの話として処理するつもりだった。
だが、その代償として巻き込まれる人数を、あいつはまるで考えていない。
目の前で、一年の女子生徒が足をもつれさせて転んだ。
そこへデビル・ビーストが飛びかかる。
間に合わない。
そう判断した瞬間、俺の身体はもう動いていた。
箱を捨て、腰の剣を抜く。
踏み込みと同時に、靴裏から黒い紋が床へ走った。
「――《縫影》」
俺の足元から伸びた影が、一頭目の四肢を縫い止める。
もつれた巨体が転倒したところへ、剣を振り下ろした。首が飛ぶ。返す刃で二頭目の喉を裂き、三頭目の目を貫く。
「ウィリス……?」
転んだ女子生徒が、呆然と俺を見上げる。
説明している暇はない。
「立て。走れ」
短く言い捨て、俺は前へ出る。
周囲の視線が一気に変わったのが分かった。だが、もう隠している場合じゃない。
アビスとランカを呼ぶほどではない。
この程度なら、俺一人で十分だ。
「ウィリスっ!!」
鋭い声が通路の奥から飛んでくる。
アイリスだった。彼女は班員を庇いながら後退していたが、こちらが前へ出た瞬間、明らかに顔色を変えていた。
「前に出すぎ! 馬鹿っ!」
「そっちこそ、巻き込まれるな!」
「誰のせいで心配してると思ってるのよ!」
こんな状況で、何を言ってるんだ俺たちは。
だが、そのやりとり一つで、周囲の数人がぽかんとした顔になったのが分かった。
「今の会話、なんか距離近くないか……?」
「こんな修羅場であのテンポってどうなってんだ……」
知るか。こっちも知らない。
「調子に乗るなああっ!」
魔物の群れの向こうから、ケレンの怒声が飛んだ。
見れば、奴は安全圏の後ろから高位火炎魔法を撃ち込もうとしている。群れごと俺を焼くつもりか。
愚かだ。
俺は左手を開き、通路全体へ呪いを這わせた。
「《反呪》」
ケレンが放った炎槍が、空中で不自然にねじ曲がる。
進路を変えた灼熱の一撃は、俺ではなく、群れの後方にいた大型個体へ突き刺さった。
直後、唸るような咆哮。
デビル・ビーストの上位種、デス・ハウンドが姿を現す。全身を黒煙のような魔力で覆った、第四階層級の危険種だ。
周囲が凍りつく。
ケレンの顔から血の気が引いた。
「な、なんで……」
「自分で起こした火種くらい、自分で始末してみろよ」
俺は吐き捨てるように言い、迫るデス・ハウンドへ踏み込んだ。
速い。
だが見える。
牙が届く寸前で身を捻り、すれ違いざまに黒い文字を刀身へ刻む。
「《呪断》」
一閃。
首筋に走った黒線が遅れて裂け、デス・ハウンドの巨体が二つに分かれる。
血飛沫すら上がる暇もなく、両断された死体が床へ崩れ落ちた。
沈黙。
さっきまで悲鳴に満ちていた通路が、嘘みたいに静まり返っていた。
残っていたデビル・ビーストたちは、主を失った獣のように一歩退く。なら、終わらせるだけだ。
「邪魔だ」
剣を横薙ぎに払う。
刀身から迸った黒い呪線が、通路一帯をまとめて薙ぎ払い、残る魔物を壁ごと断ち切った。
数秒後、立っているのは俺たちだけだった。
生徒たちの目が、信じられないものを見るように俺へ集まる。
教師たちでさえ、言葉を失っている。
その中で、ケレンだけが震えていた。怒りではない。恐怖だ。
自分が見下していた相手が、自分の理解の外にいるとようやく思い知った顔だった。
俺は血を払って剣を納めると、ゆっくりと奴のほうを見た。
「次は、巻き込む相手を考えろ」
それだけで十分だった。
ケレンは何か言い返そうとして、結局一言も出せずに唇を噛み締める。
ざまぁみろ、と思った。
まだ生ぬるいが、それでも少しは胸がすく。
遠くで、アイリスが小さく息を呑む音がした。
驚きと、戸惑いと、それでも目を逸らせない熱を宿した視線。周囲の女子生徒たちも同じだった。さっきまで荷物持ちを見る目だったものが、今はまるで別人でも見るように揺れている。
その中でも、アイリスの視線だけは少し違った。
ただ強さに見惚れているんじゃない。心臓に悪いものでも見たみたいに、怒りと安堵がごちゃ混ぜになっている。
ずかずかと足音を立てて、彼女が俺の前までやって来た。
「……無事?」
「見ての通りだ」
「そういうこと聞いてるんじゃない!」
いきなり胸ぐらでも掴まれるかと思ったが、アイリスの手は途中で止まった。
代わりに、俺の腕をぎゅっと掴む。
「心配したでしょ……。急にあんな前に出て」
「放っておいたら死人が出てた」
「それは分かってる! 分かってるけど……!」
言い返しながら、彼女は一度だけ俯いた。
金の髪の隙間から見えた耳が、少し赤い。
「……ちゃんと、戻ってきてよ」
聞こえるかどうかくらいの小さな声だった。
なのに妙に胸に残る。
「お前、昨日も似たようなこと言ってただろ」
「う、うるさい! 何回でも言うの! ウィリスがすぐ無茶するから悪いんでしょ!」
顔を上げた彼女は真っ赤だった。
その様子を見て、周囲の女子生徒たちがまた別のざわめきを上げる。
「フィッツ様、あれ完全に……」
「いやでもあの距離感、幼馴染だけじゃ説明つかないって……」
「ウィリス、さっきまで無能扱いだったのに一気に立場変わってない……?」
面倒な流れになってきた。
そう思ったのに、なぜかアイリスの手は離れない。
「……アイリス」
「な、なによ」
「腕、掴んだままだけど」
「――っ!?」
言った瞬間、彼女は弾かれたみたいに手を離した。
「こ、これは違うから! 別にそういうんじゃなくて! ただ、確認っていうか、その、怪我してないかを――」
「確認ならもう終わっただろ」
「今それ言う!? ほんとそういうところなんだから!」
怒っているのか照れているのか分からない顔で睨まれる。
だが、その視線の奥にあるものまで、さすがの俺でももう見間違えなかった。
構わない。
ようやく、舞台に上がっただけだ。
魔法しか信じていないこの世界で。
呪いを振るう俺が、正面から連中の常識を踏み潰す。
その感触は、思っていた以上に悪くなかった。
――ただ一つ、想定外があるとすれば。
見下してきた連中の顔が歪むのを楽しみにしていたはずなのに、
それと同じくらい、目の前で真っ赤になっている幼馴染の反応が妙に気になってしまったことだった。
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