12. 不思議な二人
「で、行くのか」
「ああ。ほとぼりが冷めるまでは、身を隠したほうが良いからな」
キールがアリアと心を通わせてから、ひと月ほどが経った。
キールはあれから、アリアとたくさん話をした。
今更気づいたのだが、今回ここまでこじれたのは、完全に対話不足が原因だったと自覚したからだ。
産まれたときから一緒にいたのならともかく、キールとアリアはそれなりに成長してから知り合った。それが、両親を失うといった経緯から突然、誰よりも近しい存在になった。
他に親しい人もいなかったから、二人はある種独特な、二人の世界で生きていた。
だから勝手にお互いのことを思い込んでいたのだ。
「それにしても、英雄をやめる、とは、思いきったな…」
「元々英雄なんて目指してたわけじゃない。結果としてついてきた肩書で、俺自身は何の未練もない」
「相変わらず腹の立つやつだなぁ」
あの日やけ酒をした酒場で、隣に座るフィニスは辟易とした顔をしながらジョッキを呷った。
「俺は英雄をやめたい」
アリアと恋人関係になってから数日後。
キールはアリアにそう告げた。
元々、キールは英雄向きの人間ではない。
たまたま英雄と呼ばれるようになっただけであって、兵士になった動機も世のため人のためのような崇高なものではなく、貧困から抜け出すことのみだった。今後も国民の英雄を演じていくのは、本来のキールにとっては無理がある。
「別に剣を捨てるとか一切合切やめようって気はなくて、ただこれからは普通の冒険者として身を立てたい。そっちで手柄を残せば、年とった後もギルドの後進育成とか経営側に回れて食いっぱぐれないと思うし」
「私はキールが良いなら構わないけど…でも、王様が許してくれるのかな」
「許してくれないだろうなぁ。でも、俺はどちらにしろこのままここにはいない方が良いんだ」
「それはどうして?」
「この国が戦争をおっぱじめようとしてるから」
「えっ?!せ、戦争…!?」
この国に限らず周辺国は、ここ2,30年は大きな戦いはなく静かだ。魔物が活発な土地のため、人間同士でいがみ合う余裕がないためとも言える。
キールもアリアも生まれてこの方、国同士の戦争など経験がない。アリアは聞き慣れない恐ろしい言葉にひどく動揺しているようだった。
「大人しくしてれば良いのに、今の国王は野心が強い。そこに俺や俺の仲間みたいな目立つ戦力が手に入ったものだから、いけると思ってしまったみたいだ」
「そんな!戦争に、キールを駆り出そうとしてるってこと?!」
「そういうこと。俺の仕事は害獣駆除や魔物討伐であって、人間相手の戦いは御免被りたい。そういう意味でも俺はもう、英雄は降りたいんだ」
「そうだったのね…。うん、それなら、そうしよう。私だって働けるし、キールはこれから好きな仕事をすればいいよ。私としてはむしろ、英雄って危険な仕事だったし、やめてもらえてちょっとホッとしてる」
「…そっか。うん…」
すぐに納得したアリアを見て、キールは思わずそっと息を吐いた。どうやら思っていたよりも緊張していたらしい。
「キール?どうしたの?」
「いや、アリアだしそんなわけ無いって思ってたけど、もし英雄としての俺に魅力を感じてたらどうしようって、ちょっと不安だったんだ」
「えっ?!」
「英雄を降りるなんて言ったら、十中八九王様はご立腹だ。爵位も王都の屋敷も没収される可能性が高い。俺はこれまで散々、その辺の財産を得たからってアリアを誘ってきたわけだし、今更全部なくしますってなったらアリアがどう思うか、ちょっと不安だった」
「キール…あのね、分かってると思うけど、私はキールが好きなんだよ?爵位もお屋敷もいらない。正直なところ、キールがどんな名字を賜ったかも覚えてない」
「それはそれで…俺に興味なさ過ぎない…?」
「あ、いや、興味がなかったわけじゃないけど!実際にキールを爵位で呼ぶことなんてなかったし、キールはキールだし。むしろキールがどんどん遠い存在になっちゃうみたいで、少し不安だったくらいで」
「アリア…」
「もちろん、キールが頑張ってるのは誇らしかったよ?でもほら、会える時間も少なかったし、寂しかったのも、ちょっとあって…」
「アリア…!」
ほっとしたところにアリアの可愛らしい不安を聞いて、キールは我慢できずに彼女を抱きしめた。アリアは両親を亡くしてからあまり弱音を吐かなくなったので、こうして不安な気持ちを言ってもらえると、不謹慎だが何だか…非常にそそるものがある。
キールは世界で一番愛しい存在を腕の中にすっぽり囲うと、彼女の頬や首筋に口付けをする。アリアは昔から花のようないい香りがしていたが、こうして恋人になりもっと近付けるようになると、花よりももっと濃く、甘い香りがすることに気付いた。
この香りが非常に危険で、まるでキール専用のフェロモンか何かなのかと錯覚するほどキールを興奮させる。そのおかげで理性をふっとばしたのは、まだたった数日のうちなのに片手の指の数を超えている。
アリアに聞いたところ本人に自覚はなく、香水も何もつけていないそうなので、やはりアリアはキールにとって運命的な存在なのだろうと、わりと本気で思っている。キールは普段神を信仰していないが、こんな時だけ調子よく、アリアに出会わせてくれた神に感謝だ。あの時盗みに失敗して半殺しにされ、川に落ちたことにさえ、感謝したい。
「ちょっと、キール…!まだ話、終わってないからっ」
「……う」
そうだった。今は二人の今後という大事な話をしている時であって、いちゃつくのは話し合いが終わるまで我慢しなければ。
そう思ってため息を吐くと、反射的に吸い込んだアリアの香りが全身を駆け抜ける。
(いや…ここはアリアの家で、二人きり。今はまだ夕食後で、寝る時間までまだある。俺はしばらく仕事は休みだから明日以降もアリアの仕事を手伝えるし、家事もできる)
「…キール?」
声をかけても離れていかないキールを不審に思ったアリアが、キールの瞳を覗き込む。その瞳にまた、白い波が揺れていることに気付き、アリアは目を見開いた。
「キ、キールっ!今日は駄目だよ、落ち着いて話する約束っ!」
「…アリアも悪いと思わない?俺を喜ばせるようなこと言うし、可愛いし、いい匂いするし」
「よ、喜ばせるようなこと言った…?」
「俺に会えなくて寂しかったって」
「えぇっ?!そんなの、当たり前でしょ?!」
「…ほら」
やっぱりアリアも悪い。こうしてキールのツボを的確に押さえてくるのだから、アリアにも責任の一端はあると思うのだ。
「やっぱりアリアのせいだよ。責任取って」
「え、ちょ、待って、えぇっ?!」
キールはここ一ヶ月のアリアとの生活を振り返り、頬を緩めた。いや、緩めるなんて可愛いものじゃない。完全にニヤけてだらしない顔をしていた。
そんなキールの顔を見て、フィニスは特盛の脂身肉を食べたような顔をする。
「惚気ならよそでやってくれ。俺は聞かない」
「まだ何も言ってないだろ」
「俺、一応アリアさんにフラれてるんだぞ?気を遣え、気を」
「そうだな、すまなかった」
「…か〜〜〜、腹立つな!」
フィニスはそう言いながらも席を立つ様子はなく、むしろ追加の酒やおつまみを注文している。
「そこまで日々いちゃついてるなら、今日くらい遅くなっても文句ないな?俺の気が済むまで付き合え。それと俺の良いところを10個言え」
「は?俺お前のことそんなに知らないんだけど」
「奇遇だな、俺もだ。そして俺はそんな男の惚気を聞くために貴重な休み前の夜を費やしているわけではない!俺を励ませ!」
「なんで俺が…」
お互いにうんざりしながらもなぜか席を立つことなく、男二人は遅くまで共に酒を飲んだ。
前回もそうだったが、微妙な関係であるはずなのに、なぜかキールもフィニスも、お互いを嫌いになれないでいた。こうして酒を飲めば憎まれ口を叩きながらも何時間も過ごしているし、時々は笑いだって漏れる。
そもそもキールは英雄をやめると言い、案の定国王の怒りを買ったあと、仲間以外には誰にも告げずに国を出ようとしていた。なのに町で偶然出くわしたフィニスを飲みに誘い、正直に話しているのだから、よくわからない。
「…嫌いになれない」
「は?」
「だから、お前の良いところだよ。なんでか分からんが嫌いになれない。これで10個だろ」
「お、おう…」
結局律儀にフィニスの良いところを言わされていたキールは、真面目そうだとか器用そうだとか定番どころをいくつか挙げたあと、最後にそう言った。言われたフィニスの方がぽかんとしている。
「…なんだよ、不服か?」
「いや…なんかアンタって、結構素直だよなぁ。律儀というか」
「は?」
キールが眉を寄せてフィニスを睨むと、フィニスはくっくと喉を震わせて笑う。
「俺もなんか、嫌いになれないよ。アンタのこと」
「…はっ?!」
「だってアンタ、俺のこと嫌いじゃないんだろ?」
「いや、そういうわけじゃ」
「そう言っただろ。おめでとう、両思いだ」
「なっ…!ちが、ふざけんな!」
「はっは!」
フィニスは大声で笑うと、ぐいっと酒を飲み干して言った。
「まぁ、アンタが幸せになってくれてよかったよ」
フィニス…いいやつ…
彼のスピンオフを書きたい…




