1.プロローグ
「えー、足寒くなる白樺派」
日も傾きかけた平日の午後、寂れた通りを歩く学徒が一人。広げたノートに視線を落としていて非常に不注意だ。
そんな彼が道路脇のカーブミラーに映った次の瞬間、その場から消失した。
◆ ◆ ◆
「死とたまし……へ?」
いつものように下校していたはずの俺は、気付けば見知らぬ場所にいた。
俺が立っているのは扉から入ってすぐのところのようで、前方の教壇みたいな机へと赤いカーペットが伸びている。奥にある神像や二列に並べられた長椅子はまるで結婚式場のようだが壁のそこかしこに鏡が備え付けられていて不気味だ。
ノートを仕舞い、両手で頰を引っ張ってみる。むぎゅー。鏡に映った自分がヘンテコな顔をしている。あと指に力を込めすぎたせいか少し痛い。どうやらこれは夢ではな──。
「ようこそいらっしゃいました」
「うわっ!?」
突然背後から声をかけられ思わず悲鳴を上げる。
「ああ、すみません、驚かせてしまいましたね」
振り向いた先に居たのは背の高い女性だった。腰まである金髪を後ろに流し、ゆったりとした白い服を着ている。
「あ、い、いえ、こちらこそ急に叫んじゃってすいません。……ところでここがどこなのか分かりますか?」
反射的に謝り返す。そして相手の冷静な様子から何か事情を知ってはいないかと思い尋ねてみる。
「はい。ここは境界。地球と異世界の中間に位置する狭く小さな世界です。本日から一年間、異世界に行っていただくためにお呼びしました」
「はい?」
それから異世界の管理者を名乗る彼女は事のあらましを語ってくれた。
まず話してくれたのは彼女の管理する異世界には《レベル》や《スキル》といったゲーム的な特殊要素があること。
今回、新たに《四字熟語スキル》を創造するようになったが管理者やその世界の住民が直接《スキル》を生み出すのは規則で禁止されていて、だから地球から手頃な人間を呼び出して代わりに作ってもらおうと考えたこと。
規則の兼ね合いで異世界からは一年経つまで戻れないが時間の流れが異なるため異世界の一年は地球では一瞬なこと。
そして作った《四字熟語スキル》の質と量、そして《レベル》等も合わせた総合的な『強さ』に応じて俺の【魔力】を増やしてくれること。まあ魔力と言っても異世界の《魔力》と違って〈魔術〉を放ったりは出来ないそうだが。精々風邪にかかりにくくなる程度らしい。一年間拘束される報酬としては微妙だ。
「──といった役割を頼みたいのですが受けてくださりますか?」
異世界には魔物がいるし日本より治安も悪いので行くかどうかは自由らしい。拒否すれば記憶を消して地球に帰してもらえる。
けれどもし俺が異世界で死んだとしても脳を含む身体をこの世界に来る前の状態まで巻き戻し、傷も記憶も消してから地球に帰すのでデメリットは実質ゼロとのことだ。いや、記憶を消すとしても死ぬ経験はしたくないが転移後一年以内の死亡率は低いそうなのであまり気にしなくていいようである。
なお、身体の巻き戻しは一年間生き残った場合にも施すそうなので受験勉強で苦労する心配はない。
本当に蘇らせてくれる保証はないがそれを言い出したらこのまま帰してくれるという根拠もない。考えるだけ無駄なので全て真実であると仮定しよう。
ここまでの話で異世界に行くデメリットは無いとわかった。が、わざわざ協力するメリットも薄い。かなり迷うところなのだけれど俺の答えはもう決まっている。
「ええ、折角声をかけていただきましたし、受けさせてもらいます」
デメリットも無いし、真摯に頼み込む目の前の女性を拒否するのは心苦しい。何より受験勉強に明け暮れていた俺には目の前に現れた非日常はとても魅力的に見えた。
「本当ですかっ、ありがとうございます! では早速転移の手続きに入らせてもらいますね。まずは名前を聞かせてください」
「桜口兄太です」
「性別、年齢、生まれた日付、現在の職業を教えてください」
「見ての通り性別は男で十七才の十月十日生まれ、今は受験生をやってます」
答えてから、受験生ではなく高校生と言うべきだったと気付いたが、まあ、大きな違いでもないしわざわざ訂正する必要はないだろう。
「ありがとうございました。では最後に《四字熟語スキル》を一つだけ無料でお渡しします。どんな能力になるかは作ってみるまで分かりませんが四字熟語の意味を元に決定されるので参考にしてみてください」
この境界では一つまでしか《スキル》を作れないと言っていたがその一つはYP無しでプレゼントしてくれるらしい。太っ腹だ。
ちなみにYPとは《四字熟語ポイント》のことである。《四字熟語スキル》を作るのに使用する。作る《四字熟語スキル》が強力なほどに消費するYPは多くなるため、ここではできるだけ強い《四字熟語スキル》を貰うべきだ。
YPを得る手段は二つ。時間経過と生物の殺害だ。そしてこれから行く世界には人間を脅かす魔物がいる。ここで強力な《四字熟語スキル》を貰い魔物をたくさん倒せばYPを得られて新たな《四字熟語スキル》作り、さらに魔物を倒せるようになる。このサイクルを回すためにもとびっきり強そうな四字熟語を考えよう。
一騎当千なんてどうだろうか。天変地異も強そうだ。安全面を考慮すると難攻不落のような防御系もいいかもしれない。いや、魔物を倒すなくてはならないのだから攻撃系にするべきか。
簡単に魔物を倒せそうという意味では鎧袖一触も捨てがたい。あるいは勝てない敵に出くわした場合を考えて疾風迅雷のように速そうなものにする手もある
などと優柔不断に唸っていると、一つ、妙案が浮かんできた。
……うん、これなら大体の問題をクリアできそうだ。
「全知全能でお願いします」
全知全能。なんでも知っててなんでも出来る。神の代名詞。
これなら戦闘でも情報戦でも最強クラスだろう。異世界には魔物を倒し金銭を得る冒険者という職業があるので戦闘力があれば食うには困らないと管理者は言っていたが、全知全能ならご飯くらい自分で用意できそうだ。最適解に近い答えを出せたんじゃないだろうか。
「全知全能ですか……すみません、この《スキル》は効果の一部が制限されてしまいますがそれでも構いませんか? 強力すぎる《スキル》を与えるのも禁止されているので許容範囲ギリギリまで性能を抑えなければいけません。本来の力を引き出すには転移後に追加でYPを支払う必要があるのですが」
『許容範囲ギリギリまで』ということは全知全能(制限中)より強い《スキル》はここでは取れないんだろう。この場で取得できる最上位の《スキル》が手に入るのだから文句はない。
「はい、それで大丈夫です」
「ではこれで手続きは全て完了です。何か他に聞いておきたいことはありませんか?」
「特にないですね」
「では今から転移させます。心の準備はよろしいですか?」
「はい、いつでもどうぞ」
「それではよい一年を」
その言葉を最後に、俺の視界は白い光に塗りつぶされた。




