予習と復習、そして現地
「お待ちしておりました。」
庁舎に入るなり、見た顔の所員から声をかけられる。気恥ずかしい思いをしないでもない。
「その、導師様でお間違えないですよ、ね?」
そう問われ、少しだけ自分の頬に熱が入るのを感じる。
初対面ではないのだけれど。
違いがあるとするならば、「認識阻害」を完全に解いている、点に違いない。
私は声に出さず、少しだけ首を縦に振る。
「す、すぐにご案内致します。少々お待ちください。」
何か紙のようなものを見て、それから私の顔を見つめて、所員は席を立ち奥の通路へと走っていった。
思い当たる節があった。あれはきっと、私の人相書きだ。
あのポンコツが、あちこちに蒔いた一枚だったのだろう。
駄目だ。気恥ずかしさに耐えられなくなってきた。
私は慌てて、いつもと同じくらいの認識阻害をかける。
奥から戻ってきた職員は、辺りを軽く見回し、一瞬、戸惑ったかのような評定した後、何かに気づいたかのように、『いつも通りの顔で私の方を向いた』。
「導師様、お待たせ致しました。奥の応接室へ。」
何度目かになるその案内に従って、足を進める。どうやら所員も落ち着きを取り戻した様だ。
「その、いつも通りですと、こちらも助かります。私共はこちらの方が慣れておりますので。」
申し訳無さそうに、苦笑いを交えつつ、そう言われたのを、私も心から共感した。
別に見目を奪われるような容姿をしているつもりはない。
そんなに驚くこともないと思うのだけれど、私も相手も、慣れている様式があるのだから、それを乱す必要もない。
気分や思いから出た行動が、様式に差し支えるのなら、引っ込めるのもやぶさかではない。
案内された応接室へ入るなり、私はいつも以上に入念な認識阻害を意識する。
「おや、いつも通りでいらっしゃいますね。聞いた話では」
「様式通りの方が円滑とのことですので。」
被せるように言葉を言葉で遮る。受付の所員は礼の後、自分の持ち場へと戻っていった。
この場には、私とポンコツの二人である。
「慣れるように指示をしておきますよ。」
「結構ですので、あの紙の処分を指示していただけますか?」
どんなふうに描かれているかわからないが、あんな人相書きは迷惑極まりない。
「残念です。御意思を尊重致しますよ。事が済みましたら、そう指示します。」
憎たらしい表情を浮かべ、そう言うと、ポンコツは書類書きの手を止め、立ち上がる。
「細かい事は向こうで。まずはご案内致します。」
何を求められているのか解らぬまま、ポンコツの背を追う。
いくつかの廊下をまたぎ、庁舎の中庭に出る。
庁舎の慌ただしさをそのままに、陽の光が降り注ぐ。
「こちらで引き受けている患者は、御提案通り、陽の下に当てております。」
うん。そうだ。多分これでいい。
ざっと見た感じでは十数人が、中庭の土床の上に仰向けに横たわっている。
「うっ血や床ずれ、日焼けは意識して、時間を見て横向きにしてあげてもいいでしょう。ただ皮膚の薄い部分、目蓋や、腕の関節や喉首、耳の裏、膝の裏などを陽の影にならないようにしてあげてはいかがでしょうか。」
時差ボケの解消に、紫外線をそういった場所に当てる治療があるという話を、昨晩思い出していた。
それに寝る前にスマホを見ていると眠れなくなるという話も、その信憑性を高めていた。
「なるほど。」
ポンコツは掌ほどの紙を取り出し何かを筆のように走らせる。
もしかして万年筆のようなものだろうか。木筆より扱いやすそうである。
何枚かを書き走ると、それを患者周りの職員の一人に渡す。
「効果はどれほどで出るかと思われますか?」
「分かりません。患者の衰弱という制限時間もあります。無責任な言い方になりますが、二日以内に変化が見られなければ、効果はないかもしれません。」
「夜間の対応はどうします?こちらで火を炊きますか?」
「取り急ぎ、取れる対応としたら、それがいいでしょう。時間が許すなら、素人ながらに灯籠と反射光を使った光源室なども考えましたが、昏睡で今、衰弱を前にした患者には、現実的では。」
全面を白く塗った壁の部屋に、至る所に光源を置けば、日中の陽の光ほどでなくても明るさは稼げる。
どれだけ日光に近い強さを確保できるかはわからないけれど、健常者が「心身落ち着かない」部屋を作ることはできるだろう。
ただ室温、湿気、酸素の濃度などの加減はわからない。
「燃料の問題がありますね。ただそうも言ってられんか。その、光源室、ですか。そちらの話は後ほど聞かせてください。」
間近な患者の近くに寄り、その様態を確かめる。
耳を近づけると自発呼吸自体はしているのは解る。
うろ覚えながら自分の脈をとってみる。そして比較するように、患者の手を取る。
患者の腕首を通して人差し指の腹に、心臓が動いていることを知らせる振動が、弱々しく伝わってくる。
ただ昏睡、ただ目覚めない。
気持ちだけが生きることを諦めたかのような、そんな状態。
「やはり、医学の心得もお持ちでしたか。」
「単なる、家庭の医学ですよ。」
そう、専門的な知識などまったく、ない。科学的根拠もない素人。
もう少し真面目に救急救命の講習を受けておくべきだったと今更ながらに思う。
人工呼吸で相手の肋骨を折るほどの覚悟も自信もない。
「お願いが一つあります。」
「なんでしょう?」
「追加で、運んできてほしい患者が居ます。」
家族のために泣く子に、差し伸べられる手と立場が、今あるのなら。
注釈:
昏睡衰弱者への紫外線照射療法は賛否両論ある。
症状・症元・経過を見て、どの療法が正解とは言い難い。
勿論、ウメコも素人であり、筆者であるワシも素人である。
時差ボケ・寝過ぎ治療に「効果があるかも」と言った具合であり、個人差も大きい。
当世界で該当のような症状が「起こったとしても」
医師に相談の上、適切な病理検証の元で治療を試みること。
これを経ていないものを「家庭内の医学」あるいは「民間療法」と呼ぶ。




