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01.三年後

夏を告げるある日、緑が多く広がる郊外の駅に、大きな旅行用鞄を引っさげて一人の紳士が降り立った。田舎町とまではいかないが、和やかな雰囲気に包まれたこの郊外にはやや不釣り合いの男性だ。

柔らかな赤毛を一つに結び、上質な紺の服を着こなして、すっかり旅支度を整えている彼は、名をエドマンドという。今では有名になった王宮魔法使いであるチャールズ・トールキンの古い友人だ。

そんな彼の友人がこの街で挙げた結婚式から三年。今、彼らはどうしているだろうか。

音信不通の友人を想って、彼がふらりと会いに来た。


彼は生温い風を真正面から受けながら、静かな駅の入り口で馬車と車を待っている。いつ駅にやってくるかもわからないそんなものを待っているよりも、歩いて目的地まで向かった方が早いということを知らずに約二時間ほど無駄な時間を過ごした。


挙式を挙げてから一年ほどはあの都市部の住宅街に居た二人。しかし、汚れた空気に汚染された都市部の街が昔から好きではなかったチャールズの意志で、都市部から離れた思い出深いこの郊外へと引っ越した。広い庭を持つ家々が並ぶ中に、深い緑色をした屋根を持つ家がある。その家の居間で、机に向かってせかせかと手を動かしているのが、噂のチャールズである。ややよれた襟付きの白い肌着の上から黒いチョッキを着崩して羽織っている。相変わらずの長さの髪をそのままに、使い込んだ万年筆を動かす。

古い友人にもめったに出さない手紙を書き上げたチャールズは、万年筆を置いて丁寧に手紙を折ると横長い便箋の裏に印を押して封をした。


「チャールズ、何を書いているの?」


その頃合いを見計らったように、戸口にジェシカが現れて言った。


「ん?いや、ポールにな」


その言葉に、長い金色の髪を揺らして彼女は嬉しそうに笑った。やや身体つきがふくよかになった彼女、今にもはちきれそうな大きなお腹を抱えてチャールズの側へと歩み寄った。

彼女が椅子に腰掛けているチャールズを覗き込むとその手紙は、彼の手の内で粘土のように形を変えて真っ白い鳩になると開け放たれた大きな窓から力強く空へと飛び立った。


「来年の夏には家族揃って会いに行くと書いた」


海の向こうにあるとある国に渡って時が経つポールに、心優しい彼は時折ジェシカの様子を伝えた。ポールは、娘の挙式が終わった後で第一王宮魔法使いの職を辞し、今は遠く離れた小さな国でジェシカの母と暮らす。そんな父を思って、ジェシカが微笑んだ。


「そう。…ねぇ、この子は男の子か女の子かどちらだと思う?」


そう言って立ち上がったチャールズに、穏やかに聞いた。


「さぁな。どちらでもいい…メアリーのように元気に生まれてきてくれれば」


「そう言えばあの子はどこ?」


「庭にいた」


口数少なくそう言って、チャールズがゆったりとした淡い黄色の服を着るジェシカの腰へと腕を回して柔らかに抱きしめた。


空へと飛び立った白い鳩が、小さな女の子の真上を通り過ぎた。道路を挟んだ向かい側の白い塗料が塗られた柵が目印の家を越えて、どこかで見たことがある道路を優雅に横断していく。遥か遠くに去って行った鳩と入れ違いに、大きな旅行用鞄を引っさげて一人の男性が彼らの家へその道路をゆっくりと歩いて来た。じっと鳩を見送っていた藍色の髪と金色の瞳を持つ幼い少女は、久しい来客を物珍しそうに眺めた。


「やぁ、メリーちゃん。久しぶりだね。パパとママはいるかな?」


にっこりと笑うエドマンドを見上げて、次の瞬間にはぱっと笑顔を浮かべた。思いっきり飛びついて抱きついてきたメアリーを抱きしめながら、居間に居るであろう友人に会うべく屋敷の中に足を踏み入れた。


「あれまぁ、お邪魔だったかな?」


数分後、居間にて仲むつまじく抱き合っている二人を見つけて、エドマンドは冷やかしを兼ねてそう声をかけた。


「…パパぁ。えじょがきたあ!」


片腕で抱き上げたチャールズの娘が、誰かが幼い頃に呼んでいた懐かしい呼び名を使って、大層ご機嫌な様子で声をあげた。


「あら、エド。久しぶりじゃない」


物怖じしないジェシカはにっこりと愛想良く笑い、チャールズは怪訝そうに友人を見やって言った。


「一体どうしたんだ?」


「どうしたもこうしたもないよ!アイツったら酷いんだ、もう我慢がならないよ。気に入った色の生地がないだの、帰りが遅いだのぎゃあぎゃあ喚くんだ。朝も早くにだよ?留めはヴィクトリアが作る食事が不味いのなんの。チャールズも食えたもんじゃないって知ってるだろう」


メアリーを床に下ろして悲鳴に似た不平を叫ぶとヨロヨロと長椅子へと倒れ込むようにして腰を落ち着けた。


「…それは知っているが。メアリー、部屋の中で走り回るんじゃない」


きゃっきゃっとご機嫌で部屋の中を走り回る娘を叱ってから、自身の新婚生活の惚気話をわざわざ言いに来たのかと不思議そうにエドマンドを見やった。そんなチャールズの脚に勢い良く突撃してしがみついたメアリーも、にぃーっと笑って疲れきった父の友人を見上げた。


「…新婚生活の惚気だって?違う違う!」


流石、長い付き合いであるエドマンド。口に出さずとも彼が考えている事をバッサリと否定して言った。


「煩い妻に参って話しを聞いてもらおうと手紙を書いても、君はちっとも返事を書かないし。音信不通なってしまったから、どうしているかって会いに来てみればポールにはまめに手紙を書いているだもの!」


酷いよっ!と喚くエドマンドを横目に鼻を鳴らしたチャールズとは対照に、ジェシカはクスクスと笑みを漏らした。


「おまけに、都市部の君の家をヘンリーに勝手にあげてさ。僕の憩いの場がなくなってしまったんだよ?」


まるで自分の家であったかの言いぐさでうっかり誤解をしそうになるが、もともとチャールズの祖母が彼に残した家である。


「もう、精神的な打撃が大きくて猫嫌いのピーターにおっきなデブ猫を送りつけちゃったよ」


同情を誘うような溜め息をついたが、それ以前に八つ当たりを食らったピーターが気の毒である。


「だから、しばらくここに居候するから!あ、ジェシカちゃんには負担は勿論かけないからね。部屋はチャールズの仕事を勝手に借りるからお気遣いなく。駄目だって言ったて聞かないからねっ!」


口を開こうとしたチャールズを遮り、エドマンドは言い切った。


「それは構わないが…」


「じゃあ、決まりだね。しばらくお邪魔するよ」


「「………」」


何やら言いたそうな表情で二人が顔を見合わせる夫婦に、エドマンドが首を傾げた。


「なに、どうしたの?」


「…いや、別に」


「あら、チャーリー。遠慮なんてしなくていいのに…。言いたい事は言えばいいのよ?」


突然、エドマンドの背後から上品な女性の声が響き、エドマンドはさっと青ざめて飛び上がった。


「ヴィッ、ヴィクトリア!なんでここに…」


いつもは流行りの婦人服に身を包む彼女だが、今回は乗馬をするような身体に沿った珍しい服装をしている。腰に手を当て、青い瞳でしっかりとエドマンドを見つめた。その瞳には、冷ややかな眼差しとやや怒りを含んでいる。


「あら、あなたが行きそうな所なんて直ぐにわかるわ。だから、あなたがここに着くずっと前から旅行も兼ねて来てたの」


驚愕したように息を止めていたエドマンドが、怒りを露わにチャールズに向かって叫んだ。


「チャールズ!君って奴はっ!」


「エドマンド!チャールズは関係ないでしょう!それに、言いたい事があるなら面と向かって言えばいいじゃないの」


まるで小さな子供を叱るように目尻を釣り上げて怒るヴィクトリアに、エドマンドは負けじと声を張り上げて怒った。


「関係ないだって?大ありだよ!面と向かって言えば良いっていうなら、遠慮なく言わせてもらうよ。だいたい、君って奴は…」


いつの間にか始まった夫婦喧嘩。彼等が顔を見合わせる度にお決まりとなった派手な言い合いだ。付き合っていれば日が暮れてしまう。チャールズはジェシカと娘のメアリーにそっと外に行くように促し、自らも静かに後を追おうとした。


「ちょっと、チャーリー!話はまだ終わってないんだからね!」


ガシッと襟元を掴んで引き止めたエドマンドの後ろから、ヴィクトリアがぎゃあぎゃあと何やら叫んでいる。彼等の名物とも言える喧嘩に巻き込まれたチャールズを置いて庭へと出たジェシカが、楽しそうにクスクスと笑みを漏らした。


「…すいません、ジェシカ・トールキンさんですか?」


不意に掛けられた言葉。ジェシカは首を傾げて道路を振り返った。


「そうですけど。…あなたは?」


きちんと身なりを整えた茶色い紳士服に身を包んだ若い青年は、被っていた白い帽子を取りながら頭を下げた。


「市内にある出版社で記者をやっております、ライナスと申します。今回、我が社で王宮魔法使い殿の特集を組むことになりまして。是非とも、魔法使い殿の娘さんにお話をと思いまして」


「それは構いませんけど、今チャールズはちょっと手が離せなくて。それに娘のメアリーはまだまともに会話は出来ませんよ?」


首を傾げるジェシカに記者はぱちくりと目を瞬くと短い栗毛を帽子を持った右手で掻いた。


「…ジェシカ・トールキンさんは魔法使い殿の娘さんでは?」


「えぇ、昔はそうでしたけど…」


「今は俺の妻だ」


口をやや濁すジェシカの後を疲れきった様子のチャールズが不意に現れて引き継いだ。友人夫妻が繰り広げる夫婦喧嘩に心底疲れた様子の彼は、ジェシカの隣に立つと深いため息をついて記者を見やった。


「…あれぇ、聞いた話と違うなぁ」


小さく呟きながらしきりに首を傾げる記者をしばし見やった後、チャールズはジェシカを抱き寄せて言った。


「どんな話を向こうで聞いたかは知らないが、ジェシカは俺の妻で、娘はメアリーだ。それに、俺についての記事など面白くもない内容ばかりだろう。…丁度、人の家で派手な夫婦喧嘩をやっている。そっちの方が読む側にしては面白いんじゃないか?」


丁度チャールズが家を振り返ったその時、何やら物を壊す派手な音と怒鳴り合う声が家の中から響き渡った。


「…そうみたいですね。あ、そうだ。せっかくだからお写真を一つ撮らせてもらっても?」


どこからか小さな撮影機を取り出して構える記者に困惑しながらも、チャールズが了承した。記者の元気が良い掛け声とともに大きな機械音が響く。


「ありがとうございます!」


友人達の喧嘩が治まるまでどこに行こうかと話しながら去って行く二人の間で、娘のメアリーがご機嫌な様子で記者に振り返って手を振った。


「…良い記事が書けそうだ」


メアリーににこやかに手を振り返した記者は、胸元から小さな手帳を取り出して何やら書き殴るとそっと笑顔を浮かべでそう呟いた。帽子を被り直した記者は、小型の撮影機片手に派手な怒鳴り合いが響くチャールズの家の中へと歩き出した。


数週間後、都市部の街に『ヘンシェル公爵、王宮魔法使い殿の邸で大喧嘩!』という見出しの記事が配られ、それを見たエドマンドが再びチャールズの家に怒鳴り込みに行くことになる。エドマンドに握りつぶされたその特集の中に、家族で写真に収まるチャールズの記事も掲載された。


『からりとした青い空が広がるある夏の日に、昔、都市部で噂された王宮魔法使いの娘という人物に会うため、我が国で有名なチャールズ・トールキン殿を訪ねた。少々変わった彼に育てられた少女は、都市部の街でも有名だった。魔法使いに恋をした彼女。一体どんな人物かと実際に会ってみれば、王宮魔法使いの娘の面影は今はなく、一人の女性として。母として彼女は幸せそうに暮らしていた。すぐ側には王宮魔法使い殿によく似たお転婆そうな娘さんを連れて。王宮魔法使い殿や彼女にとって、【王宮魔法使いの娘】という人物はもう遠い昔の思い出になっているのかもしれない…。今後は彼らの愛らしい娘君が、我々に新しい話題をもたらしてくれるに違いない』


表情がチャールズにそっくりな男の子を腕に抱きながら、ジェシカが嬉しそうに笑った。すぐ近くでは絨毯の上で本を読みながら、ごろりと横になったチャールズに構ってくれと娘のメアリーがちょっかいを出している。

ジェシカは、その様子をしばし眺めてから大切そうに記事を記念帳に貼り付けて閉じたのだった。

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