↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
暁の盾 〜分け合う者と、背負う者〜  作者: 旬花祝桃
第五章 空の館

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
90/90

第90話 返す

焼け跡の煙が見えた。

谷の向こうに。

細い煙が、何本も。

ハルトは、足を止めた。

前を、歩いていたユノも。荷車の横のゴードンも。

誰も何も言わなかった。

ただ、煙を見ていた。

(……帰ってきた)

そう、思った。

帰る場所だと、思ったのは、初めてだった。


門の前にトマが立っていた。

出る時と同じところに。

トマは、列を見た。

先頭から、一人ずつ。

荷車を見た。荷車の横を、歩いているゴードンを見た。

それから、ハルトを。

「……行ってきます、って、言ったな」

トマは、言った。

「はい」

「なら」

トマは、黙った。

ハルトは、少し考えた。

それから、言った。

「ただいま」

トマは、鼻を鳴らした。

「おう」

それだけだった。

でも、門の脇にどいた。

旗団が入っていった。

一人ずつ。トマは、全部の顔を見ていた。

村の九人が、来た時。

トマは、言った。

「どこから、来た」

九人の中の一人が答えた。

「陣の外れの村から」

「なら、入れ」


最後に馬が来た。

イゾルデと古い兵、十七人。

副将の旗の色の外套のまま。

門の前が静かになった。

鍋の前の女たちが手を止めた。

トマは、イゾルデを見上げた。

「どこから、来た」

「父の館から」

イゾルデは、言った。

馬の上から。

「入らないわ。……旗団には、入らない。近くにいるだけ」

トマは、しばらくイゾルデを見ていた。

それから、焼け跡の東の外れを指さした。

「あそこの、窪地は、水が出る。冬は、風が、当たらねえ」

イゾルデは、指の先を見た。

「なら、横にいろ」

トマは、言った。

イゾルデは、何か、言いかけた。

それから、馬の首をそちらへ向けた。

「……ありがとう」

小さな声だった。

トマは、聞こえない、ふりをした。


ウルリクは、倉の前にいた。

杖をついて。

ハルトが前に立つと、ウルリクは顔を上げた。

「預けたもの、返してもらいに来ました」

ハルトは、言った。

ウルリクは、頷いた。

それから、倉のほうを振り返った。

ネリが炉の前にいた。アガタが天幕の陰にいた。オットが樽に座っていた。ベックが、若い男たちに、槍の持ち方を見せていた。

焼け跡に、残った、全員がそこにいた。

「一人も減ってねえ」

ウルリクは、言った。

「延べ棒も二百と二。数えた。……ノエラの嬢ちゃんほど、正確じゃ、ねえがな」

ウルリクは、杖で地面を一度突いた。

「返したぞ」

「受け取りました」

ハルトは、言った。

ウルリクは、ハルトの肩越しに旗団の列を見た。

「おまえもだ」

「え」

「行った、全員、返ってきた。……そうだろう」

ハルトは、振り返った。

荷車の上で、腿に、布を巻いた男が手を上げていた。

ハルトは、頷いた。

「全員、です」

ウルリクは、笑った。

歯の欠けた、口で。


ネリの炉の前にゴードンが立った。

鉄床の上に盾があった。

縁は、もう巻かれていた。

表には、古い盾の破片。木と、鉄の帯の黒い名残り。

「裏、まだ張ってないよ」

ネリが言った。

「何を、張るか、決めてから、って、思って」

ゴードンは、盾の裏を見た。

何も、ない、裏を。

それから、左の手首を見た。

ゴードンの指が、組み紐の結び目にかかった。

太い指だった。

うまく、ほどけなかった。

マーサが、横から、手を伸ばした。

ゴードンは、首を振った。

もう一度自分でやった。

結び目がほどけた。

ゴードンは、組み紐をネリに渡した。

「ここに」

ゴードンは、盾の裏の握りのすぐ横を指で叩いた。

「握ったら、指が、当たるところに」

ネリは、組み紐を見た。

太さの揃わないところを。詰まった、編み目を。

何も聞かなかった。

細い革を切った。

組み紐を盾の裏に留めた。

鋲を一つ打った。

小さな音がした。


ゴードンは、盾を持ち上げた。

両手で。

重そうだった。

それでも、一度左の腕に通した。

握りを握った。

指が組み紐に当たった。

ゴードンは、しばらく、そうしていた。

炉の火が、盾の表に映っていた。

古い盾の破片が、赤く、光っていた。

「……いい盾だ」

ゴードンは、言った。

それから、盾を腕から外した。

炉の横の壁に立てかけた。

ハルトを見た。

「今は、まだ俺のだ」

ハルトは、頷いた。

何も聞かなかった。

聞かなくても、わかる気がした。


ネリが、ハルトの腕を指さした。

「そっちも見せて」

ハルトは、借り物の盾を外した。

ネリは、それを炉の明かりにかざした。

表に、新しい、へこみがあった。四つ。谷の出口で弩を受けたところだった。

「増えたね」

ネリは、言った。

へこみを、一つずつ、指でなぞった。

「叩いて、直そうか」

ハルトは、少し考えた。

「……そのままで、いいです」

ネリは、ハルトを見た。

「傷が、ついたら、半分は、おまえのもんだ、って」

ハルトは、言った。

「ゴードンさんに、言われたんです。……だから、半分は、俺のです。もう半分は、あの時、伏せた人たちの」

名前も、知らない、人たちの。

ネリは、しばらく黙っていた。

それから、盾をハルトに返した。

「じゃあ、革帯だけ、替えとく。……そっちは、もうすり切れてるから」

炉の向こうで、ゴードンがこちらを見ていた。

何も言わなかった。

でも、口の端が少し上がっていた。

ユノが横に来た。リュネも。

リュネが手帳を出した。

「ついでに測る。手、出して」

「今?」

「今。帰ってきた日の記録は、大事なの」

ハルトは、灰色の手を出した。

ユノが包んだ。

境目が温かかった。

リュネが何かを書いた。

ハルトは、それを覗かなかった。

覗かなくても、よかった。


夜、ノエラが帳面を開いていた。

鍋の明かりの下で。

「戦える人の頁」

ノエラは、言った。

「二百、十四」

ハルトは、横に座った。

「契約の頁。十。……サビナさんが、春の分の、延べ棒をまだ取りに来ません」

「どうして、ですか」

「秋まで、預ける、そうです」

ノエラは、平らな声で言った。

ハルトは、少し笑った。

ノエラは、次の頁をめくった。

新しい頁だった。

何も書いていなかった。

ノエラは、ペンを持ったまま、少し止まった。

それから、一番上に書いた。

横。

その下に十八。

「イゾルデさんと、十七人です」

ノエラは、言った。

「旗団では、ないので。……戦える人の頁には、入れません。でも、数えないわけには、いかないので」

ハルトは、その字を見た。

横。

「線は、引かないんですよね」

「引きません」

ノエラは、言った。

「数えるのを、やめないので」


天幕に戻ろうとした時だった。

「盾の坊や」

声がした。

カーラだった。

天幕の入口にもたれていた。深紅の髪を、左の肩から、前に垂らして。

「お帰り。……お土産は」

「ありません」

「つまらない子」

カーラは、笑った。

それから、天幕の中を指で示した。

「代わりに、私から。……お客が来てるわよ」

「お客」

「南の昔の取引先の紹介でね。三日前から、待ってる。……我慢強い、人よ」

天幕の中に灯りが一つあった。

男が一人座っていた。

年は、四十くらい。地味な旅の外套。指先にインクの染みがあった。

男は、立ち上がった。

ハルトに丁寧に頭を下げた。

「ポルタ自由都市同盟、商人組合の使いの者です」

男は、言った。

柔らかい声だった。

「焼け跡の盟主どの。……お噂は、かねがね」

男の目が、ハルトの灰色の腕を見た。

一度だけ。

それから、顔に戻った。

「帝国が、あなたの首に、値を、つけたことは、存じています」

男は、言った。

「私どもは、首には、値をつけません。……鉄と人につけます」

男は、微笑んだ。

「あなたの鉄を見せて、いただけますか」

ハルトの後ろでカーラが小さく笑った。

「言ったでしょう。……値段は、鉄よ。盾の坊や」

(第五章 空の館 了)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。