それから2 アスラとヘレナ
「おい、お前、何やってるんだ」
「え?」
青空に広がる小高い丘の上に立つ大きめな家屋。
養護者のいない子どもたちを預かる機関を。と言う話で、先の大陸壊滅事件から増えてしまった人間の子どもたちに振り回されていたアスラが、その声に顔を上げる。
「毎日毎日仕事仕事。仕事と子どもばっかり追いかけて、お前いったい何してんだ」
「え、いや、仕事だが……」
「そう言うこと聞いてんじゃねぇんだよ、このアンポンタン!!」
「アンポ……っ!?」
えぇっ!? とその目を見開いて、イライラと牙を剥いて騒ぐ義手と義足の片腕片足のイタチの獣人をアスラは見返す。
「お前、わかってんのか! ヘレナちゃんは人気があるんだぞ! ファンクラブまであるんだぞ!! お前みたいなアンポンタンがいつまでもそんな調子で煮え切らないアンポンタンな態度取ってたら直ぐに横から掻っ攫われるぞ!!」
「え、えぇっと……」
追いかけていたイタズラ小僧のことも忘れて、思わずと変な体勢でその動きを止めるアスラに、イタチの獣人は遠くで多種族の子どもたちに囲まれているヘレナを指差す。
「ヘレナちゃんが愛想を尽かしたら、直ぐだぞ!!」
ジリとそのイタチ顔でにじり寄られたアスラは、思わずと視線を泳がせる。
「あー……、ヘレナが……何か…………言ってた……か?」
チラと困ったような視線を寄越すアスラに、イタチの獣人はチッと舌打ちをする。
「ヘレナちゃんが俺なんかに何か言う訳ねぇだろ!! 俺はどっかのアンポンタンとは違って見てりゃわかるんだよ!!」
「あー……、そっか……」
ははと苦笑して頬を指先で困ったようにかいているアスラに、イタチの獣人は眉根を寄せる。
「おい、お前、本当にわかってるのか? ヘレナちゃんだぞ!? あんな美人でいい子、滅多にお目にかかれないんだ! そんな中、幸運にも一歩抜きん出てるんだ!! でも、そんなの直ぐに追い抜かされる! 何をモタモタやってる!?」
「急にどうしたんだよ……っ」
様子のおかしいイタチの獣人に詰め寄られて、アスラは口端を引き攣らせる。
「……俺なんかのことも、ずっと気にかけてくれて、ヘレナちゃんはいい子だ」
「……そうだな。女神みたいだ」
「は?」
「あ、いや、何でも……っ」
思わずと溢れ落ちた単語に目を見開いて固まるイタチの獣人に、アスラは耳まで染めて思わずと顔を逸らす。
「お前、拗らせてんなぁ……」
「ほっとけ!」
しみじみと残念そうな顔を向けられて、アスラはたまりかねて目を吊り上げる。
「ヘレナは俺にとって、女神だよ。恐れ多くて、手なんか出せない」
「お前……ほんとかわいそうなくらいアンポンタンだな……」
「うるさいな!」
今度はアスラがチッと舌打ちをしてその顔を逸らす。
そんなアスラに、イタチの獣人はふぅとため息を吐いて口を開く。
「勘違いするなよ。お前のために言ってんじゃない。ヘレナちゃんを見かねて言ってんだ」
「……私は、ヘレナとどうこう、なるつもりは……ない」
「あぁ?」
「と、言うより、誰とも、そうなるつもりは、ない」
「……お前……っ!」
思わずとその目を吊り上げるイタチの獣人に構わず、アスラはヘレナを遠目に眺めて続ける。
「でも、ヘレナが望むなら、地位も、権力も、金も、時間も、何もかも、俺が与えることができること、何を渡しても構わないと思ってる」
ヘレナが望むなら、この命だって惜しくないし、他の誰と一緒にいても構わない。
ヘレナが幸せなら、それで、それだけでいい。
自分の犯した過去は消えない。アスラが狂わせた人生は、イタチの獣人だけでないことは明白で、いつ現れるともわからない自分のかつての業に、他人を巻き込むことをしたくない。
それが心優しいヘレナであるなら、尚更だった。
アスラと一緒にいることがヘレナの心を痛める結果に繋がってしまったら、アスラはきっと耐えられない。
「……お前はほんと、拗らせてんな」
はぁとため息を吐いて、イタチの獣人はアスラの背中をバシリと叩く。
どうしてこんなクソがつくほどクソ真面目で愚直な男が、こんな事態に陥っているのか。
そのきっかけを確かに作ったアスラの全てを許せた訳でも、失った多くも戻りはしない。
それでも、毎日毎日じめついた暗い部屋で、1人過去ばかり見て他人の不幸を望んでいた時よりも、明るい空の下で人と会話し、暇を持て余した騒がしい子どもに構ってもらうのも悪くないと思える今は、少しだけ心穏やかでいられた。
別の出会い方ができていたら、案外悪くない相手だったのではないかと、そんなあり得るはずのない想像をしながら、イタチの獣人は考える。
最悪の出会いをしたのが、それでもアスラで良かったとまで、微かに、本当に薄っすらと、思わせてくれたアスラと言う男。
「……とりあえず、人生の先輩からの助言だ。時は金なり。後悔先に立たず。光陰矢の如しだ。……まぁ後悔しないように、せいぜい頑張るこったな」
そう言ってもう一度その背中を叩き、触れた肩をぐっと握ると、イタチの獣人はひょこひょこと子どもたちの姿を追ってその場を離れた。
その肩の感触に触れ、離れる背中を見つめ、アスラは1人、頭を下げる。
街の整備、人間と獣人の共生に尽力して各地を駆け回り、多くの身寄りのない子どもをその膝元から立派に巣立たせたアスラは、生涯独身を貫いた。
「そうですね、子どもは間に合ってますし、私がいないと、あの人、すぐに仕事漬けで倒れそうですから」
そう言って穏やかに笑う、銀髪に赤い瞳の美しい狐の獣人と、一緒に。




